祝いましょう、そして、また会いましょう(中)
◆
宴会場は食堂ではなく、
場内の中央には、ムーカル、コーオテー、サガーツトの神像が置かれた。職人によって作られ、今朝搬入された
「……この顔、誰かに似てるような」
「ん? 見りゃ分かるだろ?」
僕の独り言に、ハーシュサクが「すぐ目の前だよ」と告げる。
「あっ、アジガロの顔ですね!?」
「贄になって死ぬ、ユワの元へ導かれるってのは、こういうことさ」
では残り二つも、贄本人がモデルというわけか。神像の前には大きな
骨というのは案外黒いもので、脂を抜き、数日かけて天日干しにし、漂白しなければ真っ白にはならない。だから
神像と頭蓋骨の前には、パン、果物、血割りの蜂蜜酒が供えられていた。素祭と灌祭だ、燔祭は本人たちの肉なので供えない。【肉】を食べることは
僕らは食材になった人びとの似姿と、頭蓋骨に見守られて、その【肉】をいただくのだ。長大なテーブルは神像を挟む形で設置され、料理が並べられていった。
祭宴には必ず
ザデュイラルの祝い事では、立食形式の
古代から中世、ザデュイラルの宴席では殺した贄をテーブルにそのまま載せ、招待客は好きな部位を取ってその場で調理していただくという形式だった。そしてまだ生きている他の贄は、宴会場の隅に拘束されて自分の番を待つのである。
この様子を描いたライミャ・フッス(Raimaw Futh. 812年 - 879年、グリムヘン出身)の絵画『マトカサリオン戦勝の宴』(855年から858年制作)は、王立リンロティウム博物館の中でも、ばつぐんに正確な魔族像が見られる作品だ。
もっとも、アース帝国の勝利を祝う場面でありながら、描かれている宴席がザデュイラル様式という時代考証上の大間違いに目をつぶれば、だが。……そして、これはかのタミーラク・バニカ将軍が【肉】として供されるあの場面である。
時代が下ると共に、宴席には贄そのものではなく料理が並べられるようになったが、祝いの席で立食形式を取る習慣は残ったらしい。
イェルザカーフ・マーミナのうち、祭礼、特に夏至と冬至の宴席を特別視してパクサ・マーミナ〔Paxch Mâmina〕、略して
皆で
祭宴前日の晩餐で、僕とカズスムクはこんな話をした。正餐語を使っての会話なので、実際はもっと不自由なやり取りだったが、後で内容について確認している。
『英雄の肝には勇気が宿るという伝承もありますが、ザデュイラルはどうですか?』
『そのような言い伝えは我々の間にもありますが、珍重されるのは肝よりも心臓ですね。特にムーカル役の物は〝黄金の心臓〟と呼ばれる、太陽への捧げ物です』
『これは一族の長であるカズスムクと、その伴侶、つまり婚約者のわたくしが必ず食べるものなの。調理法も決まっていて、生でスライスしたものを、血のソースでね』
ソムスキッラが捕捉し、カズスムクが微笑んで後を継いだ。
『他二人の心臓については調理の仕方も食べる者も自由ですから、イオもぜひ』
当日、カズスムクはアジガロの心臓から半分を使って、プルーン煮を作った。何も一つまるごと生で食べなくとも良いらしい。干したプルーンと赤スグリのジャムで甘さを加えたこの料理は、彼がニマーハーガンの祝いに供されたものだ。
「父の味は中々越えられません」とカズスムクは悔しがっていた。
僕はジアーカが、涙を堪えて一皿を食べているのを見た。皿に載っているのは、スライスされたりソテーされたりした男性器で、僕は思わず目をそらしてしまう。
生殖器は量が少なく栄養価の高い貴重なものだが、その文化的意味合いも重要だ。当然ながら、これを食べる者は厳密に定められている。
男女ともこれは伴侶の取り分であり、未婚であれば親が口にした。
調理についてはとても直視できなかったが、軽くメニューを紹介しよう。
子宮は丹念に塩で洗って茹で、スライスしてカブとレモンの和え物に。香味野菜と柑橘類でマリネした卵巣は串焼きにし、ピーナッツのヤーイニでいただく。
ひととおり会場に出そろった料理を確認して、いよいよ僕も腹を決めた。
前菜の小さなトーストを取ると、皆に視られているような気がしたのは、錯覚ではないだろう。異国からやってきた物好きな異種族が、〝ちゃんと〟食べるのか、と。
僕は人生で初めて、人肉料理を前にしている。……以前も述べたように、僕は人間を「食べたい」と思ってこの国に来たわけじゃない。
食べる機会があったとしても、それは調査のための仕方ない行為で、できれば多くは口にしたくないし、あまり味わわずに丸呑みしよう、とさえ考えていた。
……だが、そんなのは卑怯だ。それは彼ら贄の命がけの献身と、その行いに敬意を払った人たちの思いすべてを踏みにじる真似だ。
食材となったアジガロの生前の姿を、今でもつぶさに思い出せた。彼にお茶を入れてもらったり、本を探してもらったりしたものだけれど、知っていることなんてそれぐらいで、けれど、その命が終わるのを見届けた。
だから、最後までやらなきゃいけないだろう。
『
皿を置き、典礼正餐語で食事の挨拶を行う。
前菜はシビレのクロスティーニ。
下処理した
一口かじると、バリバリと固いトーストと、ふわっとなめらかなシビレの食感のコントラストに驚いた。これは噛むのが楽しい。きつめの塩味に、アーモンドバターの風味、そしてレモンがシビレの繊細な旨味を引き立てる。
これが元は人の体に収まって、その命の一部として生きていたのだ。思いのほか簡単に口にできてしまうのは、この二ヶ月で人が人を食べる風俗に、知らず馴染んできたためだろうか? 分からない。僕はもう正気ではないのかもしれない。
カチカチのバゲットの破片、小麦の香ばしさ、あふれて広がる人間の脂。きちんと調理された食肉が、当たり前のように喉を通っていく。
僕は、食べるべきではないものを食べている。頭の底でこれまですり込まれた規範がそう叫ぶ。だが――これは紛れもなく、大切に味わって、いただくべき命だ。
(食べなくては)
そんな胸を刺すような衝動のまま、僕は温かい皿に手を伸ばした。
本日のメインディッシュ、ザムケンド〔Samkennd〕という煮こみ料理だ。名前は同情とか弔慰とかいう意味らしいが、実際の所はよく分からない古語らしい。
これは頭部をまるごと使った料理で、祭宴初日には必ず作られる。アジガロの頭はタコ糸でぐるぐる巻きにされ、たっぷりの水・酢と共に鍋へ入れられた。
調理過程はシンプルで、アクを取り除きつつ、ローリエ、クローブ、玉ねぎ、人参、パセリの茎を加えてひたすら煮こむ。
その後、脳を別に取り出したら、刻んだチャイブをふんだんに乗せ、
飾られている頭蓋骨は、調理過程で切られた後、石膏などで補修した物だ。
皿の中にころんと鎮座した【肉】は、かつての姿を失って、自身と香味野菜の出汁に浸っていた。刻まれた各所の肉は、ナイフで切る必要もないほど柔らかい。
口に入れると、思いのほか優しい味が舌の上で砕けて、ふわっと広がった。髄液も脂も区別なく溶け合い、体中が静かで淡い甘さに包まれ、その滋味に抱擁される。
『
最初の一口を飲み込んで、僕は典礼正餐語で懸命に叫んだ。手話だが、気持ちとしては声を上げんばかりなのだ。
次にひと匙、脳をすくう。ふにゃっと柔らかく、少しぷりっとした弾力があるが、口に入れるとトロリと溶けてクリームになってしまった。
その濃厚なコクは、一度では味わいきれない。きっとこの先何度も口にして、
それでいて、がつんとしたカドはない。ふっくらと穏やかで豊かな中に、ねずの実のアクセントがきりっと効けば、思わずうっとりしてしまう。
『
おいしい。人間の脳みそが、心底おいしい!
食肉として動物の脳を見れば、大きさ以外は大して違いがないそうだ。子羊でも、豚でも。だから味覚としては正常で、同時に人族の倫理をとうとう飛び越えた。
ありがとう、アジガロ。君は、こんなにも美味しい。
腕の良い料理人の手にかかることが、贄にとっていかに名誉と幸福であるかも理解できた。ハジッシピユイはこの国で最も優れた料理人と認められた人物だ、確かに彼に料理されるなら、祝福されるべきことだろう。
ただ、タミーラクが父親に殺される点については、僕はやはり良いことだとは思えない。それとも、僕はそれすら許容できるようになるのだろうか?
『イオ、ザムケンドにはこれが合いますよ』
カズスムクが典礼正餐語で伝えて、なみなみとぶどう酒を満たしたグラスを差し出した。恐縮しながら受け取って、早速試してみる。
口の中いっぱいに広がる脳の味を、淡白でこしのあるぶどう酒で洗い流すと、後味にまたねずの実が鼻へ抜け、ため息が出るほど美味しい。
これは明らかに、ぶどう酒と合わせていただくよう計算しつくされた味付けだ。僕はばかみたいに、
『気に入っていただけたようで良かった』
カズスムクの返答は、そんな感じだったと思う。僕は人肉に対する恐れを捨てて、食欲を解放した。さあ、九日間の大饗宴の始まりだ。
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