人食いの厨

人食いの厨(前)

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五号月二十五日 黒曜日カズゼルヤク

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 僕ら二人は、新郎新婦と軽く話してすぐに帰った。

 ゆっくりと結婚式を見たかったのは山々だが、ハーシュサクは仮にもマルソイン家の一族で、僕はひと月前にやって来た外国人だ。

 親族や友人ばかりのめでたい席に長居されても、はなはだ迷惑だろう。


「イチシってのは元々、自前の角に結ぶものなんだ」


 その代わり、帰りの馬車ではハーシュサクが色々話してくれた。彼のような多弁家は、物好きな僕にはありがたい。が……。


「結婚式じゃ着飾りたいから、自然と飾り角に結ぶようになったが、今でも新婚初夜には夫婦がお互いの角にイチシを結ぶ。つまり〝角を結ぶ〟〝イチシをかける〟はザデュイラルじゃ夜の営みのことを言うんだ、気をつけろよ」


 彼は少しでも性的な話題になると、そのおしゃべりに拍車がかかる。僕は聞き流しつつ、アジガロに渡されたみやげに話題を変えた。


「このは、どうしたらいいんでしょうか」

「そりゃ食べるに決まってんだろうが」


 僕が膝に抱えた布包みは、野外祭壇に用意されていた女神像の破片だ。

 婚姻の契りを交わしたアジガロとジアーカは、その直後に司祭から渡された剣で女神像の胸を貫いた。そして司祭や助手たちが木槌で像全体を叩き壊すと、中に詰めこまれた菓子類が姿を現したのである。なんとあの女神像は焼き菓子で出来た大きな器で、器の破片と中の菓子が参列者全員に配られるならわしだと言う。


 聖典に登場する預言者や伝道者は、しばしば異教の神殿や神像を打ち壊す。しかし、その信徒であるはずの人間が自らの神を叩き壊すなんて、聞いたことがない。

 ハーシュサクは呆気に取られていた僕に、次のように説明してくれた。


「あれは聖体料理テムトールブ〔Temtơlb〕つってな、ユワはそこかしこにおわすが、たまにほしい時は、後で食べられるように形を作って出すんだ」


 祭りや儀式の時、その都度作って、最後に壊す「食べられる神像テムトールブ」。彼らは【肉】を食らうことでユワを食らい、また自らもユワに食われる。神が生きとし生けるものすべてに宿るユワならば、わざわざ像を作る必要はなく、また、形を現したならば、食べることも必然だ。人間がユワからでて、作物としてこの世に生まれ落ちたように。

 ガラテヤの宗教とはかなり異なるが、注意深く分析していくと発想の共通点、源流を見出すことができる。ハーシュサクの説明を思い返して、僕は一つ気がついた。


「そういえば、お屋敷内の礼拝堂には神々の像が設置されていませんね。あれも、必要が無いから?」

「そうだな。ま、祭宴パクサじゃ職人に注文したやつが出てくるから楽しみにしとけ。聖体料理の食べ方、見せてやろうか」


 言いながら、ハーシュサクは僕が持っていた布包みを勝手にほどくと、枝角部分の破片を取った。犬歯を突き立て、バリっと豪快に噛み砕く。もの凄く固そうだ。


「まあ食ってみろよ、あまり旨いもんじゃないが、縁起物だからな。健康と長寿の」

「悪い冗談ですよ」


 新郎は来月にも死ぬと言うのに!

……笑えない気持ちで、僕も女神の角を噛った。ほの甘いが、かなり噛みごたえのある焼き菓子に、砂糖を練った花がついている。まるで味がしない。

 タミーラクは、パンとぶどう酒のどこに神が宿るのか、と言っていた。だが神の似姿であれば、それは彼らにとっても神が宿るに値するのだろう。



「思ったよりも早いお戻りですね、叔父上」

「なんだよイオ、新郎新婦を質問攻めにしなかったのか?」


 マルソイン別邸に戻ると、ホールに居合わせたカズスムクと、遊びに来ていたタミーラクの出迎えを受けた。二人とも意外そうな顔だ。


「僕にも好奇心以外の情ぐらいありますよ、伯爵。参列させていただいただけで、身に余る光栄です。良い式でした」


 アジガロは十代のころからマルソイン家に仕えており、先代のアンデルバリ伯爵が亡くなる前に、一二六七年の夏至祭礼の贄にと指名されたそうだ。

 その時点で退職してゆっくり過ごすことも出来たが、彼は当時から付き合っていたジアーカと、彼女が将来産む子供のために出来るだけ稼いでおきたいと考えた。

 贄となったアジガロの家族には、彼の死後、多額の金銭が給付される。ジアーカも出産後は国から補助金をもらえるが、母子家庭は色々と心もとないのだろう。


婚姻の契りバシュルカは見たんだよな? カズーの結婚式、介添え役は俺なんだぜ」


 誇らしげにタミーラクが語ると、傍らでカズスムクも嬉しげに微笑む。ハーシュサクが後に続いた。


嬢ちゃんキュレーがマルソイン伯爵夫人になるまで、あと二、三年か」


 つまり、タミーラクはカズスムクとソムスキッラの結婚を見届けた後、贄になって死ぬのだ。彼の人生の終わりは、なんとも具体的に予定されている。

 何気ない一言は、変えがたい現実を告げていて、浮ついた空気が冷めるようだった。それを察したように、ハーシュサクは「オレは休むわ」とその場を辞した。


 僕らが付き添いの礼を述べて見送ると、彼は背を向けたまま手をひらひらと振って、階段を昇っていく。その姿が見えなくなるのを待って、カズスムクが提案した。


「イオ、時間もあることですし、厨房の見学はいかがですか。古祭アルマク当日には入ることになりますから、今のうちに予行演習ということで」


 それは願ってもいない話だった。人む国のくりやを、ついに!


「そりゃいいな、ここに〝贄役〟もいるし」


 僕のときめきは、タミーラクの発言でたちまち冷えた。カズスムクが「そういうつもりじゃない」と、固い声音をもらす。タミーラクだけは、ただただ朗らかだった。


「何だよ、分かりやすくていいだろ、カズー。それに、ガラテヤ人は料理一つろくにしねえって聞くぞ。どうだよイオ、お前。厨房に入ったことあるか?」

「縁遠いですね。台所は使用人の領分ですから、伯爵が台所へおもむかれると言うのも、奇妙に思えます。洗い場スカラリー蒸留室スティル食器庫パントリー酒蔵セラー……目に触れない裏方の世界ですよ」


 納得がいかなさそうに、カズスムクは軽く自分の角を指で叩いた。

[これは「そんなバカな」の控えめなジェスチャーだ。]

 一方のタミーラクは、我が意を得たりと得意げだ。


「ほらなー! 三人で厨房見学と行こうぜ、カズー」

「自分の口に入れるものを、そうして隠してしまうのですか」


 カズスムクの口調には、信じられないと言わんばかりのニュアンスがほんのりと漂っていた。一ヶ月前なら、もっと澄ました氷の微笑で隠していただろう態度だ。


「料理ができるかできないか」は貴族に限らず、ザドゥヤ人全般にとって非常に重要なステータスらしく、それができないとは、信じられないほどの恥らしかった。

 だから料理しない人間というものに、彼らはあまり縁がない。

 そこでタミーラクから、衝撃的な話が飛び出した。


「料理ができれば色々と便利だぞ、イオ。大学だって料理できねえ奴は門前払いだ」

「えっ。受験でも料理の腕前がいるんですか!?」

「むしろ料理しなくても、大学に入れるのが信じられねえよ」


 なるほど、大学の受験や面接が学力の他に人品じんぴんを判ずるためのものであれば、料理を通してそれを問うのは妥当かもしれない。さすが食の国ザデュイラル!


「生け贄を殺して、解体して、調理する、そのすべてがユワに捧げる祈りそのものです。ゆえに厨房は神聖な場所。ここを見ずして我が国を語ることはできません」


 気を取り直したカズスムクに案内され、僕らは屋敷の北西部へ向かった。

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