太陽と月の聖婚

太陽と月の聖婚(前)

 僕らの遥か頭上にそびえる鐘塔しょうとうから、鐘の音が神のお告げのごとく降り注ぐ。聖堂左側には、青い制服を着て整列した少女聖歌隊。

 パイプオルガンが精緻で重々しい音を立て、宮廷楽団の演奏が始まった。祭りのための特別な楽曲群・古祭章アルマキアス〔Ålmakias〕と、歴代贄の人体楽器だ。


Såĝra讃えよ――♪」


 少女たちの高く澄んだ歌声に重なるのは、支柱の髑髏がさえずるように鳴る歌骸骨竪琴ハイイスクシ〔Cagizuks〕。上のネックには背骨が、下の胴部ボディには肋骨が使われている。

 棹に弦を押さえるキーが並んだ鍵盤式提琴カコナーテフ〔Kaqnâtech〕や三角五弦琴イェシツラ〔Hesézra〕の弦楽が静かに流れ、獣角笛イェルタ〔Heroth〕の重厚な音が曲の厚みをふくらませていく。そこへ加わる打楽器の肋骨鐘琴ニェブフル〔Njebfr〕、四台ひと組の人皮定音鼓ココウヴァイ〔Qquwag〕。大地まで震わすような律動の中、黒く塗られた脛骨笛ダイシンビ〔Dajishinbi〕やフルートの調べが、冷たくひょうひょうと宙を舞う。


 演奏の所々は、不自然に途切れたり、テンポが不意に変わったりして奇妙な感触がしたが、ザデュイラルの音楽はいつもそうだ。彼らの角にだけ聴こえて、僕には分からない旋律が織りこまれているのが、どうにも悔しい。

 肺や心臓を揺さぶり、腹の底にまで響くこの音楽が、本当はどんな美しい曲を描いているのか。それを知りたくてたまらなかったが、仕方がない。


 やがて正面の大扉が開いて、新郎新婦が入場した。開会の空気が万雷の拍手に泡立てられて、腹がすっと冷えるような熱が足元に溜まっていく。


 僕は、こんなにも不穏で悲しい結婚式は初めてだ。アジガロはせめて、愛した相手と伴侶になることを選んだし、夫婦として過ごす猶予が僅かなりともあった。

 けれど、大扉から主祭壇まで、一直線に歩く若い二人は明日死ぬ。これは死出の旅立ちだった。その証拠に二人の飾り角ハロートは、右側の角だけ真っ赤に輝いているのだ。


 ムーカル役の新郎は黄金の枝角、コーオテー役の新婦は白銀の枝角で、宝石があしらわれている。新郎新婦の衣装は、グロテスクなまでに豪華絢爛だった。

 星屑のようなビーズに真珠、首から提げる銀盤の護符、金糸や銀糸の房飾り、あるいは縫い取り、バラの花弁のように幾重にも重ねられた布、布、レースにフリル。


 重たい衣装に包まれて、歩いているのが奇跡のようだ。絶食状態で体力も落ちているだろうに、相当な苦役ではなかろうか。

 花嫁が僕たちの傍を通ると、焚きしめられた甘く爽やかな香が鼻先をくすぐる。思わずため息をつくと、どこかで誰かが喉を詰まらせる声が聞こえた。


(ああ、嫌だな)


 一瞬そんな考えが僕の脳裏をよぎってしまう。物見遊山で来たよそ者がいていい場所ではないのではないか? と。僕は自分自身を、「好奇心を満たすためなら他人の喉笛にだって噛みつく」と定義しているのだが、ひどく居心地が悪い。

 だが、今は立ち上がるわけにもいかないのだ。


 基本的な式の流れは、アジガロの時とたいして変わらない。新郎新婦が飾り角に誓いのリボンを結び、互いの指をアウク短剣で刺して血を舐める。

……のだが、イチシリボンが登場する前に、新郎新婦の親族と関係者各位による怒濤のスピーチが差し挟まれた。


 おかげさまで、生け贄になる二人がいつどこでどのようにして生まれて育てられてそれぞれ人生のイベントを経て、今日この日のために準備してきたかみっちり分からされてしまった。なまじ見知らぬ人間が死ぬと思うより、余計辛くなってくる。


 そしてひっかかるのが、コーオテー役として紹介された公爵令嬢・ルヴィルヒア〔Rwielfiger〕の名だ。それは贄の赤色スタンザの語源になった赤き衣の乙女スタンジリヤル〔Stanzjrar〕の一人で、〝神々の娘〟を意味する。いかにも暗示的だ。


 飾り角に誓いのイチシを結ぶ時、ルヴィルヒア嬢の介添えをした女性は泣き出しそうな有り様で、自分の席に戻った時には耐えきれずすすり泣き始めた。目の前の相手は今日限りの命と思えば、無理もない。


 新郎新婦が互いの飾り角にイチシを結び……その段になって、お芝居が始まった。大聖堂の窓が閉め切られ、暗闇の中に照明が灯される。

 闇を丸く切り取った光の中に、聖歌隊から年長の少女が一人進み出てきた。とうとうとした語りに、背後の少女たちが後を追って唱和する形だ。



『太陽なき暗黒の時代、嘆きの時代

 人は寒さに震え、闇に怯えて生きていた

 おお、賢媛さかしきひめコーオテー立ち上がれり』


 これはタルザーニスカ神話における、太陽と月の誕生にまつわる物語である。照明に浮かび上がる花嫁は、その場に直立したままコーオテーの台詞を歌い出した。


「寒さには毛布を、闇にはともしびを

 ああ、けれどこれでは足りませぬ

 もっと炎を! もっと命の輝きを!

 世界を照らす聖なる炉を造るのです!」


 演劇であれば身振り手振りを激しく交えているところだろうが、彼女はあくまで淡々と歌い上げていた。聖歌隊がナレーションを挟む。


『人、コーオテーに従いて槌を取れり

 薪を集め、石を積み、油を練って、いく年月』

「ああ、ダメだ! 何をくべても火がつかぬ

 世界を照らす聖なる炉には、ただの火では足りはせぬ

 これにふさわしきは命の火

 誰かがその身を捧げて燃やす真なる炎のみ」

「では私が捧げよう!」


 ようやく花婿のムーカルにスポットライトが当たった。


「この先千年に光を灯せるなら、我が命惜しくはない」


 新郎の差し出した手を取り、新婦はその指を突き刺した。婚姻の契り、同時に戦士ムーカルの〝自己犠牲〟だ。アジガロの時とは順序が逆なのが不思議だった。


「見よ! ここに聖なる炉は燃え上がって、太陽が誕生せり!」


 コーオテーが宣言すると、それまでムーカルに当てられていた照明が消え、彼の姿が闇に沈む。だが二人の手は握られたままだ。


「ああ、ムーカル。お前だけを死なせはせぬ!」


 続いて握っていた新婦の指を新郎は刺した。互いの血を舐め合う二人の横で、聖歌隊が物語をしめくくる。


『コーオテー、太陽の火に飛び込みし

 その命焼きつくされ、また新たに燃えあがる

 夜の闇に輝く月に、賢媛の勇気と愛を見よ』



 かなりはしょったが、お芝居はそんな内容だった。本当は途中に戦士ムーカルの武勇を讃える下りなどもあったが、僕が削ったので彼の出番が薄く見えて申し訳ない。

 皇帝に捧げられるムーカル役は、神話にならって筋骨たくましい男子が選ばれる。食肉としては硬そうなものだが、そこは宗教性が優先されるようだ。


 また、アジガロの結婚式で聞いた歌にも、火の中に飛び込めというフレーズがあった。あれはこの神話と関係しているのかもしれない。

 太陽の誕生をそのまま表現するように、大聖堂が再び明るくなる。参列者たちは総立ちになって、万雷の拍手を送った。


おめでとうございますタリフカールシニ!」〔Tarýchkualsng!〕

ご聖婚おめでとうございますタリフキリ・オズ・ウリル・イェル=バシュルカ!」 〔Tarýchkirg ås ulir Hel=Basiewrqa!〕

おめでとうございますタリフカールシニ!」


 雨あられと降り注ぐ祝福に会釈しながら、新郎新婦は大司祭に伴われて、奥の扉へと退場していった。僕も一応おめでとうと言ったものの、なんとも釈然としない。

 カズスムクはそんな僕の様子にすぐ気がついた。


「浮かない顔ですね、イオ」

「それはまあ、そうですね。何しろこれから死ぬ人間が、自己犠牲の劇を演じさせられるのを見せられたのですよ。彼らがたどる運命を、自らの手で美化させるというのは、たいそう悪趣味だと僕は思いますね」


 さらに正直に言わせてもらえれば、醜悪にすら思えた。


「これから死ぬやつに、お前たちは不幸だ、哀れだ、だが助けられないと言うよりは、まだ慰めになるだろうさ。まっ、お前さんの言いたいことも分かるがね」


 ハーシュサクは僕の気持ちを見透かしたように、ぽんぽんと肩を叩いた。


「学者として見れば、興味深いですよ。食べる/食べられるという関係は古来、婚姻と関連づけられます。しかしこの場合、結婚する二人が両方とも祭儀の生け贄になる。人族の食人習俗でも、ある地域では性的な関係を持つことが可能な親族は、その肉を食べる時は注意を払います。例えば父は娘を、息子は母を、兄は妹を食べない。から。でも、あなた方にはそうした禁忌がない」


 ええ、とカズスムクがうなずいた。彼が亡くなった母親を葬儀で食べたことは、以前にも書いた。彼らの間では捕食関係と婚姻関係は切り離されている。


「しかし同時に、〝互いの血を舐める〟ことが婚姻の契りとされる。このへんの違いは興味深いですね」

「相変わらず、長話を始めた途端に元気になるのね」


 呆れたようにソムスキッラは生ぬるい笑みを見せた。そこで大事なことを思い出した、夏至祭礼の贄が太陽神話に基づくなら、怖い可能性が一つある。


「あの、話は変わるのですが、夏至祭礼の贄は火あぶりにされますか?」

「神話の再現にこだわるならそうでしょうが、焼くのは最初の奉納ガグリフ後です。燔祭タバッシは夏至祭礼で最も重要な調理ですが、生きたまま丸焼きにしても美味にはなりえません」


 まず味を問題にするところが、やはり食人鬼なのだなあと思わされた。

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