いばらとベラドンナは餓鬼のあがない(後)

 ザミアラガン・レム・イル・コガトラーサ〔Samiaraghan人々を守るもの Hrézzipyg Nughamsr Vatsǫg L'm Ý'l Kơgåtrahza〕は壁のような巨漢だった。

 タミーラクもたいがい長身だが、それを超えるとは大したものだ。

 彼と並んでいると、カズスムクは華奢な少女のようだし、僕みたいな痩せっぽちなんてワラみたいだろう。肩でも叩かれたら、ふっ飛ばされそうだ。


 まだ三十前という若さで、彼は人生の成功を積み重ねてきたような、自信と誇りを静かにみなぎらせていた。飽くなき野心と自己への信頼、祖先からの遺産に支えられた足元、柱のようにその場に突き立つ、偉大であることを当然としている人間。

 ただし、先ほど見せたような敵意を表に出していない限りは、だが。


「あなたが噂のガラテヤ人ですか。ようこそ、ザデュイラルへ! 我が国の感想はいかがかな?」

「驚くことばかりです、閣下」


 握手を交わした後、ザミアラガンは慣れた様子で膝を曲げて僕と額を合わせた。彼のように上背があると、この挨拶はさぞかし面倒くさいだろう。


「シグは確か、海老がたいへんお好きだとか」


 またその話か!

……という気持ちが顔に出ないよう、僕は必死で愛想笑いを作った。タミーラクはあさっての方を見て知らんぷりだが、ソムスキッラは笑いを堪えていた。

(※編註……「海老を食べるガラテヤ人と、それをバカにするザドゥヤ人」は典型的な人種差別風景であったが、本書では多少マイルドな表現に置き換えて、できるだけイオの体験をそのまま記した)


「ところで、我が末弟のタミーラクが贄になる予定であることはご存知で?」


 将来の進路、どこの大学に行くだとか、どこの国に留学に行くだとか――ザミアラガンはそのくらい事も無げな調子で、弟の余命に触れた。

 僕はええ、とだけ短く返事をしたと思う。


「では、この子が召し上げられる時にはまたザデュイラルに来て下さい。何しろ、一生に一度の晴れ舞台です」


 線の太い強面いっぱいに快活な笑顔をみなぎらせて、ザミアラガンは朗らかだった。言っている内容はまったく笑えないが。

 今代のコガトラーサ当主は、タミーラクを出せば贄を選ぶのも終わりだ。次は彼、ザミアラガンが自分の子供たちから贄を差し出す立場になる。

 弟の死を晴れ晴れと喧伝したように、我が子の死も彼は誇らしげに語るのだろうか? いや、贄に出すのは甥や姪かもしれないが。


「やめてくださいませんか、兄上。恥ずかしい」

「別にいいじゃないか、タミラ。神聖な役目を誇って、何を恥じる必要がある?」


 家族の身内自慢に苦言するタミーラクは、どこにでもいる十代の少年らしい羞恥で頬が赤い。その様に、僕は少し安堵を覚えていた。ぎこちなさのない表情というだけで、言葉にできない不安が紛らわされていく。


「そう、ではなくて、ですね! ガラテヤの方は、人が死ぬ場面はできるだけ忌避したいものなのですよ。あちらは生け贄など出さないのですから」

「おや? 私はてっきり、シグは贄の祭儀をご覧に来られたのだと思っていたのですが、違いましたかな。これは失礼を」

「いえ。それも目的の一つです」


 その点については正直に答えた。


「ザデュイラルに来てから、僕がどれだけあなた方の種族について無知だったか思い知りました。このたびの祭礼に参加する機会を得たこと、心より光栄です」

「それはそれは」


 ザミアラガンは明朗そのものの笑みで僕の言葉にうなずく。丁寧にラッピングされた贈り物のような、魅力的だが高度に社交辞令を感じる表情だった。

 それより恐ろしくて言い出せないのだが、彼はまだ、カズスムクに挨拶すらさせていない。弟が紹介した相手を優先したにしても、友好的ではないのは確かだ。


(※編註……貴族の挨拶というものは、まず目上がそれを求めている、または受けても良いと意思表示する所から始まる。目下から勝手に挨拶することは無礼にあたり、向こうの許可を得るか、紹介されるのを待たなくてはならなかった)

 ザミアラガンは、カズスムクが作ったフィカをけなしていた。彼が何も言い返さないのを見ると、彼の態度も初めてではないのかもしれない。


――いったいこの人は、なぜこうもあからさまな態度を取るのだろう?


 その時だ。


「おお、ザミア。アンデルバリ子爵に挨拶もなしかね」


 ぬうっとヒグマのように、杖をつきつつハジッシピユイが現れた。背丈こそ長男に越されてはいるが、がっしりとした肩幅と腕がたくましい。

 その腕を引く奥方のジュトロターマ〔Sutlotauma蓮の花〕は、礼装のユエタリャではなく白いバッスルドレスを着ていたが、黒髪と似合って美しかった。


 ハジッシピユイ=ルスガ・アコダヴォ・コガトラーサ〔Hrézzipyg=Rzugh Uaztstpgy Cereim Fagasma Kwahdlav Åqdawo Kơgåtrahza〕宮廷料理長。

 大トルバシド卿の爵位・アコダヴォ〔Åqdawo〕とは古シター語で「頭、先頭、頭上(にあるもの)」、つまり「角」を指す。

 彼はもともと帝国イグニブラ議会ウィドルに議席を持つ貴族の一人だったが、一二六五年に「食の道に専念したい」と言って、長男ザミアラガンに議席を譲った。


 父上、母上、とタミーラクが弾んだ声を上げる。

 いやはや、コガトラーサ家の男子は皆体格に優れ、三人も集まると山が動いているようだ。平均よりやや小柄であろう奥方は、妖精みたいに小さく見えてしまう。


「大トルバシド卿、お久しぶりです」


 躊躇なく、カズスムクはハジッシピユイと額合わせの挨拶を交わした。続けて未開封のフィカを出そうとすると、やんわり止められる。

 彼はタミーラクが持っていた小瓶から、フィカを一粒取った。瞬間、場に異様な緊張が走る。ソムスキッラはカズスムクの腕をぎゅっと握った。


 料理の腕を誇示する挨拶回りにおいて、実力を保証されている宮廷料理長という立場は、ヒエラルキーのトップと言って良い。

 ハジッシピユイは手料理を披露する側ではなく吟味する側であって、彼に持ってきた物を受け取ってもらえるか、口にしてもらえるかは大きな問題だ。


 だが、それだけではない。

 愚かにもここに至って、僕はザミアラガンがカズスムクに冷たい理由に思い当たった。なにせ相手は過去、末弟にカナリアの灰を飲ませているのだ。


 ザドゥヤ貴族は一定以上の実力があれば、請われて料理を指導することがしばしばある。ハジッシピユイも多くの弟子がおり、カズスムクの父もその一人だった。ところが、カナリアの件で師弟関係が解消されてしまったのだ(カズスムク談)。


 それ醜聞ゴシップとしてあまり広まらなかったのは、教育者としてのハジッシピユイは有能とは言い難かったことが幸いしている。彼は自分の高すぎる能力を「普通」「練習のたまもの」ぐらいにしか思っていないので、無理難題を気軽につきつけ、長男と次男を含むあまたの弟子の心をへし折ってきたのだ(タミーラク談)。


「うむ、悪くない。さすがシェニ〔Sheng〕の息子だ」


 父の第一声に、ザミアラガンが一瞬目をむいたのを僕は見逃さなかった。


「アクが取りきれておらんが、茶葉を選べばアクセントに活かせる範囲だ。三ヶ月以上漬けられたものとしては、きちんと食感が残っている。手際としては古臭い出来だが、そのまま深みを追求するか、大胆にアレンジしていくか、考えた方が良いな」

「畏れ入ります」


 講評に返事するカズスムクは、表情こそいつものように取り澄ましていた。が、緊張と弛緩の間から押し寄せる倦怠感に、必死で耐えていることだろう。

 一方のハジッシピユイは、たしなめるように末っ子の肩を抱いた。


「タミラよ、城内といえど一人であっちこっちに行くのはよしなさい。ザミアが見つけてくれたから良かったものの」

「子供扱いなさらないで下さい、父上」

「ああ、お前は子供ではない」ハジッシピユイは鷹揚にうなずいた。「貴重な食材だ。その身はお前一人が、軽率に扱って許されるものではないのだぞ。わきまえよ」

「……申し訳ありません」


 コガトラーサには、直截を美徳とする家訓でもあるのだろうか?

 タミーラクは外出する時、常にお目付け役を同伴させられている。今日の碧血城では、長兄のザミアラガンがその役を担っていたようだ。


 タミーラクの家族は他に次男ボシバヨウ〔Bosébhjou良き生まれ〕がいるが、彼は陸軍に入って北の国境警備に就いており不在。長女ペリアマーレ〔Peliamáre幸運の女〕は国外に嫁ぎ、三男タンタサリッサ〔Thantazahlézza神の贈り物〕はタミーラクが八歳の時に亡くなっている。他、ザミアラガンの長男長女はまだ角が生え変わっていないため、祭礼には参加できず留守番だ。

(※編註……ペリアマーレは彼女の婚家から申し立てがあったため、本書では仮名に変更して記す)

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