北阿古霜帝國民族誌《エッタ・イグニブラ・ユト・ザデュイラル・ゼネプブイサリィ》
雨藤フラシ
はじめに《アコハミシ》ⰡⰟⰊⰜⰀⰏⰃⰔ
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一三二四年三月十三日 蛇曜日
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今〝
〝魔族〟も? へえ、今は
僕の手帳をありがとう、レイア。わざわざ紙の山を運んできてまで、年寄りの話を聞きたいだなんて! 君は実に、おじいちゃんっこの孫娘だよ。
さて、どこから話そうか。僕の旅の始まり、そもそもの旅立つきっかけ、それなら、最初はカズスムクとタミーラクの話をするとしよう。
これは、愛する者を食べられない
彼らは、僕がザデュイラルへの旅で得た最初の友人だから、この六十年を二人の話から始めるのは妥当なことだと思う。
……そうそう、あのころの僕はまだ、イオ・カンニバラ〔Jodosius Leinathan Canniballa〕と名乗っていたんだった。自分の書いたものを読まないと、生まれた時の名前さえいい加減になるんだから、老いは嫌だね。
ああ、この写真も懐かしいな。
※※
参考画像(オプサロ大学附属図書館に収蔵)
一二六七年 六号月二十八日
夏至祭礼中のザデュイラル首都ギレウシェ
帝国貴族・アンデルバリ伯爵マルソイン家別邸にて撮影された記念写真
写真中央、眼帯の少年はアンデルバリ伯爵(当時は子爵)カズスムク。十七歳。
その左隣、眼鏡の少女が後の伯爵夫人ソムスキッラ。十八歳。
右隣、長い髪の少年がトルバシド侯爵家四男タミーラク。十七歳。
そして短い髪と眼鏡の青年が、当時二十二歳だったイオ。
他、マルソイン家の親族九名――
※※
けれど、彼にはもっと食べるべき人がいて、僕はこの後悔をずっと黙っていた。人に聞かせたのは、これが初めてだ。
ああ、自分が友人を食べたいと思うようになるなんて、六十年前の僕が知ったらどんなに驚くかな。え、もう録音始めているって? 分かったよ。
僕が魔族の国・ザデュイラル〔Xudưjral〕へ
いわく、
「死にたいのか?」――そんなまさか。
いわく、
「頭の中、お花畑が広がってますね」――半分ぐらいは正解だと思う。
いわく、
「
いわく、
「親不孝もの!」――それは本当に申し訳ない。
だが僕は気ままな三男坊だ、万が一の時もカンニバラ家は安泰だろう。何にせよ食人鬼の所にのこのこ行くなんて、正気の沙汰ではないのだ。
けれど、彼らもけだものではないと僕は考えている。
発達した犬歯と、側頭部の角を除けば、姿形は人族と変わらないし、独自の文化を持つことも古くから知られている。
魔族が手当たりしだいに異種族を襲っては、
いや、現在でも新たな贄を得るための戦争は相変わらず仕掛けているらしいが、往時の猛烈な勢いに比べればだいぶおとなしいと言える。
歴史の授業では、彼らの悪行についてさんざん聞かされた。
魔族は魚肉を求めて半魚人を狩り、鳥肉と卵を求めて有翼人を狩り、その他に
そこで彼らが飢えて滅びていれば、まあ話は簡単だったのかもしれない。他の種族と同様に、魔族は伝説の存在になっただろう。
「あれが神の
つまり地獄の
「ではライオンやオオカミも、悪魔が造ったのですか?」
返事は否、だった。何しろ肉食獣は、一定の条件下でなければ共食いはしない。その時は一応納得して引き下がったが、後年、疑念がもたげてきた。
彼らは共食いで、人食いで、悪魔そのものの所業をくり返し語られている。だが自滅することなく、その行為と本能にどうにか折り合いをつけて、
僕が行き先に定めたザデュイラルこと古霜帝国は、タルザーニスカ〔Taldzârniska〕半島全域を支配する
その名は古シター語で古き霜、あるいは大いなる冬を意味する。
彼らの祖先たちは、タルザーニスカ半島から北アポリュダード大陸の一部を根拠地に北阿海軍(資料によっては海賊団)を結成し、略奪と侵略をくり返した。
(※編註……近年の研究では、彼らの活動において略奪はむしろ例外的で、主要産業は交易であったと考えられている)
僕が生まれたガラテヤ〔Galatya〕連合王国も、隣り合う半島のザデュイラルとの関係は切っても切り離せない。
たとえばガラテヤ南部の河港都市・イオンズ〔Ions〕は、そもそもはザドゥヤが内陸水運の要所として目をつけた地である。彼らは百年ほどの植民地支配の間に、イオンズを本格的な
今でもかつての植民地には、彼らが使っていた古シター語を地名などに残している。他にも、ガラテヤの祖先・ジャリート人〔Gjalight〕の艦隊を壊滅に追い込んだ〝片角の
何かが少し違っていれば、ガラテヤも彼らの属国だったろう。
戦争、講和、交易、同盟……ガラテヤとザデュイラルの間には紆余曲折があったが、現在は仮想敵国からはひとまず外れているし、通商可能国に数えられている。
僕は常々、そんな魔族が不思議だった。
彼らは自分の仲間を一番美味しいと知りながら、それを我慢して、よその生き物を食べる連中だ。よく一緒に戦えるなあ、と子供のころは首をかしげていた。
少し成長した後は、自分が食べられないためならば、自身を食べるかもしれない仲間と協力して、身代わりの連中を一生懸命狩るだろう、という結論に達した。
彼らが捕らえた他種族に対する残酷な虐待や、身の毛もよだつ拷問、おぞましい食人儀式の数々を図書館で読みあさったこともあった。今や恥ずかしい思い出だ。
無駄な経験だったとまでは言わないが、ああいう根拠も怪しいでっちあげを広く流布することは、母国の知的水準を低みに更新することに大いに寄与するだろう。
ともあれ、僕は魔族について少なからず関心を抱いて生きてきた。
いったい何を考えていたら、自分と同じ姿をした生物を食らい、そうしなければ生きていけない現実を受け止め、政体を維持できるのだろう、と。
誰かに訊ねれば、魔族には人間と同じような心や魂がないから、平気で共食いをするのだと言われる。それは一定のもっともらしさがあった。
だが、それが違ったとしたら?
いつかの時点で閃いたこの考えは、僕をずっと離さない。文化人類学という学問に出会ってからは、なおさらに。
近親相姦と親殺し、そして人肉食は僕ら人類の三大禁忌であることは論を待たないだろう。人肉食は人間の肉体を冒涜し、けだものと同じように扱うことで、その人間性を貶める野蛮な行為だからだ。少なくとも、「こちら側」では。
「あちら側」では、人肉食をどう捉えて肯定しているのだろう? 答えを得るために、彼らに関する文献はずいぶんと読んだが、根拠が怪しい与太話か、学術的だが絶対量が少ないか、直接的な利害が絡む事柄にのみ注目しているか、だ。
彼らが何を思い、何を考えて生きているのか、この国では――いや、おそらくほとんどの人族の国家では気にされていないのだ。
だから、自分で確かめに行くしかないと決めた。
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