灰とザクロの哀惜杯(中)
「トルバシド伯のお父上はすごい方なのですね」
居心地の悪さを隠して、僕はこの会話を続けた。
「ええ、あの方は料理の天才で、若き日の皇帝陛下にも手解きなされたほどです。父も弟子の一人でした」とカズスムク。
「何だか不思議ですね。あなた方の食卓に、魚料理や鳥肉料理がのぼることはない。食材がここまで限定された食文化を、僕は寡聞にして知りません」
鳥の卵は彼らにとってフンと同じ。ならばと僕は興味があった。
「仮にですが、鳥や魚を食べてみたい、と思われたことはありますか?」
「あれを食おうって発想がまず怖いね。海藻とは違うんだぞ」
話題を変えた僕の質問に、タミーラクは露骨に嫌そうな顔をした。ソムスキッラはそっけなく「魚が泳いでる姿は嫌いじゃないわ」と回答。
「海老やイカ、タコはいかがですか」
空気が凍りつき、人の視線が刃物に変わる瞬間を肌で味わった。無私の背景に徹しているはずのアジガロさえ、一瞬顔をひきつらせたくらいだ。
カズスムクだけは目も鼻も眉も動かさないが、あらゆる気色と温度を引き潮のように下がらせた、ますます無関心で冷たい面持ちに見えた。
冗談じゃない! と鼻にしわを寄せ、タミーラクが苦々しく言う。
「海老とか海のでかい虫だろ……ガラテヤってのは虫も食うのか」
「食べませんよ。まあ僕らが食べる海老のしっぽと、昆虫の殻は同じ材質だって言いますけれどね、それを知っているからって食べたいとは特に」
タミーラクは吐き気をこらえるように、顔を歪めて首を振る。
「本当か? どっちも脚がいっぱい生えてんのは同じだろ。海の虫は良くて、陸の虫は食わねえとか、お前らの言うことは信じられん!」
まさか、海老の話がそんなに嫌がられるとは思わなかった。僕はシーフードと肉の盛り合わせを頼む時は、必ず海老の串焼きを選ぶし、海老のグリルも好きなのだが。
「世界には昆虫を食べる国もありますよ。子供のころから食べる習慣があれば、やはり違うのでしょう。食文化です。あと貝類とか……」
「海産物の話はもういい! 焼こうが煮ようが、口に入れたく……、あ」
おぞましげに言いながら、タミーラクは何か思い出したように言葉を切る。
「鳥……鳥なら食べたな、俺たち」
「えっ。それはどういう状況で?」
「鳥を? そうなの、カズー」
軽く僕は前のめりになった。ソムスキッラも初耳だという顔で興味を示す。対照的に、カズスムクは気が進まないのか、一段と冷めた表情になった。
「他愛ない話だよ、キュレー。小さいころの」
「このわたくしに、〝他愛ない話〟の遠慮はいらないわ、カズスムク・シェニフユイ。そういうくだらない話を、一生あなたとするための女なのだから」
ソムスキッラは両手を握り合わせて、カズスムクに向かって微笑んだ。銅板画のように表情を動かさなかった彼女も、未来の夫にはこの通り。落差が激しい。
「お嬢さまもこう言っておられますし、お願いします、伯爵」
僕は好奇心を鎧として纏うことで、必要とあればいくらでも厚かましくなる覚悟を決められる、たいへん鼻持ちならない男なのだ。友達? 少ないに決まっている!
「イチャイチャしやがって。面倒くさいし話してやろうぜ、カズー」
「ミル」
「なんなら俺が話すぞ。こいつが飼っていたカナリアが死ん、でっ!」
またタミーラクの足は蹴っ飛ばされたらしい。
「一度だけ、私は自分に鳥が食べられたら、と願ったことがあるのです。その時はまだ、それを食べられない体だと理解していなかったからですが」
しぶしぶといった様子で、カズスムクは話してくれた。ソムスキッラは期待のこもった眼で耳を傾ける。
「カナリアは、おそらく寿命だったのでしょうね……。数日前からあまり鳴かなくなって、最期の朝は元気に歌っていたのに。タミーラクが訪ねてきて、妹たちと遊んでいたら、夕方には冷たくなっていました」
「あの日は、ウィトヤも元気だったな。あ、こいつの妹な」
タミーラクが言うウィトヤ嬢はこの別邸ではなく、所領の本邸にいるそうだ。
「カナリアが死んだと理解するまで、しばらくかかり……私はまず、厨房にその
(葬儀で? 母親を?)
衝撃的な言葉が流れていき、僕は話を遮りかけた。何気なく口にされたそれは、彼らの間ではごく当たり前の出来事だからなのだろう。訊ねるのは後回しだ。
タミーラクは昔を懐かしむように、宙を指さす。
「まあ厨房としちゃ困るよな。無理だ、諦めなさい、食べてもお腹を壊すよって伯爵もみんな口をそろえて。俺は『じゃあ
「待ちなさい、ミル。ガラテヤ人に確認しないと」
ソムスキッラが止め、カズスムクが僕に問うた。
「シグ、〝
「いえ、そういう文化はないですね」
僕は困惑しながら答えた。どうやらザデュイラルでは、死者を食べて弔うことが常識らしい。カズスムクは「そうですか」と、うなずいて話を進める。
「
初めてカズスムクの口調がほころびを見せた。
「ぼくは……私は、大事な友達が死んだ時、その体を食べられないということが、ひどく恐ろしかったのです。カナリアはいつも綺麗な声を聴かせてくれて、あんなに大好きだったのに。その命が私の血にも肉にもならないのなら、それは冷たい土の中で、いったいどこへ消えてしまうというのでしょう? シグ・カンニバラ、あなたの国ではそのような時、どう考えられますか」
僕は虚を突かれた気分だった。彼が言っているのは、埋葬された死者の魂は、どこへも行かず消えてしまう、ということだろうか?
「ガラテヤならば、土に埋められた死者は〝
今度は三人のザドゥヤが、虚を突かれたようになる番だった。特にカズスムクとタミーラクは同じように眼を丸くして、少し幼く見えてしまう。
〝ユワ〟はザドゥヤ語における「神」を指す一般名詞である。
だからここでの僕はガラテヤ語の神(ガムル〔Gaml〕)をして「神のみもと」「ユワという神」と説明したが、ガムル(※ザドゥヤ式発音ではイアムル)がユワとは異なる神的存在である、と納得してもらうまで一幕の騒ぎがあった。
いくらか言語が通じても、その言語が取り扱う概念が違うと上手くいかない。その経緯については割愛し、本題に戻ろう。
変なことを言うな、という顔でタミーラクが口を出した。
「土に手つかずのまま埋めて、ウジ虫やミミズの餌になれってのか?」
「そりゃ、大地に還せばそうなるでしょう。自然の摂理です」
「なんだと」
タミーラクの眉が、ぎりっと音を立てそうに逆立つ。ザドゥヤ人の未知の怒りに触れたらしいが、僕は恐怖心を横に追いやってワクワクしていた。
「ガラテヤ人の摂理は献身的だこと」
ソムスキッラは呆れた声を出して頭を振る。
人が怒っている時、怒られることより、理由の方に関心が行くバカが僕だ。礼を失することはもちろん良くないが、湧き上がる疑問を埋めたくて仕方がない。
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