其は碧血城から始まれり(後)
碧血城は美々しい建物だった。
特別な客に出す繊細な食器のように、複雑な彫刻を施された白百合色の壁。そこから赤碧玉の丸天井と、磨き抜かれた大理石の尖塔がいくつも生え、多くの窓や高く荘厳な扉のどれもが、ここが軍事要塞とは全く用途が違うことを知らしめる。
周囲には優美な庭園が広がって、ファッラ〔Falla〕という三角帽子を被った貴族たちと、式典のための楽団や司祭たち、新聞記者が所狭しと集まっていた。
「いやー、賑やかですねえ。ガラテヤの紳士は、正装ではシルクハットを被ったものですが、ザデュイラルでは三角帽なんですか?」
「そうよ。ガラテヤでは、あれは魔女の被り物なんですってね」
ユエタリャ姿のソムスキッラは、帽子の代わりに房飾りや宝石がついた貴金属のリング・
ほっそりとした腰がくっきり分かるタイトなドレスには、相変わらず眼のやり場に困ってしまう。今回は白地に青、藍、紺色の羽根と花の紋様をあしらって、彼女の銀髪と白磁の肌によく調和していた。
「おとぎ話の魔女帽子はよれよれで、三角錐も折れ曲がっていましたね。でも、みなさんのファッラは折れず曲がらずぴんと尖って、いかにもしゃれてます」
何より違うのは、帽子に隠れる角のために、角飾りがついている点だ。ちなみに僕は、ガラテヤから持ってきたフロックコート姿。
シルクハットを被ろうかと思ったが、「絶対にこちらの方が良い」とソムスキッラに勧められて、
「あんまりはしゃぐなよ、みっともないぞ。いかにも〝おのぼりさん〟だ」
「叔父上の言う通りですよ、イオ。キュレーも、急ぎましょう」
カズスムクは黒い
上衣の前には鮮やかな赤紫の帯紐が通され、これを胸のあたりで二度三度交差して結んで着るらしい。フエミャの袖や裾には、十二の剣を花弁にした花が刺繍されていた(※十二輪花章)。上衣にあしらわれている銀ボタンも、同じ花の形だ。
眼帯も日用の物とは別に、控えめに宝飾品をつけたものに変わっていた。
ハーシュサクも同様の格好をしていたが、カズスムクは肩から房飾りつきの帯を掛けている。青紫で、やはり花の刺繍があり、ふちは服と揃いの赤紫。
周りを見回していると、服装自体はおおよそ共通しているが、肩掛けをつけている者とつけていないものがいるので、これは各家の代表者が用いる品らしかった。
これら上衣や肩掛けにもそれぞれ名前や由来があるが、割愛しておこう。
「……後で城の中を見学できますか?」
「運がよろしければ」
僕の希望に対し、カズスムクは曖昧に答えたが、これは望み薄そうだ。ハーシュサクの紳士杖に追い立てられそうになりながら、僕は足を進めた。
向かった先は、城で一番大きな丸天井の大聖堂だ。巨大なパイプオルガンが設置され、連なる支柱の並びが視線をさりげなく奥の主祭壇へ誘導する。
そこはまたも赤碧玉に満ちた、血のような赤――いや、
碧血城はここを中心に造られているそうで、そこには結婚式の準備がされている。当然ながら、アジガロの時と比べ物にならないほど豪勢だ。
新郎新婦は、今年の夏至祭礼で捧げられる贄の男女だ。
「伯爵閣下、今朝になって結婚式があると聞かされましたが、祭礼の贄ともなると死ぬ前の婚礼も公式行事になるんですか?」
さっき〝おのぼりさん〟と言われたにも関わらず、僕はきょろきょろと大聖堂の中を見回していた。次はいつここへ来れるチャンスがあるか分からないので、できるだけ記憶に留めねばならないのだ。カズスムクは三角帽を脱ぎつつ答えてくれた。
「両者の婚姻は〝
「待ちなさい、イオ。公の場よ、彼のことは〝子爵閣下〟と呼びなさい」
「すいません、
伯爵呼びに慣れていたので忘れかけていたが、カズスムクはまだ家督を継いでいないのだ。彼は法的には、儀礼称号の子爵位しか持っていない。
「子爵閣下。もしや、この聖婚は太陽の誕生神話に関係するやつですか」
僕は話しながら、夢中になって堂内の壁画を見ていた。
高い天井の壁画は夏に関連する神話の場面で、太陽に位置する場所は天窓になっている。もっとよく見たかったが、奥へ進むよう促され、僕は諦めた。
「ご存知なら話が早い。夏至祭礼は太陽の誕生と、その恵みに対する感謝を表していますからね。ムーカルは贄の中でも、特に名誉ある役割りです」
「角を赤く塗るころに、いつ何の役で死ぬかも決まる。ムーカルとコーオテーは、知り合って三年そこらで結婚して、一緒に死ぬわけだ。感想はどうだい?」
からかうようなハーシュサクの問いに、僕は眉間のしわを深くした。どう言い繕っても、歓迎しかねる返答しかできない話だ。代わってカズスムクが口を挟む。
「珍しいことでもないでしょう、叔父上。出会って三年はまだ普通では?」
「わたくしなんて、もう彼とは五年の付き合いになるわ。叔父さまはお忘れになったのかしら」
「そうは言うが、ムーカルとコーオテーは普通の婚約とは意味が違う。なんせ結婚した後、子供を作るでも家を守るでもないからな」
座席は、教会のような椅子や長椅子ではない。宴会場のように石造りの円卓が設置され、それを華やかに装飾された背もたれのない丸椅子が囲っている。
円卓席は各貴族の家系ごとに割り当てられ、五人の親族が集まっていた。ヒゲの男性が二人、若い男が一人、カズスムクより少し幼い感じの少年が一人。
ハーシュサクが手早く一同を紹介してくれた。
「いいかイオ、あの黒っぽいヒゲがオレの弟のヴェッタムギーリ〔
「十五歳です、叔父上!」
鉄紺色の髪を綺麗に切りそろえた少年は、憤然と抗議する。
「すまんすまん、
「蹴っ飛ばされたくて? お
「夫の前じゃ首肯しかねる。で、こちらの紳士がソムスキッラ嬢の叔父君クトワンザス〔
僕が挨拶すると、フリアガレンにいくつか質問された。
「ガラテヤのお客さん、角が生えてないんですよね? あとで付け角外すの見せてもらっていいですか? それと、海老が好きって本当に?」
「やめなさい、フリオ〔Chrjo〕」
母親のマリガンスムキムに止められて、フリアガレンはつまらなさそうに着席した。僕は乾いた愛想笑いで海老の話を流すしかない。
無地の藍色に、凝った飾りボタンの礼装でめかしこんだレディ・フリソッカは、朗らかに声をかけた。
「ひさしぶりね、マリガン」
「お
一方のマリガンスムキムは、黒地全体に細かな花柄をあしらっている。ユエタリャの色と模様は、男性礼服より遥かに多様らしい。
女性陣は額合わせの挨拶をして、何やら世間話を始めた。そうこうしている内に、順次円卓席が埋まり、時間と共に誰が合図するともなく静まり返っていく。
聖婚式の始まりだ。
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