ただ一度の〝最高の料理〟(後)
◆
大聖堂を飛び出して、庭園を突っ切って、走る、走る。運動不足の体が僕を裏切って、胸は痛むし足はもつれて転んだ。それでも走るのをやめられない。
僕はこれまで、ザデュイラルで見るさまざまな文化や風習に驚嘆し、また感動してきた。それは嘘じゃない。
けれど、たびたび覚える嫌悪感や不快感、困惑、僕の宗教観や倫理観と対立するもろもろを、自分の好奇心を優先するあまり圧し殺してきた。
そのつけが回ってきた――コガトラーサ家の温かな風景が、僕の中にとうとう〝魔族とは分かり合えない〟と断絶した感覚を与えたのだ。
なぜなら、僕は信じたくなどなかった。我が子を殺す父親も、父に殺されることを受け容れる子供も、ましてや我が子を料理して供する、それが素晴らしいことのように言われる状況を。今まで知っていた道徳も、信仰も、理性も、何もかもがそれと反して、僕が知る世界の道理がどこにもない。地獄に堕ちろとさえ思う。
タミーラクは明らかに「恵まれた」子供だ。裕福な家庭で何不自由なく育ち、両親が健在で、愛情と教育をたっぷり受け、大きな病や傷を持つこともなく、尊敬される父親の手で名誉に死ぬ。アジガロとは贄として格が違いすぎる。
だが、それでも、
――これがおぞましい死でなくてなんだと言うのか!
僕は城郭の外に転がるように出て、船着き場から海に向かって吐いた。タミーラクのパイも、茶も、今朝の朝食も、胃液に至るまで残らずげえげえとみっともなく。
僕の胃袋は、ものを食べて収めて消化するという自分自身の機能におぞけを震って、自らの役目をすべてひっくり返そうとしていた。
そして僕自身もがそれに大賛成なのだ。食欲がないどころか、食に対する憎悪さえもが、この時の僕と僕の体に芽生えていた。
食べなくては生きられないということは、別の生きものを殺さなくてはいけないということで、それは鳥、魚、獣、植物、人、なんであれ例外はない。命を〝あちら〟から〝こちら〟へ移す、終わりのない作業だ。ザドゥヤたちが言う輪廻転生ではない、生きている限り奪い合うしかない、どうしようもない債務履行なのだ。
「
眼帯の伯爵は、いつものように涼やかな声で、よどみなく呼びかけた。振り返ると
「
彼がなんと言っているのか、頭の中で解すのに時間がかかった。Dams(どこへ)、ul(あなた)、dinsifyel(許可)……「勝手にどこへ?」と言われている。
――私は、大事な友達が死んだ時、その体を食べられないということが、ひどく恐ろしかったのです。
ああ、分かった。ずっと抱えたまま発せなかったあの疑問の答えを見つけた。
――あんなに大好きだったのに。その命が私の血にも肉にもならないのなら、
もし自分の贄として、タミーラクを食べることができるのならば。カズスムクは悦んでそうするのだろう、彼を殺して食らうだろう。
だって「食べてあげないと可哀想」だなんて言っていたじゃないか!
何が碧血だ。何が聖婚だ。
ここでは誰も彼もが、隣にいる相手を食いたがっているんだ。どれだけ礼儀作法や文化で取り繕っても、どいつもこいつも本能に抗えないけだものに過ぎない。
「……
この二ヶ月で少なからず親しみを覚えていたカズスムクが、僕にはもう化け物にしか見えなくなっていた。いくばくか外見が似ていても、通じ合える心など持ち合わせていない異質な怪物。見ているだけで反吐が出そうだ。
初めて会った時は麗しくさえ思えた目鼻立ちも、今や影法師のようにのっぺらぼうになってしまった。こんな奴は知らない。だから彼がその時、どんな顔で僕の罵倒を受け止めたのか、ついぞ確かめることはできなかった。
「
聞かなかったことにしましょう、と。カズスムクは抑揚なく言って、きびすを返した。後でちゃんと船の時間に来てくださいよとか、親切めかした忠告までつけて。
僕は彼がいなくなった後も、その場で吐いたり、泣いたりしていた。
気がつくとパレードは始まっていて、城郭の向こうから、音楽や歓声や演説や歌が聞こえた気がする。もう、僕にはこの祭礼を直視する勇気さえない。
……ああ、そうだ。
ガラテヤに帰ろう、今すぐに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます