灰とザクロの哀惜杯(後)

「人間に食べられることは良くて、ウジ虫に食べられることは嫌なんですか?」

「だったらお前も海老に食われてみるか?」


 テーブルに腕を乗せて、タミーラクは身を乗り出した。赤く血気をみなぎらせた顔つきは、完全に喧嘩腰のそれ。その肩にカズスムクがそっと触れた。


「ミル、落ち着いて。シグ・カンニバラも、少し言葉が過ぎますが、あなたは本当に何もご存じないのですね。自然の摂理は、一つではありませんよ」


 若きマルソイン家の当主は、とろりとした流水の笑みを浮かべていた。つかみどころがなくて、するするとどこかへ逃げていく、何もこちらに与えない表情。


「すいません。過去、あなたが哀しい思いをされたことを否定するつもりはないのです。ただ、僕にはその理屈がどうしても理解できません」


 そして僕が分からない以上、ガラテヤのほとんどの人間はもっと理解できないことだろう、と自信を持って言える。


「あなたが言う〝土に埋める〟方法は、我々の間では罪人に対して施すものです。例えば、召し上げられることを拒んで、自らを損なった贄のような」


 カズスムクは氷ではなく、流水の笑みのまま語った。


「溶け石で固めて、ミミズにすら食われることも無いよう、大地の奥深くへ埋める。食われない者は、ユワ……ヒトのユワのもとへたどりつけないのです」

土葬インベドルが刑罰になるのですね」

「? Ymbedlユムベドル……土に埋めることを、ガラテヤではそう呼ぶのですか?」


 なんと土葬Ymbedlに当たる語彙が、そもそもザドゥヤにはないらしい。


「ええ、ほとんどの死者は、そのまま土に埋めて弔い、それを土葬と呼びます。もしや、火葬サンベイルというものも行いませんか。遺体を焼いて、骨の欠片や灰を保存したり、撒いて散らしてしまうのですが」

「それはTâbbashタバッシが近いですね。そちらのSenbaleジェンベルとは違って、主に死者を焼き物料理にして弔います」

[僕は後年、Tâbbashを燔祭はんさいと訳した]


「死者を料理にして弔う、ということが既に、僕らの側では冒涜に感じられるのですが……あなた達も、死者を埋めたり、食べるためでなく焼くことは、やはり冒涜と感じられる、という理解でよろしいですか?」

「ええ」

「俺は絶対にゴメンだね。美味しく食べてもらわねえと、死ぬのも無駄になる」

「わたくしも同意見よ」


 理解が追いつくと、横へ追いやった恐怖や羞恥が戻ってくる。僕は額を押さえて、胸中独り言をつぶやいた。――ああ、分かっていても、やはり感覚的には理解しがたいものだ、と。それは、お互いさまなのだろうけれど。

 カズスムクは話を続ける。


「何であれ私たちは、死者の体を食べることで、魂をユワのみもとへ送るのです。我々はユワの子らにして作物であるから、時期がくれば老いや病にて収穫される。さりとて収穫物を食らうユワの主体は、今生きている我々の中にあります」

「それは言い換えると、死者を食べる時、神のこともまた食べるということになるのではないのですか? あ、いや、でもガラテヤにも少し似たものはありますね。パンとぶどう酒で代用していますけれど」

「パンとぶどう酒のどこに、神が宿るんだか」


 タミーラクは鼻で笑い、アジガロが取り分けたクランブルケーキを受け取る。バターの代わりにひき潰したアーモンドで作った、リンゴとシナモンのケーキだ。


「形代料理と同じですよ、形を似せていませんが、聖典でガムルの御子が保証しています。が、まあ天主公教の話は置いておきましょう。分かってきました、あなた方は神の代理として贄の命を絶ち、それを食らう」


 生きとし生けるものすべてにユワは宿る、なぜなら命そのものがユワであるのだから。


「ええ。ユワも、祖先も、常に私たちの血と肉の中に生きておいでです。今もここに、明日もここに。刈り取られた命が次の命を活かし、未来においては自らを口にしたユワの生物に生まれ落ちる。それは子々孫々命が続く限り、永劫変わりません」

「輪廻転生!」


 生まれ変わりは天主公教にない概念だが、東方世界の宗教について学ぶとしばしば出会う。まさかこんなに近い土地にもその考え方があったとは!


「ああ! では僕が『ウジ虫に食べられることは嫌なのか』と訊ねたのは、あなた方にとっては『ウジ虫に生まれ変わるのは嫌なのか』と言うことと同じなのですね!?」

「そうだよ、バーロー」


 タミーラクは頬杖をつきながら、ケラケラと笑った。マナー的にどうなのか気にかかる格好だが、敵意や嘲笑ではなさそうではある。


「やっとお分かりね、ガラテヤ人! 人は人に食べられることが、わたくしたちにとって正しい弔い方なの。輪廻の遣いコランハサ〔Qlencaza〕に捕まったら、来世は虫けらになってしまうもの」

「そういう死者は生まれ変わりたくないから、輪廻の遣いコランハサから逃げ回って悪霊になっちまう。ザツワ〔Sazvjaけだもの〕とかダルクク〔Dalkquはぐれ者〕とか。で、人間の魂を食えばまた人に生まれて来れるから、病人や子供をいつも狙ってやがんだ」

「ははあ、ザドゥヤ語の悪態(※くそっザツワ!)ってそういう由来なんですね」


 コランハサは、食われた後の魂をしかるべき転生先へ導く存在だそうだ。彼らが人間に食べられないことをどれだけ恐れ、憐れむのか少し理解が進んだ。

 一方のカズスムクは、変わらず不動の優美をたたえて静かにお茶を飲んでいる。


「……それでは、カナリアはどうなってしまったのでしょうか。結果的に、あなたは大切な友達の小鳥を食べられたのですよね?」

「結果は火葬ジェンベルですよ、シグ」


 ふ、と苦笑して、逃げる流水が足を止めた。

 カズスムクの目は僕ではなく、過去の思い出をあらためて見つめている。更にその横顔を、未来の伴侶が真摯な眼差しで見つめていた。


「父上は焼却炉でカナリアを焼いて遺灰を作り、それを厨房でザクロの絞り汁と混ぜて、飲み物に仕立てたのです。今になって思えば、私もずいぶんな我がままを言ったものですが……」


 初めて会った時と同じように、凍てつく氷の像が蒼い湖に沈んでいく。他者を遠ざけるまでもなく、誰も近づけない透徹とした面持ち。

 純水のように真っ直ぐな美しさが、自分自身をかくあるべしと定めた形だ。


「私と、妹のウィトヤと、タミーラクと、三人で三つの盃に祈りを捧げて飲みました。私たちの血肉がカナリアを迎え入れて、我らがユワの内にありますように、と。子供には飲みづらいものでしたが、私はようやく安心しました」


「死者の遺灰を取って置き、少しずつ食べる」文化圏が人族にも存在する。主に狩猟採取生活で不足するミネラルを、死体からリサイクルするためだ。

 もちろん、それを口にする者たちには死者への哀惜もあったに違いない。カズスムクがカナリアを惜しんだように。


「あれな、キツかったからな」


 カズスムクが穏やかに話を締めくくると、またタミーラクが口を挟んだ。頬杖をついたまま、片手で友人を指差して。


「父上には〝変なもの食うな!〟ってメチャクチャ怒られて全部吐かせられたし、兄上は俺がカズーにいじめられたって勘違いしやがるし……友達だからつきあったけど、苦いわエグいわ、二度とゴメンだね」

「ごめん」


 二人のやりとりを聞きながら、僕は今聞いた思い出の意味を考えていた。

 彼らにとって、死んだものを食べることは権利であると共に、義務でもあるのだろう。何であれ、食べることは相手への敬意や親愛、いっそ親切心ですらある。


――その時になって初めて、僕は彼らと僕らの決定的な違いに思い至った。ふいに、考えるより先に口が動く。


「あなた方はとても公平な生物なのですね」

「公平?」


 タミーラクが怪訝な顔をした。カズスムクとソムスキッラも、不思議そうにこちらを見る。この言葉で合っているか不安だが、僕はそのまま続ける。


「少し嫌な言い方になるのですが、〝食べてあげないと可哀想〟という感覚は、食べられる側から見れば、搾取さくしゅする側の傲慢になるんです、僕たちの場合」


 そう、人族であるならば。人ではないものを食べる僕らなら。


「僕たちが食べる牛や豚は、言葉を話せないし、自らの意志を表現することも出来ない。僕らは彼らの意見を聞くこと無く食べる。でも、あなた達が食べるものは違います。それ以上に、あなた達は自分たちが食われることも当然のこととしている」


 言いながら、僕は視界の端でアジガロの姿を追った。

 少なくともこの魔族の青年は、受け容れたように見える。そして彼らも、死後は埋葬されるのではなく、家族にその肉体を食べられるのだ。


「妙な褒め方すんなよ、食用猿ラブタスは言葉も話さねえんだぞ」

「そうですが、トルバシド伯。単純に、肉を食べる者が〝自分は食べられたくはない〟と言うよりかはまだ、バランスが取れていると。そう思えるのです」


 公平であることが正しいとは限らない。食べられる側には、結局何の慰めにもならないかもしれない。


「……考えてみれば、僕たちの種族は、ずいぶんと身勝手なのだなと」


 別に彼ら魔族を持ち上げたいわけではない。ただ、この時僕は素直にそう感じたまでだ。予断は禁物ではあるし、蛮族という思いもまた同時にある。

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