まばゆい氷の主の家(後)


 僕が医師の手当てを受けている間に、二階の客室に荷物が運びこまれた。

 この客室と来たら、清潔だし日当たりも悪くないし、大学に通うため僕が借りていた下宿より広い! 専用の暖炉すらある! 欠点は照明がほとんど役に立たなくて暗いことだが、後からオイルランプが届けられて解決した。


 家具の中で特筆すべきは、箱型ベッドだろう。

 これは部屋の隅を壁で仕切った小さな空間で、外側の短辺は小さめのタンス、中のベッドに出入りする長辺には扉がついている。上までしっかり囲い込まれて、そこに置き時計が乗せてあった。寝台列車をものすごく上等にした感じだ。

 ガラテヤはとっくに春なのに、ザデュイラルの朝晩は真冬の冷え込みだ。この箱に入ってきちんと扉を閉めると、寒さに対して心強い。

[一二七七年の僕から追記しておこう。彼らは安眠のため、こうした箱型ベッドや天蓋などで外界をシャットアウトする必要があった。

 魔族の角は光・音・熱に反応する優秀なセンサーで、戦場において彼らに不意打ちを喰らわせるのは至難の技だったという。逆に言えば、神経過敏になりがちなのだ。

 室内照明があまり発達していない様子なのも、これが理由なのである。まあ、さすがに読書の時などにはランプが必要だったようだが。]


 最初の夕食は温かいうちに客室へ運ばれてきた。

 ソバ粉のパン、肉団子カーフガウラル〔Kâf ghurar〕のサンザシソース添え、海藻と苔のフェバザスープチシャ〔Febasa ctsh〕、キュウリとパプリカのサラダ、リンゴ、薬草茶。それに胃薬と香辛料を兼ねる、キハダの実粉末を詰めた小瓶。

 僕は恐る恐る、運んできてくれた金髪の小間使いメイドに訊ねた。


「……これは何の肉ですか」

食用猿ラブタスですよ、お客さま。【肉】なんて、祭りの時でもなきゃ口にできやしません。残念でしたか?」

「おお! 感動です!」


 小間使いの女性が露骨にけげんな顔をしたので、僕はつい、あれこれ説明したくなった。


「いやあ、あなた方の食習慣について、ガラテヤではほとんど知られていないんですよ。一般的には、毎日人肉を食べていると思われがちなんですね。しかし数少ない識者の間では、年間を通して祭礼の時にしか食べないことが判っていました。文献から得た知識を、ついに現実のものとして目にできるとは! という意味の感動です」

「良かったですね」

 大変そっけない態度を返されてしまったが、仕方がない。彼女は仕事中なのだし、残りの解説をここに記しておこう。

 なぜ食人鬼たる魔族が、そのイメージに反して滅多に【肉】を口にしないのか――答えは単純明快、供給量が圧倒的に足りないのである。

 ザデュイラル全体に充分な人肉を供給しようした時、何人殺せば良いか? 僕は計算してみたが、少なくとも年間一千万人以上殺す必要がある。しかも、常にその数の人間を確保するには、倍の人口を養わなくてはならない。

 安定した生け贄を得られない以上、彼らが【肉】の消費量そのものを制限するのは、当然の帰結だった。

 そして魔族は動物性のたんぱく質、脂質はヒト由来のものしか受け付けない。かろうじて猿は消化できるようだが、これは数少ない例外だ。よって、彼らはナッツや豆・イモ類など、植物性のものをたっぷり食べるのである。

「猿が食えるなら、人間を食うのは我慢すればいいじゃないか」とお思いだろうか? それなら、こんな話もある。


 東マシュダウ王国ユスク・マシュデュヒア(Usk Mashdawhier. 千年前、西アポリュダード大陸)の〝巨腹王きょふくおう〟サイロット一世〔Saylot Ⅰ〕(在位:236年 - 248年)は、牢につないだ魔族の捕虜に、それぞれ魚、鳥、豚、羊、猿と異なる種類の肉と水だけを与えた。

 結果、大半が吐き戻して餓死、もしくは未消化の肉が胃腸に詰まって死亡。

 最も長生きしたのは猿肉を与えられた者たちだが、それも消化不良や胃腸炎にかかって衰弱し、最後は実験に飽きた王に処刑された。


 人肉こそが、彼らには最も美味しく、安全で、健康に良い食べ物なのだ。そして猿だけが、彼らが人肉以外でどうにか摂取可能なたんぱく源だった。

 猿の肉団子は、まさに彼らの知恵と工夫の塊である。ひき肉に練りこまれたローズマリー、フェンネル、生姜、シナモンはどれも胃の調子を整えるものだ。

 添えられたサンザシのソースも、消化を良くするためのもの。この赤い果実の甘酸っぱい味を、口の中でうまく肉と融合させると、さっぱりとして美味しい。

 全体として、味の調和もちゃんと取られている。ガラテヤで食べた魔族向けメニューとは別物だ。

 キハダの実は、遥か極東の地リューマ〔Rûma〕からの輸入品。試してみると、独特の辛さで椅子から飛び上がりそうになった。舌がピリピリして痛い。

 同じ理由で、ザデュイラルでは紅茶やコーヒーより薬草茶が好まれるらしい。カモミール、ドクダミ、ローズヒップにタイムなど、あらゆる種類を常飲している。

 この日は南パリスルガ〔Parisluge〕(大陸)産の、黒マテ茶とハブ茶のブレンド。明るく澄んだ茶色の水面に、黒砂糖に似た風味と焙煎の香ばしさが立つ。

 しかし困惑したのはスープだ。澄んだブイヨンに浮かぶ黒い海藻(フェバザという食品)と、細く刻まれた緑のホーコ〔Choq〕、どちらも人生で初めて口にする食品である。唯一見知った具は白ゴマだけだった。

 最初は味がしなかったが、やがて潮の香りだか磯の風味だかが漂ってきて異様だ……まあ、そのうち慣れるだろう。苔は土臭くもない、ただの葉っぱに見えるし。

 全体的に塩コショウが強い味つけだが、寒い土地柄、仕方がないだろう。

 ちなみにザデュイラルでは温室栽培に力を入れているのはもちろん、ガラテヤふくむ周辺諸国との交易で、豊富に野菜類を取りそろえているそうだ。

 香辛料と香草、生薬、そして茶葉。彼らは自国内では不足しがちなそれを、入手することに必死だった。かつての北阿海軍もそうだったのだろう。

 どこかの時点で、略奪より交易の方が効率的だと気づいたようだが。

(※編註……イオの発言は研究が進んでいない時代の知見に基づくため、彼に差別的な意図はないことをお断りしておく)


 それより海藻と苔だ! ガラテヤでも北東沿岸部の一部地域では、郷土料理的に海藻を食べることがあるらしい。だから、きっとこれは嫌がらせや何らかのからかいではなく、そういう食文化に違いないと自分に言い聞かせた。

[結論としてはそれで正しかったので、本当に良かったと思う。]


 こうして、僕は無事にザデュイラル最初の一日を終えた。

 神よ、感謝いたします。

 これからも、どうか御心のままにジェナンテーム〔Jenanthem〕。

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