〝ありがとう〟そして〝さよなら〟(後)

 内臓の摘出は最も汚れる作業なので、カズスムクらは先に上の階へ進んで首の解体を行う。僕はその場に残って、皆の作業を見学することにした。


「これは強烈だぞ。お前さんはもう一杯、ニフロムを飲んだ方がいい」


 とハーシュサクに勧められ、僕は遠慮なく飲んだ。経験者の言葉には従ったほうが良い。……その判断が正しかったことを、僕はただちに思い知った。


 まずは〝直腸結さつ〟と言って、下半身側の消化菅を外す。恥骨を割って、くり抜くように肛門周辺を切ると、落ちて来た内臓で「ボコン」と腹が膨らんだ。

 上半身側は首が落とされているので、内臓は辛うじて膜にくっつきながら、体内で宙ぶらりんになる。アジガロの赤く虚ろな胸からは、一部が覗いていた。


「はらわたはとにかく、繊細に扱うんだ。破れたりしたら、目も当てられない」


 使命感を燃えたぎらせ、カッマルキリエは慎重に切り開いていった。奉納時に開けた傷口からはさみを差し入れ、最初に取り除かれるのは生殖器である。

 キリヤガンの御用牧場では、食用男性は去勢して育てられるそうだ。


 その方が肉が柔らかく、性格もおとなしくなるからと。効果的らしいが、ザデュイラルがそれを採用しないのは、文化や信条の違いというものだろう。

 カッマルキリエは腹の中で、臓器同士のつながりや膜などを、小さなナイフで断ち切っていった。奉納の手際次第では、肺や骨が傷ついていることがある。


「二回目にしては上出来だよ」


 と従兄殿が言っていたと、僕は後でカズスムクに伝えた。

「お婆さまのおかげです」と彼は謙遜して微笑んだが、祖母もレディ・フリソッカ以上に厳しい方らしいので、カズスムクは血のにじむ努力をしたに違いない。


 次に腹から出てくるのは、膜に包まれて袋状になった大きな塊だ。白っぽいので〝白モノ〟と呼ばれる消化器系である。胃袋に十二指腸、大腸に小腸。

 と言っても、どれがどれやら僕にはあまり区別がつかない。白くてプルプルしているので、どの器官かな? と思っていたら、単なる脂身だったりする。

 作業はつつがなく進んだ……と言いたいが、こんなこともあった。


「うわっ! 絡まった!」


 ヒーソサッタの叫びに、兄のフリアガレンが青ざめる。


「バカ、ヒース動かすな! 今外すから持ってろ」

「父さまちょっと助けて!」


 どうやら消化管がこんがらがったらしく、このままでは腸が傷つきかねない。場に緊張が走り、父のヴェッタムギーリが駆けつけた。


「落ち着きなさい。そーっとだぞ、そーっと……」

「あ、ほどけた!」


 的確な処置により、アジガロの腸は守られたようだ。だが、まだまだ内臓は残っている。白モノの次は〝赤モノ〟、循環器系だ。

 背中から引き剥がして取り出された肝臓は、意外と大きい。日々の印象から胃袋が大きいような錯覚があるが、これは体内で最大の臓器である。


 ここで注意すべきは、肝臓についている胆嚢たんのうだ。

 苦い胆汁を作るこの器官は食用には適さないが、生薬に用いられる。ヴェッタムギーリは上から布をかぶせて袋状に包むと、さっと切り離して片づけてしまった。

 メリメリと横隔膜を引っぱると、肺や(残っていれば)心臓が一度に抜ける。白モノに比べると、こちらの摘出作業は格段に早い。それにしても、臭いが凄かった。


 意外だと思われるかもしれないが、きつい悪臭というわけではない。僕はかつて牛や豚の屠畜場とちくじょうを見学したが、排泄物の臭いは厩舎きゅうしゃのほうがひどかった。

 内臓の臭いは牛でも豚でも羊でも、大して差がない。おそらく人間だってそうなのだろうと思うが、生け贄は数日の断食で腸内を空にしているから、もっと薄い。


 排泄物と消化液が混ざった独特の異臭。消化液で分かりづらいなら、胃液を思い浮かべて欲しい。それが、生き物の芯から放出される体温でむわっと立ち上がる。

 これは家畜の臭いであってもなかなか堪える。ましてや、人間のものともなれば。室内を満たす臭気は、僕にはねっとりとした粘土のように感じられた。内臓の温度で部屋がほこほこと温まる中、使用人たちが床に氷をまいて冷却を試みる。


 僕の体は侵入してくる生臭さを追い出そうと痙攣し、何度ももう駄目だと思ったが、最後まで吐かずにいられた。それ以外は、平静を保ったつもりだ。

 取り出された内臓はいったん桶に入れられ、使用人たちが一つ一つ仕分けて洗浄していく。それを終えれば、次の解体工程だ。


 手袋や道具を替えて一息つくと、僕らは吊るされた体を滑車で連れて階段を上った。中つ宮は長くて幅広い階段が、正方形に折れ曲がって上へ続く構造だ。

 階段の両端には楽士のための席があり、演奏はそちらに移動して続けられる。

 作業場は踊り場にあたる部分だ。一つ工程が終わるごとに上へ進み、衛生上、決して前の場所に戻ってはいけない。まるで黄泉帰りの神話だ。


 続いて僕が拝見したのが、皮剥ぎ工程である。


「いいか、皮は破れやすい。焦らず丁寧にを心がけて、根気強くやるんだ」


 ヴェッタムギーリは息子たちに教えながら、無駄のない手さばきで実演して見せた。吊るしたままの外皮に切れ込みを入れ、そこから刃物で皮と肉をつなぐ脂肪の層を切って剥がす、熟練の技だ。スパスパと、実に鮮やかなものである。


「ほらほら! 綺麗にできましたよお客さん!」


 フリアガレンは誇らしげに、主に父親が剥がした人皮を僕の所まで見せに来た。すぐヴェッタムギーリが連れ戻したが、実際良い出来だったらしい。厚みにムラがなく均等で、肉側にもほとんど皮や毛根を削ぎ残したりしていなかったとか。


 儀式の場とすれば浮ついて思えるが、厳粛な行事はすでに終わって、今は〝お祭り騒ぎ〟の段階なので、このぐらいの言動は目こぼしされる。

 何より、人の死体と向き合う中では、時に不謹慎ともとれる言動を取らなくては心を病む――と、後でカズスムクは言っていた。

 死者への敬意と同様に、生者の精神に配慮することは重要なのだ。


 内臓、頭部、手足の先、それらを取り除いた状態を枝肉と呼ぶ。

 ここまでやっても、その肉塊はまだ人であると判別できた。間違っても豚ではない――それがかえって痛々しく、恐ろしかった。

 枝肉を洗浄すると、大仕事も一段落となる。ここからは、枝肉を部位別に分け、骨を抜いたり整形トリミングしたり、すじを引いたりして精肉作業の前処理だ。


「枝肉から最初に切り分けたやつを部分肉プライマルカットって言ってな、こいつの良し悪しで、料理のできばえも天と地ほど違ってきちまうんだ」


 口調は軽いが、ハーシュサクの表情は真剣そのものだった。これまで、彼に対してやや軽薄な印象を抱いていた僕だが、それをすべて撤回していいほどに。

 枝肉からの切り分けには実に様々な方法があり、家庭ごとに流儀があるそうだ。まずは大きく三つに分けて、そこから骨抜きの肉と骨つき肉を作る。


 一つ目は肩甲から胸郭フォークォーター。どのような流儀にせよ、まずは枝肉を半分に割らなくては始まらない。背中を下にしてナイフで線を引き、それに従って背骨を切断する。

 二つ目は胸郭下から腰の上ミドルまたはサドル、牛馬で言う鞍下肉くらしたにくの部分だ。「ここには、上質の肉が詰まっていてね。子供たちが好きな所だ」とヴェッタムギーリは言った。

 三つ目は足と腰部ホーンチ。ステーキ、ロール肉、骨つき塊肉と幅広く扱える場所だ。人肉ハムもここから作る。


 肋骨や脇腹にナイフを入れ、骨をノコで引き、骨粉を注意深く落とし……気がつけば、僕にはもう死体がただの肉塊にしか見えなくなっていた。

 解体された部位のチェックは、医師であるヴェッタムギーリの仕事だった。幸い、三人の贄にはなんの問題もなく食べられるそうだ。


 その後の整形は使用人の仕事で、こちらも見学させてもらった。

 内部に残っている血液の他、余分な薄膜や軟骨、脂肪、リンパ節に腱に靱帯などなどを取り除いて、綺麗にしてしまう。


 豚一頭から取れる食肉部位は、およそ体重の半分だと言う。

 例えばアジガロの体重は167.5コドラだったそうだ。彼はまだ二十代半ばと若く、筋肉は体重の四割以上と推定される。実際、筋肉量は73コドラ弱であった。

 血液は体重のおよそ十三分の一、1.5ガットラ〔Gåttora〕。

 骨の重さは体重の五分の一、33.5コドラ。


 それらを差し引いた残り47.5コドラが脂肪と臓器だ。彼らは最大限、その体を無駄にせず食べることを旨としている。

 すべての作業を終えて中つ宮を出ると、カズスムクたちは体を洗い、一杯だけ酒を飲み酌み交わしてから休憩を取った。

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