末つ方の婚礼(後)

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五号月二十五日 黒曜日カズゼルヤク

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 この式はごく簡易なもので、新郎新婦が婚姻の契りバシュルカを交わした後の食事会も、典礼語手話を用いない。したがって、大声で騒がなければ雑談なんかもできる。僕は隙あらば、気になったことをハーシュサクに訊ねた。


「こういう野外の結婚式って普通なんですか? あと、妙に恐ろしげな歌ですが、これも普通? それとも、僕にだけですかね」

「場合によりけりだな。広場じゃ野外挙式する贄は多いんだが。ああ、歌は定番だ。お前さんになんて聴こえてるかは知らんが、歌詞は分かるだろ?」


 ザデュイラルの音楽には、しばしば「角で聴く音」が織り込まれており、僕には一部のメロディを聞き取ることができなかった。幸い、角で聴く音は彼らにも発声できない音域なので、言語上の影響はない。


 司祭が片手を挙げ、歌が止まった。ここからが介添え人たちの出番だ。花婿に一人、花嫁に一人、介添えに指名された友人は細長い箱を捧げ持っている。


 箱の中身は、複雑かつ精緻せいちな刺繍が施された飾りリボン〝イチシイーチーシ〟〔Jithis〕だ。「豊穣ほうじょう」を意味する古シター語で、夫婦の円満と子孫繁栄を願って、親から子へと伝承される。新郎新婦は祭壇前で向かい合った。


「なんじユワの子ら。新郎、アジガロよ」

「はい」


 呼ばれてこうべを垂れた彼に、新郎側の介添えがイチシを手に近寄る。それを飾り角に結びながら、友人はアジガロに祝いの言葉を投げ、肩を叩いて離れた。

 次に司祭は新婦ジアーカとその介添えを呼び、女友達同士で同じ行程がくり返される。介添えの女性は、花嫁を抱きしめて祭壇から離れた。


 飾り角から垂らされたイチシが、風に吹かれてきらきらと揺れる。それは力強さと同時に、がらんどうのような寂しさがあった。晩春の名残りも濃い空気に若葉の香りが混ざって、生命の気配そのものみたいなのに、場の中心に死の匂いがある。

 司祭の声が、容赦なく時計の針を進めた。


「新郎アジガロの命は、新婦ジアーカの中へ」


 アジガロは自分のイチシを、ジアーカの飾り角に結んだ。


「新婦ジアーカの命は、新郎アジガロの中へ」


 ジアーカも自分のイチシを、アジガロの飾り角に結んだ。


「今この時をもってなんじら夫婦となり、互いに一つとなりしユワに、その血そそぎたまえ」


 アジガロは、ジアーカの腰から彼女のアウク短剣を抜いた。抜かれた刃が陽光にきらきらと光る。花嫁が差し出した手を取って、まるでダンスが始まるみたいだ。

 花婿は優しく手首を握ると、よどみない仕草で薬指の先を刺した。僕はびっくりしたが、周りはしんと静まり返っていて、見守ることしかできない。


 ぷっくりと血の玉が浮かぶまで、ほんの数秒。

 アジガロは口づけるように、その血をそっと舐めた。

 アウクを収めたら、今度はジアーカの番だ。同じようにアジガロのアウクを抜き、手を取り、薬指を刺して血を舐める。

 その瞬間、参列者から熱い歓声が上がった。


結婚おめでとうタリフキリ・バシュルカ――!」〔Tarýchkirg Basiewrqa!〕

おめでとうタリフキリ――!」

おめでとうタリフキリ! おめでとうタリフキリ!」


 そういえばハーシュサクから聞かされた猥談でも、「相手の血を舐める」行為が何度か登場したから、これはエロティックな場面だったのだろう。

 二人は照れくさそうに観衆に笑いかけてから、互いにきつく抱擁を交わした。リボンで結ばれたままの飾り角がごつごつとぶつかっているが、気にもかけない。


 祝福、歓声、笑いさんざめく声。その中心にいる二人は、今まさに幸福の絶頂にいる新婚夫婦と言うよりは、もう何十年も連れ添った老夫婦のような静けさだった。

 またたく間に過去へと変わっていく一瞬一瞬を、遥か昔のことと思い返してでもいるような、悟りきった顔つき。共に歩む日は短い、日々を追いかけろ。

 その時の僕が思い出していたのは、先週ハーシュサクと交わした会話のことだ。

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五号月十九日 白曜日サヴィタルヤク

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 注がれていくぶどう酒を見ながら、僕はぼんやりとカズスムクのことを考えていた。〝ネル〟のこと、死んだカナリヤのこと、そしてタミーラク。


伯爵カズスムクは……やっぱり、トルバシド伯タミーラクのことで苦しいのでは? だから、僕みたいなのに興味を持たれた。いえ、ありがたい話ですが」

「だろうな。珍しくもない話だ、角の生え変わりニマーハーガンの祝いは聞いたんだったよな、皆ああして、周りのやつを食ったり、食われたりするのを見て生きるんだよ。オレも七年前には、一人息子を贄に召し上げられた」


 ハーシュサクは、思い出したようにぶどう酒をあおって言葉を切った。


――もともと予定になかった者を捧げることとなったのです。


 七年前、カズスムクの従兄弟なら年齢は近いはずだ。十歳になるかどうかの子供を、兄の命令で差し出したハーシュサクの胸中はいかばかりだっただろう。

 ザドゥヤの人々にとって、誰かが贄に出されて死んだこと、自分が贄に選ばれていることは、あまりにありふれていて、隠すということがない。


「どんな味だったと思う? まだ小さかった、自分の一人息子の【肉】は」


 その瞬間、ハーシュサクの瞳が鋭い光を放ったような気がした。あるいは、ワイングラスが部屋の灯りを反射しただけかもしれない。

〝分かりたくもない〟――一般的なガラテヤ人の感覚ならば、そう答えるところだろう。けれど、確実にそうだという答えは僕にはもう分かっていた。


「さぞかし美味しかったことでしょう」

「ああ、美味かったよ」


 微笑みながら、ハーシュサクはまた酒杯をあおる。だいぶ顔が赤い。


「お前さんはさ、実際どうなんだ。人間を合法的に食いたくて、ここへ来たんじゃないだろうな? わざわざそいつを食べなくても、お前さんは飢えない身だってのに」

「信じていただけないでしょうが、違います。僕は、人を食べねばならない人が、どんな気持ちでそれを為しているか確かめたかっただけですよ」


 はん、と。ハーシュサクがはっきりと、鼻で笑った。


「別にいいんだぜ、人間を食ってみたかったって言っても! そもそも祭宴パクサに出るからには、食べないのも失礼ってもんだ」


 これまでの僕はこの国に来て、自分が見るもののことしか考えていなかった。けれど、彼らにとっては? 人を食べたことも、食べるために殺される人を見ることも、人を食べる必要もない身の上の僕は。どんな生き物に見えていたのだろう?


「お前さんも、もっと飲め飲め。オレだけ酔ってシラフってのはナシだろうが」

「……そろそろ飲み過ぎじゃないですか」

「オレがこうして酒の海に出るように、カズスムクはあんたの話で少しだけ酔っぱらいたいんだ。何も解決しない、できない時間にだって価値がある。人生なんざ、飲んだくれる合間にやっときゃいいんだよ」


 飲んで、笑って、ハーシュサクは朗らかに振る舞う。

 けれどその声音の奥底に、生ぬるい疲れが横たわっているように思えた。いちいち何かを悲しんで、それに付き合うのも面倒だ、という投げやりな温度。


 僕は所詮、異種族の異邦人なのだ。

 ガラテヤの価値観で言えば、人食いも生け贄も許されることではない。アジガロも、タミーラクも、何も死ななくても良いだろうとは思う。だが、ザドゥヤに人を食うなと言うのは、滅ぼしてやるという宣戦布告にしかならない。


 ハーシュサクの生ぬるい疲労感を、僕が知ることはないだろう。カズスムクがガラテヤの話を聞きたがる内心も。殺されることを承知したアジガロや、タミーラクの気持ちも。それを見送る人々の思いも。何一つとして。

 彼らの人肉食について、僕は何もできない、するつもりもない。そんな権利も資格も、持ち合わせちゃいないのだ。理解しきることは永遠にできない。


 けれど、それでも〝知りたい〟のが僕というものだ。

 ただただ記録して、編纂して、研究する。それだけが唯一の使命だ。

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