はなむけの肉、黒太陽の眼(中)

「私がタミーラクと初めて出会ったのは、三歳か四歳の時でした」


 どこから話すべきか迷ったのか、カズスムクは最初も最初を選んだ。

「父シェニフユイが大トルバシド卿に弟子入りして数年、互いに歳の近い子供がいるから、良い遊び相手になるだろうと二人が引き合わせたのです。その時は、〝ネル〟とウェロウも一緒でした。私たち四人が、最初の遊び仲間だったのです」


 そこから先の数年については、これまで僕が聞いた話からもだいたい察せられる。

 子どもの角が抜け落ちて、大人の角に生え変わり、お祝いにカズスムクは〝ネル〟を、タミーラクはウェロウを、それぞれに食べてしまう。


 何も知らなかった子どもたちは、やがて互いが「大人になって生きていくカズスムク」と「大人になったら死ぬタミーラク」だと気がついた。

 ここまでは、ザデュイラルの貴族にはよくある思い出話だ。特別なことなど何もない、皆、こうして一つ一つ大人になっていく。だが。


「母を亡くしてから、やっと私は〝タミーラクが生け贄になって死ぬ〟ことの重要さに気がつきました。私はほんの少しだけ、諦めの悪い子供だったのだと思います」

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一二五九年 カズスムクの述懐

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 九歳のカズスムクは、小間使いメイドの一人にいたるまで自室を人払いし、同じく九歳のタミーラクと二人きりになった。このころの彼は、長く伸ばした髪を一本の房に編みこんで、父や兄に付き添われて遊びに来ていたものである。


「カズー、ナイショの話って? 早く教えろよー」


 窓の外や部屋の外を何度も確認し、用心に用心を重ねる親友をタミーラクは急かした。退屈だぞ! と言わんばかりに、足をぶらぶらさせて長椅子を蹴る。

 カーテンを閉め直し、カズスムクは「君にお願いがあるんだ」と切り出した。


「お願い?」

「ミルは生け贄になって死んじゃうんでしょ? なのに、ぼくは食べられない」


 言われて、タミーラクは顔を曇らせてうつむいた。


「俺だって、お前にも食べさせてやりたい。けどさ、父上も兄上も、ダメだって言うんだ。親せきじゃないし、兄上は灰のこと、まだ怒ってるし」

「だから、どうやったら君を食べられるか、ずっと考えてたんだ」


 カズスムクは隠しておいたガラス瓶と、自分の短剣アウクを取り出した。それを小皿と一緒に、長椅子の前の小卓に載せる。タミーラクはぞっとした眼で短剣を見た。


「この瓶は、毎日少しずつ厨房から集めたニフロム。こっちはぼくのアウク。瓶いっぱい飲めば、どこを切っても平気だよ」


 タミーラクは「ダメだ!」と叫んで立ち上がった。青ざめた顔でカズスムクの肩をつかむ。皇帝の贄を損なった者がどうなるか、彼はくり返し父兄に脅されていた。


「勝手に俺を食べたら、お前、皇帝陛下に処刑されちまう。どんなに子供でも、すごく苦しめられる、〝生き地獄〟だぞって!」

「でも、ミルがぼくを食べるなら大丈夫だよね?」


 それは幼いカズスムクが、夜も眠れないほど考えに考えた末の思いつきだった。ぽかんとした顔の親友に微笑んで、流れるように語りだす。


「君を傷つけたりなんかしない、ニフロムはぼくが飲むんだ。だって、君がいなくなるなんて絶対にイヤだけれど、一番さびしいのはミルの方じゃないか。死んじゃったら、ミルからはみんながいなくなって、一人ぼっちになっちゃうから」


 母親、飼っていたカナリア、そして弟。次々と重なる〝死〟を経て、親友の運命を想い続けて、カズスムクはある日それを悟った。


――死んだ誰かがこの世界から消えるのならば、死んだその人から見れば、自分以外の世界がすべて消えてしまうのではないか?


 それはどんなに残酷で、恐ろしいことだろうか、と。

 初め、タミーラクは言われたことが分からなかったかのように、きょとんとしていた。それから、びっくりした顔になったきり固まってしまう。


「父上は、ユワのもとに行くって。ご先祖さまや、おじいさまのおじいさまとか、そういう人たちがたくさんいる処で、次に生まれて来るのを待つって……」

「ミル、ご先祖さまの中に、知ってる人っている?」


 いない、とタミーラクは首を振った。編んだ髪がしっぽのように揺れる。貴族の館であれば、祖先の姿は絵画に留められ、そこかしこに飾られているものだ。

 けれど、子どもたちにしてみれば、絵の中の人たちなど他人に等しい。タミーラクは放心したように、長椅子に腰を下ろした。


「どうしてミルだけ、知らない人たちの処に行かなきゃいけないんだろうね」


 物憂げに言いながら、カズスムクはタミーラクの隣に腰かける。


「だって俺、スタンザだぜ」

「そうだけど、ひどいよね」


 だから、とカズスムクはアウクの鞘を払った。


「だから、ミル。お願いだからぼくを食べて。そうしたら、いっしょに死ねるから」


 何を差し出しても、彼を一人ぼっちにはしたくないから。

 昼の光にきらめく刃をぼんやりと見つめ、タミーラクは慎重に確かめた。


「本当に、俺に食べてほしい?」

「うん。君が食べたら食べたぶんだけ、ぼくの命をあげられる。もしこれから戦争になって、ぼくが敵に食べられても。その前に君がぼくを食べていたら、きっとまた会える。すごくいい考えだって思うんだ!」


 この時の晴れやかな喜色は、カズスムクにとって生涯最高の笑顔だった。

 世界中の暗闇をなぎ払った、太陽ムーカルのように見えたらいいと願って。彼だけを死なせなかったコーオテーのように、命をかけて笑うのだ。自分は黒い太陽カズスムクなのだから。


「ありがと」


 短くそっけない言葉の後、タミーラクが抱きついた。彼の右角が、カズスムクの胸にきつく押しつけられる。やがては贄の証しに赤く塗られる角が。


「ありがとう、カズー」


 そのままタミーラクが泣き出すと、彼も堪えきれず一緒に泣いた。最初は小さなすすり泣きで、やがてわんわん声を上げながら、誰か部屋に来ないかと冷や冷やした。

 しばらくかけて泣き止むと、タミーラクは体を離して、


「でも、お前は死んじゃダメだ、カズー」


 きっぱりとそう告げる。


「お前は次の伯しゃくだろ。俺がいなくなっても、ちゃんと生きろよ。約束するなら、一口だけお前を食べるよ」

「うん。約束する」


 タミーラクは自分のアウクを取り出すと、それを鞘に収めたままカズスムクの胸に触れさせた。ザデュイラル伝統〝誓いゴーアの儀〟〔Ghoa〕だ。


「約束破ったら、お前の心ぞうをもらう」

「あげてもいいけど、約束します」

「こら! やり直し!」

「約束します」


 タミーラクは「よし」と満足してアウクをしまった。これで誓いの儀は完了である。今度はカズスムクがアウクを使う番だ、彼はニフロムを飲み干した。


「ミル、どこがいい? どこが欲しい?」

「眼」


 タミーラクの返事は迷いがなかった。


「おれはカズーの眼が欲しい。きれいで、アメみたい」

「わかった」


 たぶん甘くないけれどね、と言って、彼はアウクの切っ先を眼に突き入れた。ぷつっとした感触と共に黒い点が見えて、視界が真っ赤に染まる。

 誤算だったのは、ニフロムは言われているような痛み消しとはちょっと違う、ということだ。痛いことには痛かった。ただ原材料のケシがもたらす多幸感が、痛みに耐えられるようにしてくれるだけである。それでも役には立った。


 もう一つ誤算だったのは、眼球に直接刃を立ててしまったので、思っていたように綺麗に取り出せなかったことだ。小皿の上に転がった眼は、破れて水分がじわりと広がっていた。スプーンを使えば良かったかな、と後に気がついた。

 小皿を押しやると、青い顔でこちらを見ていたタミーラクは、慌ててそれを口に放り込んだ。もにもにと、緩慢に口を動かし、飲み下す。


「どう? おいしい?」

「わかんねえ」

「もうちょっと食べる?」

「うん」


 言いながら、タミーラクはアウクを取り上げて、刃についていた血を舐めた。ついでカズスムクに覆いかぶさると、舌を伸ばして顎に口づける。流れる血の川を下から舐め上げて、空っぽになった眼に吸いついた。


 生の血液を飲んだことはあまりないから、タミーラクは美味しいと思ってくれたかが心配だ。そんなことを考えていると、急に気持ちが悪くなってきた。

 眼を開けようとしても辺りが暗くて、頭がくらくらする。


「カズー? ……カズー!?」


 こだまのように、タミーラクの声が遠い。瞬く間に体の感覚があやふやになって、自分が立っているのか横になっているのか分からない。


 自分で眼を抉り出したダメージは、カズスムク自身が考えていた以上の負担を体に強いていた。それでなくとも、ニフロムは過剰摂取寸前である。

 九歳の子供がいつまでも耐えられるはずもない。彼は倒れて、横たわったまま飲んだものを吐き出し始めたらしい。


 タミーラクが人を呼んでくると、大騒ぎになった。伯爵家の嫡子が片目を抉られて気絶しているのだから、無理もない。

 当初は大々的な犯人捜しが行われたが、意識が回復したカズスムク自身と、タミーラクの証言から事の次第が明るみに出ると、マルソイン・コガトラーサ両家は事態の沈静化に大わらわとなった。


 一時期の社交界は、この由々しき事件を誰もが噂したものだ。

 贄候補の子供に、同い年の子供が自分の眼を食べさせるなど、マルソイン家の跡継ぎは頭がおかしい、と。早めに噂が鎮火したのは、ハジッシピユイがタミーラクの評判を落とされないよう手を回したことは明らかだった。

 そして当然ながら、渦中の二人はしばらく引き離されることとなったのである。

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