奉納の儀

奉納の儀(前)

-------------------------------------------------------

六号月二十二日 黒曜日カズゼルヤク

夏至祭礼当日

-------------------------------------------------------

 奉納の朝に出た食事は、菩提樹の茶が一杯。参加者はこれを飲んで心を鎮め、厳粛な気持ちで儀式に参加せよと。僕は儀式の後で、昼食を食べる自信がない。

 ガラテヤなら夜も明けぬ早朝に、マルソイン家では三人の贄が死ぬ。


 当主カズスムクが用意したムーカル役・アジガロ。

 イェキオリシ伯爵家が用意したコーオテー役・ミュトワ〔Mhutvaひなた

 ハーシュサクが用意したサガーツト役・ヘレイム〔Cereimいわお〕。


 月の女神であるコーオテー役はもちろん女性で、三人とも二十代の若者である。

 贄たちは控えの間に待機し、奉納の担い手であるカズスムク・ハーシュサク・クトワンザスに先んじて、僕は親族・招待客三十名弱と共に中庭に案内された。


「これよりお一人ずつ十字デーキをお渡しします。印を受けた方からご入場下さい」


 儀式のために呼ばれた司祭と助手たちは、参加者の額に円の中の十字――簡略化された輪廻チャーグラ十字デーキ――を赤い塗料で描いた。

 僕が最後に印を授かって入場すると、厨房は隅々まで磨き清められ、壁はつづれ織りで飾られている。祭礼週間の成果だ。


 厨房の一角には、招かれた楽団が陣取っていた。以前、僕が見学の時に入った正面入り口から祭壇まで緋色の絨毯が敷かれ、皆はその両側に集まっている。

 僕が手近な所に並ぶと、使用人から「贄が入場する時にお撒きください」と花籠を渡された。中は茎を切り取った季節の花と、花びらでいっぱいだ。

 司祭が赤いハンドベルを掲げ、楽団の演奏が始まった。木と鉄と人骨と人皮の楽器が厳かに合唱し、古祭章アルマキアスの旋律が流れ出す。


「皆さま、おそろいになりましたね。それでは、担い手の入場です」


 ベルの合図で扉が開き、現れたカズスムクは、まさに神の似姿だった。誰かが陶然とため息をつく――その声はもしかしたら、僕だったのかもしれない。


 毛皮のマントを羽織り、黄金の飾り角ハロートは特別製の三本角。左右からは鹿のような枝角が、額からは槍の穂先のように真っ直ぐな角が伸びている。

 中の衣装は筒襟の緩やかなワンピースで、フエミャとは構造が違った。左半身は黒、右半身は白に分かれ、身頃を前で合わせて着ている。


 胸元には、あばら骨のように銀リボンが幾重にも結ばれていた。また房飾りや珠飾りが全身じゃらじゃらと鈴なりで、星の光を人の形に収めたように輝いている。

 彼が絨毯を歩いていく間、僕は巨人が傍を通るような心地だった。地響きかと思うほど心臓が高鳴って、場に満ち満ちていく圧倒的な存在感に息もできない。


 そこにいるのは、まだ十七歳の少年だ。だが、身につけた衣装と装飾が持つ意味、長く積み重なった歴史、彼の父が、祖父が、曽祖父が、連綿と引き継ぎ続けた伝統、それを踏まえて引き受けた彼の内心。そうしたものに思いを馳せるだけで僕は気が遠くなり、山のような巨人を幻視せざるを得ない。


 カズスムクの後には、同じ衣装から装飾を減らした格好で、ハーシュサクとクトワンザスがそれぞれに続いた。コーオテー役・ミュトワの奉納を担当するクトワンザスの飾り角は銀で作られている。僕は厳粛な沈黙でそれを眺めた。

 その背後に儀式短剣・カパラ〔Kapalaさかずき〕を捧げ持って続くのは、聖餐院せいさんいんから派遣されてきた三人の聖厨職人イェルテミ〔Heltemg〕だ。青と紫の法衣を着ている。


 聖餐院と訳したが、ザドゥヤ語ではErinmíraxĝramエリンミラクシグラムと言い、意味としては「聖なる食物を煮る鍋、そのあるべき所」で、神殿の実務機関だ。

 ザデュイラルの優れた料理人はこの聖餐院に属して、聖厨職人の地位を与えられる。その中から更に腕利きが宮廷料理人に選抜され、最上の技量と功績を持つ者が、栄えある宮廷料理長ユアレントゥルとなる仕組みだ。


 最後の聖厨職人が祭場に着くと、司祭が再びハンドベルを鳴らした。

 扉が開いて現れた三人の贄はクロークをまとい、頭まですっぽりフードで隠している。碧血城のタミーラクと同じ衣装だ、あれは。そのことに僕はぞっとした。


 扉の前で司祭らは贄のクロークを脱がせて、控えていた使用人に渡す。

 アジガロは、赤と金で全身を豪奢に飾り立てられていた。髪には糸でつないだ小粒の宝石と真珠が編みこまれ、顔は目元、額、頬と様々な顔料に彩られている。飾り角の代わりにつける額環サークレットは、ザデュイラルではこういう時にしか用いられない。


 繻子しゅす織りの赤い衣装は長袖で、背も肩も覆いながら、胸と腹は開けられていた。腰には宝石をあしらった金の鎖を巻き、ズボンと木靴をはいている。

 その胸、心臓の真上には、意匠化された太陽の絵があった。


 他二人の贄も、美しく着飾られている。コーオテーは胸元がきちんと隠されており、白と銀を基調としていた。サガーツトは白黒金銀。

 彼らが歩き出すと、赤い木靴につけられた鈴と、足首にはめられた金銀の環がしゃらしゃらと鳴る。僕らは花籠の中身を振りまいて、その姿を見送った。


 一ヶ月前、アジガロは結婚式で同じように花吹雪の中を歩いていたものだ。それが今は、死にゆくために足を進めている。

 アジガロは祭場の少し手前で足を止めた。他の二人は祭壇向こうの壁まで進み、僕らは場を半円状に囲う椅子に順次着席する。

 全員がそれぞれの位置に着くと、楽団の演奏が途切れて静寂が降りた。


「ムーカル、前へ出られよ」


 カズスムクが冷たく厳かな声で宣言する。僕は本当に、血に飢えた神が彼に乗り移ったような気がした。アジガロはカズスムクの正面に進み出ると、片膝を立てひざまずく。その動きには一瞬のよどみもない。


 カズスムクは司祭から細い筆と、赤い塗料――贄の赤スタンザ色の入った小皿を受け取った。どちらも精緻な細工が施され、神話に登場する赤き衣の乙女スタンジリヤルが描かれている。


「我らがユワが、なんじの【肉】を受け取られる」

 言葉をかけられると、アジガロは首をかしげて左の角を差し出した。カズスムクは治療にあたる医者のように、しごく冷静に塗料を塗りつけていく。

 これは聖別の儀だ。


 神話にいわく――槍の達人イガルフツ〔Igålchts果てのもの〕は、ある時右の角が赤く変化した。そんな彼を見て、求婚してきたのが赤き衣の乙女である。彼女は太陽から遣わされた聖霊であったが、イガルフツは何も知らず夫婦となった。


 はたして一年後、イガルフツは月追いの大狼たいろう・バーティナムシル〔Bâthinamsr〕と相討ちになって死亡。遺体の角は二つとも赤く変じており、乙女は嘆きながら、彼の心臓を奪って太陽へ帰った。


 このことから、神は特に好んだ贄に、角を赤く染めて印をつけるとされた。かの〝碧血のカナイア〟にも、神はその忠義に対する称揚を賜ったのだと。

 ここから転じて、贄に選ばれた者は右の角を赤く塗られるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る