序文(ガラテヤ語訳書初版版)

 祖父が自分の頭から角を外した時、五歳の私はびっくりして泣き出した。痛くない? 大丈夫? 死なないで、おじいちゃん! と大騒ぎして医者を呼びに行こうとすると、彼は笑って「これは付け角だよ」と教えてくれた。


 祖父は角が生えていない異食種コリサンガス、古い言い方をすれば〝人族〟だと知ったのはその時だ。しばらく後、生え変わりのために私の角が抜けた時、「ああ、私も人族になるんだ」と思った。実際は、ただの魔族と人族の混血でしかない。

 それが私――本誌『北阿古霜帝國民族誌』編者代表レイア・ハンニバッラだ。


 本誌はガラテヤ・ザデュイラル両国友好の一助を願い、祖父イオ・ハンニバッラ文化人類学名誉教授の遺した手記と、彼へのインタビューを編纂したものである。

 手記には当時のザデュイラルの人々、その生き生きとした生活ぶり、魔族というものに対する異食種コリサンガスの反応、イオが異文化交流で受けた衝撃などが記されている。


 残念なことに、イオが目撃した食人習俗と祭礼の光景は、現在の我が国にはほとんど残されてはいない。


 かつて、十歳の子供でも知っていた人体の構造や外科的知識は、すっかり医師などの専門家だけのものになった。どこの村にもあった公共の祭場や、中つ宮ユインデルキャルスは数を減らし、葬儀の時には遺族ではなく、専門の業者が遺体をさばく。


 贄制度は、人道的食人制度に取って代わられた。

 成人になると、手や足や内臓の一部を病院で取って国に納める。おかげで私は、年間で一八〇〇ジヴィ、成人男性の足一本分の【肉】を口にできる。


 いまや、五体満足の成人は貴族層に限られる。三十四年に一度、一族から一人の命を差し出す供犠方ザカールシギャの役目だけは今も健在だ。

 体の一部を差し出して生きるか、五体満足で家族の誰かを犠牲にして生きるかが、現在のザデュイラルの在り方である。


「人を殺して食べた最後の世代」を、いつかその孫や子は非難するだろう。


 けれど、その老人は言うのだ。


「あなたたちがこの時代まで生き残ったのは、私たちが戦ってきたからだ」と。


 何を食べても、生きていくしかないのだから。



 魔族や食人鬼という言葉が、一三二一年に差別用語に指定されたのは、こうした涙ぐましい努力の結果だ。長らく互いを蔑んできた両種族が、協調して国際社会を歩んでいくその第一歩は、しかし次の一歩までがまた重い。


 魔族と人族、捕食性ほしょくせい人類と雑食性ざっしょくせい人類、食人種インカノックス異食種コリサンガス

 両種族間にはまだ多くの先入観や思いこみ、様々な障害が高い壁を作っている。朽ち果てるに任せるには頑強な、打ち壊すべき遺物の壁だ。


 どのような呼び方にしろ、我々はともに同じ人類、同じ人間だ。あなたが手に取る本誌こそが、この壁を打ち砕くため上梓された大槌なのである。


 かつてガラテヤから我が国へ渡って来た偉大なる祖父は、純粋な異食種コリサンガス出身の学者ながら、自らの意志でもって食人種インカノックス国家圏=ザデュイラルに足を踏み入れた。さらに、食人社会について異邦人の視点から大量の記録を残した稀有な存在である。


 多くの差別的表現が登場するが、これは書かれた年代の世相や背景を多大に反映したものであり、この時代の異食種コリサンガスにとっても、一部は食人種インカノックスにとっても、常識的なものであったため、ほぼそのままの状態で公開する決断を下した。


 もちろんいくつかの脚色、誇張、祖父の勘違いなども多分に含まれるだろうが、歴史資料や存命中の関係者証言から、可能な限り事実関係を確認している。その作業には五年を費やしたが、満足いく仕上がりとなった。


 この記録はガラテヤ社会からは偏見のベールを取り去り、ザデュイラル社会へは内省のための示唆を与え、互いの架け橋になるに違いない、と私は信じている。

 本書はザドゥヤ語の他、食人種インカノックス国家圏向けにクルト、キラサム、ベラーガマ、シャナーの四言語、異食種コリサンガス国家圏向けにガラテヤ、東瀛とうえい普國ふこくの三言語、合わせて七つの言葉に翻訳された。


 各翻訳家の努力はもちろんのこと、本書を異食種コリサンガス国家群での出版にこぎつけてくれた関係者各位のご助力には大変感謝している。この場を借りて、謝辞としたい。

 そしてソフィアス・カンニバラに、特別な感謝を。彼はイオの兄・モラリーの孫で、遺言に従って祖父の遺灰を送って以来の縁だ。


※※


一三五七年九号月十九日 レイア・ハンニバッラ Rheia Sardna Kasja Canniballa.

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