四 夏至祭礼《アルマク・トルバクッラ》ⰡⰎⰏⰀⰍ ⰕⰨⰎⰁⰀⰍⰖⰓⰓⰀ

其は碧血城から始まれり

其は碧血城から始まれり(前)

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六号月十八日 赤曜日スタンジリヤク

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 間抜けなことがあった。カズスムクとの講義の終わり、僕は何気なく目にしたカレンダーに気づいて、この世の終わりのように叫んだ。


「……もう祭礼週間が終わるじゃないですか!?」


 つい先日、五号月が終わって六号月に入ったと思ったのに! 祭礼まで、まだ十日以上あったのでは? いや、落ち着いて思い返してみよう。


 アジガロの結婚式から帰った後、僕は借りた付け角タギュクを買い取り、それをつけて生活するようになった。なにせこの方が評判がいいのだ。

 カズスムクを始めザドゥヤ貴族の面々は特に変わった様子がないが、使用人たちの態度が分かりやすく違っている。……まあ、前より話しやすくなってありがたい。


 ザデュイラルは夏至が近づくにつれ昼が長くなり、ついには夜になっても太陽が沈まない〝白夜〟に突入する。おそらくこれが、時間感覚を狂わせる元凶だ。

 遅くまで読書にふけって「なんだ、まだ明るいじゃないか」と思ったら、なんと夜中の零時前だった……なんてこともあった。


「日付けの意識も無くなっていたのですか、イオ。もうすぐ〝前夜祭〟も始まるのだから、しっかりなさって下さい」


 教鞭をもてあそびながら言うカズスムクに、「誰のせいだと思っているんですか」と物申す勇気はなかった。最近では、あれに叩かれることも減ったものだ。

 僕は空いた時間はすべて、典礼正餐語の自習と予習にあてていた。カズスムクの指導は日を追うごとに厳しくなり、そうでもしないとついて行けなかったからだ。


 タミーラクとソムスキッラの温かな激励がなければ、挫折していたかもしれない。夢の中でも講義を受けていたのだから、頭の体力はほとんど限界だったろう。

 だが僕は自分の限界を超え、曲がりなりにも正餐語の手話がものになってきた。するとようやく、カズスムクの教え方にも手心や慈悲という概念が追加されたのだ。

 やっと余裕が出来た時になって、夏至祭礼の開始まで残り数日を切っているとは!


「式典には、あなたも外国人列席者として参加するのでしょう?」

「もちろんです!」


 僕がザデュイラルへ渡航すると決まった昨年の内に、ハーシュサクは参加手続きを取ってくれていたのだ。ありがたい限りである。

 しかし、僕は忙殺されて肝心なことを訊いていなかった。


「そういえば、伯爵。前夜祭の式典というのは何をやるんですか? 叔父君ハーシュサクからは、皇帝陛下に捧げる贄のお披露目、としか聞いてないのですが」

「ええ。贄は毎年、迎えの馬車に乗って身を清めるための城に移り、式の直前までそこで過ごすのですよ。そして夏至と冬至の祭礼では、城から出て皇城へ向かう贄を見送るため、盛大な式典を催します」


 もちろん、これは貴族出身の贄に限った話だ。平民の場合、お披露目の式は特に無い。アジガロは、マルソイン別邸内に作られた離れに置かれていた。


「身を清めるというのは、何をするんですか?」

「健康管理ですね。肉の味を調ととのええるため、最低三ヶ月は食事も生活も全面的に管理され、奉納の一月前からは徐々に食事の固形物を減らします」


 僕は思い浮かんだ〝飼育〟という単語を、厳重に呑み込んだ。ウプトアの時のような失言はもうしたくない、決してだ。


「角が生え変わると一度は見学に行くのですが、美しく壮麗な宮殿で、多くの医者が常駐していました。名を〝碧血城ダギンリルグラム〟〔Daghjnlirĝram〕と言います」


 碧血ダギンリルとはすなわち赤い碧玉ダーギニのことで、タルザーニスカ半島からアポリュダード大陸まで、広く知られる伝説に由来する。

 紀元前四百年ごろ、飢えた主君の前でカナイア〔Kanaýa勇猛なる〕という騎士は自刃して、その体を差し出した。王は彼を食らって生き延び、荒廃した国を立て直したと言う。


 この時、忠実なるカナイアの角は、彼自身の血が固まって碧玉に変化したそうだ。仕えていた相手には諸説あるため、ここでは不明としておく。

 正直に言えばうさんくさい美談だが、ともかくそういう由来で碧血城と名付けられているのだ。〝碧血のカナイア、かの献身者のごとくあれ〟と。


(※編註……逆さ吊りにした食人種インカノックスの頸部を切って血を抜いていると、稀にだが角に血が溜まって赤く変化する現象がある。おそらく碧血伝説も、贄の角を赤く塗る伝統も、この現象から出発していると今日こんにちでは考えられている。

 つまり、カナイアは息がある内から、逆さに吊されていた可能性が高い)


「贄は皇城へおもむく数日前に断食を始め、胃腸を空にします。最後の晩餐から後、口にできるものは水分だけ。痛み消しのニフロムを飲めば、後は祭壇ウプトアに上がるだけです」


 同族食いの際、道徳以外の大きな懸念は感染症である。同種の生物を食べた時、相手が保有する細菌をそっくりそのまま、もらい受けてしまうのだ。

 豚が多くの宗教で不浄と忌み嫌われているのも、病気がうつりやすい危険性から来ると考えられる。まあ屠殺では、消化管にものが入ったまま潰すらしいが。

 とは言えども、より感染しやすい人間同士が食べるなら、そうもいかないだろう。だから生前から、入念に体内を綺麗にしておくというわけだ。


 しかし……カズスムクの説明は、そのままタミーラクの身に起こることだ。僕はふと、以前抱いた疑問を思い返してしまった。


――もしタミーラクを自分の贄として殺し、食らえるならば。あなたは喜んでそうしますか? と。


 訊けるわけがない。訊くわけにはいかない。僕だって、いつも自分の好奇心に振り回されっぱなしではないのだ。

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六号月二十一日 蛇曜日イヨデルヤク

夏至前夜祭

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 僕とマルソイン家の面々はレディ・フリソッカに率いられて〝夏の碧血城〟へおもむいた。彼女とまともに顔を合わせたのは、この時が初めてだ。


 レディ・フリソッカは甥っ子によく似た美女で、特に長く豊かな髪は芸術的な美しさである。しかし、今にも凍え死にしそうなほど血色が悪く、ガタガタ震えていないのが不思議なほどだった。肖像画では顔色良く描かれているので、僕が悪口を言っているように見えるだろうが、少なくともこの日は本当にそうだったのだ。


「本当にこのガラテヤ人を連れていくの?」

「はい、叔母上」

「そう」


 前日、カズスムクとの短い会話が、彼女の僕に対する言及のすべてだった。

 帝都ギレウシェの中心である旧市街の小島は、南北の陸地を分ける海峡に浮かんでおり、四つの碧血城がその周囲の小島や陸側に点在する。


 それぞれトロイエ〔Tloieh〕・サルエタ〔Zarréth〕・オプテホラー〔Optecgrh〕・ザダーミル〔Xudåmir〕で、三十六人の贄は自分が死ぬ季節の城に送られるのだ。

 夏の碧血城は、西側内海に浮かぶ小島である。そこは全体が城郭に囲まれており、外部につながる道は旧市街まで続く橋が一つ。


 これが使われるのは、贄が皇城へおもむくパレードの時だけだ。僕ら参列者は決められた時間に船で乗りつけ、橋の反対側から城郭の中へ入る。

 ここには貴族が食べる贄も一部あずけられており、パレード後、それぞれ連れ帰る手はずだ。

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