第五章

第一話 タイミングの悪い男

 試食会を終えて、朔太郎に誘われた。これはきっと、千佳子がけしかけたのだと思っている。もしかして、と思わなかったわけではないが、彼の判断でそうしたとは考えられなかった。

 二人でインテリアショップを回り、カフェの家具などを見て回る。これは仕事なのだ。何だかデートみたい、と幾度と脳裏にチラついては押し殺した。淡い期待を寄せては、きっと打ち砕かれるだけだから。


 歩き疲れた二人は、朔太郎からの誘いもあってスパニッシュバルに入った。流石スペインに行っていただけあって、彼の注文するものは美味しい。料理名だけを見ただけでは、海なら頼めないようなものばかりだ。彼のスペインの思い出を想像してしまうことは苦しかったが、彼の口から女性の話が出ることはなかったのは救いだった。


「よし。大丈夫」


 化粧室の鏡を見ながら、海は自分に言い聞かせた。疲れていたし、お腹も空いた。インテリアの意見も聞きたかったし、これはついでだ。彼も何かを意図して誘ったわけではない。

 休暇を取ったあの日。目を瞑って、自分の正直な気持ちに問うて出た答え。それは、今でも朔太郎を好きだ、と言うことだけだ。ただ、今は取引先の相手。この恋はもう終わりにしたい、と思ったのも事実なのである。自分が器用でないことくらい、痛い程身に染みている。だから海は一つ答えを出した。仕事上で付き合う以上は、時間を掛けてでもこの気持ちを忘れよう、と。



「おい、海。海だろ」


 一頻り自分に言い訳をして、納得をして、ようやく開けた扉。外へ出るなり、海は聞き覚えのある声に呼び止められる。それは朔太郎ではない、別の懐かしい声だった。


「……順也」

「やっぱり海だ。良かった。俺、何度も電話したんだぜ。元気だったか」


 最悪のクリスマスを迎える羽目になった要因。元カレ、順也である。


「あ、そう。でも、繋がらなかったでしょ?拒否したままだから」

「うん、まぁそうだよな。それは……まぁ、そうだ」


 順也はもう一度、納得したように言い直した。その態度は、頭から足の先まで全て、海を徐々に苛立たせていく。


「判ってるなら、もういいでしょ。今更言い訳することもないでしょうよ」

「そうだけどさ。あの時は悪かったって思って。さっき見かけたから声掛けたんだよ」


 どうも店の対角辺りに座っていたらしい。誰と来ているのか知らないが、相手をするのも煩わしかった。


「海、どうせまだ泣いてるんだろ。三年も一緒に居たんだからさ。簡単に忘れられるわけないよな。強がりなんだろ」


 もう付き合っていたことすら忘れていた男に、そう言われても疑問符しか浮かばない。 未だに海を自分の女だと、囲っているつもりなのだろうか。


「三年も一緒に居たのに、簡単に浮気をしたのは順也よね。大体もうとっくに忘れてたわよ。今更何だって言うの」


 あの時のように、今も大分呆れている。

 朔太郎の影を元カレの中に探していたのは事実だけれど、順也はそれだけではなかった。違う魅力も持っていたから、三年も一緒に居られたのだ。そう思っていたのに、違う。鬱陶しいくらいのスッキリしない男。一つも朔太郎と重なる部分がない。唯一、優しいことだけ、だ。

 勝手に話が進んでいくのを、殴り掛からないまでも、グッと拳を握り込んでいた。順也の話にただ腹が立つのだ。偶然見かけてしまったとしても、知らぬふりをするのが大人のマナー。そういう配慮が出来なかった順也は、ここで会ったのは運命だ、とでも言わんばかりに「これから飲みに行こうよ」と言い続けていた。寂しかったんだろ。強がるなよ。そう言う彼を見て、何故こんな男が好きだったのだろう、と自分に嫌気が差すのである。


「なぁ海。まず、聞けって」

「何なのよ。今更何を聞けって言うわけ」


 忘れていた嫌な過去を、海は思い出していた。若い女に鼻の下を伸ばして、腕を組んで歩いていた順也。その時のあの女の勝ち誇った顔。やっぱり、ムカつく以外の言葉が見つからない。


「大体、あの若い子はどうしたのよ」

「それは……」

「はぁ、フラれたんだ」


 順也はバツが悪そうに、クッと目を逸らした。こうなればもう海の勝ちである。


「海、聞けって」

「だから、今聞いたじゃない。だいたい、今更何なのよ。あの時、言ったわよね。今なら言い訳は聞くって」

「言い訳何かじゃねぇよ」

「今更話すことなんてない」


 苛立った海の肩に順也が手を掛けた時、急にグッと後ろから手を引っ張られた。驚いて見た先に居たのは、朔太郎だ。


「ずっと戻らないから、どうしたかと思った。大丈夫?あの、ウチのが何かしましたか?」

「え、あぁいや」


 朔太郎は態とそう言って順也に微笑みかける。どの辺りから見ていたのかは分からないが、順也がただの友人でないことは察しているようだった。


「ごめん、朔。行こう」


 海だって、この状況に乗らないほど馬鹿ではない。わざわざ『朔』と呼び、順也に背を向ける。


「そう?大丈夫?何だか分からないけれど、ウチのがすみませんでした」


 朔太郎もまた重ねるようにそう言うと、海の肩を抱き、歩き始めた。胸がキュッとしたが、これはあくまで緊急脱出の一環である。ときめいている場合ではない。すると背を向けた二人に、順也は恨み言を投げ掛けた。もう彼氏いるなら俺ばっかり責めるなよ、と。


「いや。だから、責めてない」


 呆れながら海が、また順也に振り向くと、彼はその矛先を急に朔太郎へ向ける。それはまるで子供のように。


「彼氏さん、そいつ馬鹿真面目で重たい女だから。くれぐれも気を付けて」


 その時。海の肩を抱いた朔太郎の手に、グッと力が入るのが判った。


「ご心配ありがとうございます。でもあなたよりもずっと、彼女のこと分かっているので、大丈夫ですよ。真面目で優しいのが、彼女のいいところです。ご存知なかったですか」


 そう言うと朔太郎は、ニコッと順也に微笑む。ぐうの音も出ない順也を横目に見ながら、二人は歩き出した。




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