人食いの厨(後)

「では、イオには以後気をつけていただくということで。先ほどあなたが勘違いされたものは、我々の祭壇です」


 カズスムクは、これを大ウプトアウップタ〔Upptå〕と呼んだ。

 それは十字架と、十字部分を囲む二重の円環からなる独特の形をしている。太陽の十字架、あるいは車輪の十字架とでも呼ぶべき形――輪廻チャーグラ十字デーキだ。


 この環は十字の交差部分にかかる小さなものと、もう少し外側にかかる大きなものの二つがあり、生命ユワの循環を表すと言う。

 国旗にも描かれている、ザデュイラルのシンボルだ。


「手前の台は小ウプトアと言います。普段はこちらの石台で贄を奉納するのですよ」

「冬至と夏至、それに新年の祝い。この三つは大祭礼って特別なものだから、儀式でもでっかい飾り角ハロートをつけるんだ。するとだな、どうなると思う?」


 カズスムクの説明を引き継いだタミーラクは、そう問いかけた。僕は二つのウプトアを眺め、結婚式で見たアジガロの飾り角を思い出す。


「小ウプトアに横たわった贄を奉納しようとすると……飾り角がずり落ちる?」

「その通り!」


 にかっと笑ってタミーラクは手を叩いた。

 さっきまでもの凄く怒っていたと思うのだが、彼はよく表情が変わる。カズスムクはホールで出会った時からほとんど、静かな面持ちのままだと言うのに。


「大祭礼には大ウプトア、こっちの方が死に方としても名誉だ。血の流れには贄を寝かせた方がいいんだが、執行役はなるべく体を折り曲げずにやろうってわけだ」

「いろいろな工夫がありますねえ」


 カズスムクとタミーラクの説明を聞きながら、僕はウプトアを近くで見る許可をもらった。近づくと、表面には、終わりも始まりもない紐の結び目が延々と続く文様が施されている。これもまた、永遠と循環の象徴だ。

 それと、前面は真っ直ぐではなく軽い傾斜がつけられている。ここにもたれることで、胸を刺しやすいように計算されているのだろうか。


「贄は自分でここに身を預けて、腕を広げるのですか? それとも人が押さえる?」

「よしきた、見本になってやる」


 タミーラクは上着を自分のお目付け役に預けると、大ウプトアの前に立った。反転して背中を預け、腕を上げる。


「こうやってな、腕を環に通して後ろにやるんだ。自分で輪廻十字をつかむ格好で、上から布を巻いたりする」

「本当にやらなくてもいいのに……」


 実演してみせる友人に、カズスムクは呆れたような声を出した。


「そう言うなよ、カズー。俺は慣れてるし。お前もアウク出して、奉納の予行演習しろよ。あ、鞘から抜けってんじゃなくてな」

「君が言うなら。イオ、せっかく彼が協力してくれたのです、よくご覧下さい」

「感謝いたします」


 しぶしぶといった様子のカズスムクは、腰から短剣アウクを外した。鞘に収めたままのそれを持って、大ウプトアにもたれたタミーラクに近づく。

 やり方は以前、茶話会でも簡単に説明された。「腹部を切って手を差し入れ、心臓近くの大動脈を切って即死させる」だ。


「奉納の最後の手順は簡易なものです。まず、アウクで腹の皮を裂く」


 カズスムクは鞘の先を、タミーラクのへそ辺りに当てた。


「ニフロムが利いてることを祈ろう!」

「ウプトアに乗る前に、効き目を確認するだろ、ミル」


 言いながら、カズスムクはアウクの鞘は触れたまま、タミーラクの腹に手をかざした。それを上へと動かしていく。


「実際の儀式では、腹の傷口から手を入れて、横隔膜を破ります」

「そして心臓を見つけたら、大動脈を引きちぎる」


 タミーラクは環から腕を抜くと、自分の胸をとんと叩いた。彼は先ほど慣れていると言ったが、家庭では贄候補に儀式の予行演習をさせているのだろうか。


「ウプトアは扉なんだ。神々の世界と人間の世界をつなぐだけじゃない、今も昔もこれからも、すべての命と魂が通って、つながるための」


 タミーラクはそう言って説明を締めくくった。実際、ウプトアという言葉の語源は扉・出入り口・門などの意だ。本当に、磔刑台などと言うべきではなかった。


 そんな後悔と同時に、僕にはおぞましい気持ちもあった。こうした場所で、六歳の〝ネル〟やウェロウは死んだのか、と。

 そして一ヶ月後にはアジガロが、三年後にはタミーラクが、同じく腹を切り裂かれ、心臓を抜かれて死ぬのだ。今彼らが演じてみせたように。


「伯爵、無礼な質問をお許しください。……アジガロを殺すのが、楽しみですか? 彼を食べることができるのが」

「ええ、楽しみですね」


 カズスムクの返答は躊躇がなかった。本気でそう思っていると言うよりも、迷いなく答えねばならぬ、という意志が見える決然とした態度。


「嫌々殺されて食われるんじゃ、こっちもたまったもんじゃねえよな」


 タミーラクはそう言って笑う。

 人が死ぬ、食べるために殺される。

 そうしなければ飢えて死ぬから――彼らにとっては、まさに死活問題だ。


「……美味しいのですよ、ほんとうに。悲しさも恐ろしさも、すべて一緒に煮こまれて、骨までグズグズにとろけてしまう、そんな味です。誰もが泣きながらでも食べずにはいられない。あなたにはお分かりにならないでしょう、ガラテヤの方」

「分かりはしなくとも、知りたいのが僕です。あなた達の食人習慣は……複雑で、重たい。ただ、あなた方が〝人を食べる悪魔〟ではなく、どこまで行っても〝人を食べる人間〟なのだということが、分かってきたような気がするんです」


 カズスムクにとって、アジガロは十年来の従僕だ。それを自らの手で殺すことに、少なからぬ思いがあるだろう。けれど僕はこの時、それ以上何も問えなかった。


 例えば、タミーラクを自分の贄として殺して食べることができるなら。


 彼は――悦んで殺すのだろうか? と。

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