人食いの厨(中)
ザドゥヤ建築では、厨房が非常に重視されている。
ガラテヤでも貴族の城館などでは、厨房が別棟に分けられていることは珍しくないが、彼らの場合は母屋の三分の二近い大きさを取ることもざらだ。
「ちなみに平民の場合はどうなのでしょう? 家によっては、贄を殺して解体するほど広い厨房を持つことは難しいのでは」
「その場合は、公共の祭場を使いますね。ただ、解体した後で持ち帰った【肉】を扱わねばならないから、その場合でも神聖さではまったく劣るものではありません」
カズスムクとそんな会話を交わしながら、配膳室に到着した。
ここは隣接する食堂とは色ガラスで仕切られ、機能的に配置された食器棚と台でいっぱいだ。使用人の休憩や軽食にも使われるらしい。
「一度公共の祭場もうかがってみたいですねえ」
「今回の滞在の間は難しいでしょうね。また我が国にいらして下さい」
「ええ、是非に」
[この時のカズスムクの言葉は社交辞令だったろうが、僕は二度三度ザデュイラルへやってくる決意を固めていた。それが後々、ああなるとは……。]
「俺が生きてる間に来いよ」というタミーラクの冗談は笑えない。
配膳室の奥には渡り廊下へ続く扉があり、この先が厨房棟だ。厨房の出入り口には、手洗い場らしき水場があり、カズスムクは塩が入った丸い缶を差し出した。
「入る前に、口を塩ですすいでください。それから手を」
これは衛生上の都合だけではなく、身を清める意味もあるらしい。
それが終わると、口元を覆うベールのようなものを渡された。白い薄ぎぬで、端についた紐を耳にかけ、頭の後ろで結んでつける。
「簡易なマスクですね。特に装飾もないし……」
「そりゃ単なる使い捨てだぞ」とタミーラク。
なるほどなあと納得したところで、僕は厨房に入らせてもらった。
第一印象は天井が高く、明るく、清潔で、採光が良い。壁も床も美しくタイル張りされ、確かに聖堂じみた雰囲気がある。
かまどで火の番をしていた男性が、カズスムクたちに気づいて居住まいを正した。渡されたマスクのせいか、臭いはさほど気にならない。
僕は料理をしないし、厨房にもあまり縁がないので、ここの造りがどの程度風変わりか判断することは難しい。だから必死でスケッチを取った。
公衆浴場の風呂桶みたいに、ばかでかい鍋。薪の山。中庭や小部屋に続く、いくつもの扉。壁には大小さまざまなフライパンや調理器具がかけられている。
壁の一面には、大きな人体解剖図が男女と子どもの三人分かかっていた。
心臓、動脈、気管、肺臓、食道、肝臓、胃、脾臓、膵臓、腎臓、乳房、横隔膜、小腸、大腸、直腸、子宮、卵巣、卵管、精巣、舌、頬、眼、脳、喉、耳、腱、脚。
部位の一つ一つに、シビレやタン、コブクロといった食肉名がついている。
居並ぶ木の棚には、保存食が詰まった瓶や、調味料、香辛料が整然と並べられていた。足元の石畳には慎重に溝がつけられ、微妙な傾斜が水はけをよくしている。その果てにある側溝に、かつてここで死んだ者たちの血や脂が溜まっているのだろうか。
カズスムクが奥を手で指し示した。
「ここから先は、調理ではなく儀式のための場となります」
目隠しのカーテンは、天井から入ってくる自然光でぼんやりと光っていた。ハーシュサクが前に出て勢いよく開くと、充分に宴会だってできそうな大広間が現れる。
そこは色鮮やかな壁画が三方に描かれた部屋だった。大きな獣や武器を持った人間、太陽や月、植物、シンボリックな記号群、明らかに宗教的だ。
壁画の一面は両開きの引き戸で、その奧は贄の遺体を解体、保存する
大広間の中心に、十字架の
どちらも石造りだ。僕はぞっとして思わず足を止めそうになったが、好奇心に引っ張られて前へ進む。そこは採光がよく作られ、特に磔刑台は最も光が当たる位置に調整されていた。舞台のスポットライトのように。
見上げると、遥か高みから細長い垂れ幕が吊るされている。
「こちらの垂れ幕は、ここで死んだ贄の名前を刺繍して記録します」
横からカズスムクが垂れ幕を指した。
「つまり、次はアジガロの名前が入るのですよ」
「あんなにたくさん……?」
僕は途方も無い気持ちでもう一度垂れ幕を眺めた。この館の一番高い所から吊るされる三本の垂れ幕……その一つに何十人の名前が記されているのだろう。マルソイン家が何世代にも渡って食べてきた者たちが、これでもまだ全てではない。
[後に知ったことだが、この垂れ幕には〝ネル〟の名前も刺繍されている。ここではなく、マルソイン本邸の厨房に
僕はくらくらしながら、ついうかつな物言いをした。
「伯爵、あの磔刑台はなんですか」
「蹴っ飛ばすぞボケナス」
タミーラクがドスの利いた声を出した。一瞬で僕は血の気が引く。
「神聖な役目だっつったろうが。贄は刑罰で殺されるんじゃねえんだぞ」
「ミル、落ち着いて。
「まあな」
カズスムクにたしなめられ、タミーラクはやや深呼吸した。僕はもう平謝りするしかない。なんとも情けのない話だが、よくよく自戒しよう。
タミーラクは飢えた獅子のような恐ろしい形相でしばし僕を睨みつけていたが、ふっと顔の筋肉から力を抜く。
「まっ、今回はいいさ。一貸しだかんな。次は本当に蹴るぞ」
「はい」
彼に本気で蹴られたら、一生ぎっくり腰になる気がした。
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