第三話 小さな勇気

「メッセージカードかぁ」


 一人でぶつぶつ言いながら海は帰宅前に寄り道をし、大型の雑貨店に入った。そもそも、それがどこに行けば豊富に売っているのか分からず、大きなバラエティーショップへ行けば叶うだろうという安易な発想だ。優奈は頻りに、ちゃんと可愛らしいの買ってくださいよね、と言って来た。さっきも念入りに、メッセージを送って来たくらいである。そんなに念押しされずとも、それなり物を選ぶつもりではいるが。どうもこういうことに、信用がないらしい。


「うわぁ……これは大変だ」


 メッセージカードのコーナーは、海の想像以上に鮮やかだった。キャラクターの物から、可愛らしい形の物。何だか派手にポップアップする物もある。流石にランチ会の招待状はここまで派手でなくて良いか、と目を移したシンプルなカード。大人の男女に送るには、このくらいが最適である。

 色々見ていると、何だか全部良いような気がして、海は頭を抱えていた。それでも、一つだけは決まっている。一目で、あぁこれだ、と思った物だ。淡い色合いの不揃いの水玉が、水彩で描かれている。オレンジや黄色、それからグリーン。暑い季節なのに、何だか春らしいようなデザインである。


「ありがとうございました」


 店員のお辞儀に小さく礼をすると、海は帰路に着く。鞄の中には、三種類のメッセージカード。一つは、表紙に色とりどりの花が描かれた物。一つは、高級感のある箔押しラインが入った物。それから、あの水玉の物。優奈だったら、もっと可愛らしい物を選んだのだろう。キャラクターが描かれている物を手に取っても、彼女なら受け入れられる。同じようなことを海だってやっていいのだが、それは気恥ずかしさが勝ってしまうのだ。さぁ後は、家に帰って書くだけ。これを渡すと言うことは、オープンまではあと少しと言うこと。この恋の終わりも、つまりもう少しなのだ。




「えぇと……」


 家に帰ると直ぐに、メッセージカードを手に取る。仕事の要件を全て終えてから、一息つきたい。携帯を操作して、千佳子から受け取ったメールを表示する。日にち、時間を間違えないように、丁寧に書き写した。カラーのペンだとか、シールだとか、そういったものを使えば良いのだろうが、生憎この部屋にはそんな可愛らしいものはない。花枝、森本、最後に朔太郎の物を書き終えた。

 二人分のカードを封筒に仕舞い、朔太郎のカードを手に取る。それを海は、暫く眺めていた。淡い水玉のそれは、彼には可愛らし過ぎたかも知れない。真っ先に、あぁこれだ、と思った。何故そう思ったのかなど分からない。ただの直感だ。朔太郎っぽい、とでも思ったのだろう。


 そこに書かれている文字をじっと見つめる。別に何の変哲もない、見慣れた海の文字。じっと眺めて、海はメッセージを書く紙を捲った。そうしてペンをもう一度取り、台紙に小さく小さく書き加える。もしも朔太郎がこれに気付いたら、まだ好きだ、と伝えよう。そう願って。




 カードを書いて二日。なかなか行く時間が取れず、まだ鞄に仕舞われたままだ。今日はスタッフが研修を始めたカフェへ、動線の確認に優奈と来ている。ある程度の確認を終えると、優奈がこちらに身を寄せ、カードは渡したんですか?とボソボソと聞いて来る。だが、特に内緒話にするような話でもない。


「今日の帰りに寄って行こうかと思ってるの。多分、森本さんのところは盆休みにそろそろ入るだろうし。優奈は先に戻って大丈夫だよ」

「何言ってるんですか。行きますよ」


 ちょっとムキに優奈が口を尖らせた。私だってきちんとお礼がしたい、と言うのである。


「そうだよね。ごめん、ごめん。じゃあ、帰りに一緒に寄ろう。でもまだ仕事あるから、お茶はしないからね」

「はぁい」


 ようやく嬉しそうに笑った優奈は、絵に描くように幸せそうだった。そうして森本の事務所まで行く道すがら、ずっと彼の話をするのである。呆れるだとか、苛立つだとか、そんな気持ちは全くなくて、最近は先輩と後輩というよりも姉妹のようだなと思う。こんな不器用な海を慕ってくれる彼女には、出来るだけ仕事も教えたい。そして何より、幸せになってほしいと願っている。

 目的地に着くと、躊躇いなく「こんにちは」と扉を開ける。緊張せずに訪ねることが出来るようになった、ここ――森本デザイン事務所。カフェが作り終えれば、暫く来ることもないのだろう。そう考えると寂しいものがある。


「お、木下さんかな。今日は二人?入って」


 扉を開けると、森本が優しい笑みを覗かせ手招きして誘う。朔太郎ががいなければ良いな、と思ったが、残念ながら三人揃って茶を飲んでいるところだった。


「あら、お茶入れるから飲んでって」

「花枝さん、すみません。今日はこれ渡しに来ただけなので直ぐにお暇します」

「あら、そう?」


 何だか驚いたような花枝は、キョトンとしてこちらを見ていた。海は直ぐに鞄の中から、三人分の招待状を出す。それから先ずは、今回はお世話になりました、と二人で頭を下げた。


「オープンの前日にランチ会を催すことになったんです。もしご都合がよろしければ、皆さんでいらっしゃいませんか」


 目一杯微笑んで、花枝と森本、朔太郎へそれを手渡した。ただ彼の分は、書き加えた点が思い出されてしまい、つい手元が震える。


「是非いらしてください。海さんのメニューも通ったんですよ」

「お、凄いね。どんなの出したの?」

「森本さん、来てからのお楽しみですよ」


 何だろうねぇ、と森本夫妻は顔を合わせて話し始める。朔太郎だけが、こちらを真っ直ぐに見ていた。手が震えていたことに気付かれたのだろうか。


「では、今日はこれで。急に伺ってすみませんでした。お待ちしておりますので、よろしくお願いします」


 海の言葉に、優奈は先に頭を下げる。彼女にとってもまた、思い入れのある仕事になったのだろう。事務所を出ると、大袈裟に息を吐いた。「あと少し頑張ろうね」と話し掛けると、優奈は大きく頷いて、真似して深呼吸して見せる。二人は会社へと、足早に歩き始めた。


 心に引っ掛かっていることは勿論ある。朔太郎とは、今日は何も話さなかった。目が合っただけだ。でも、それで良い。今はそれで良いのだ。今はそんなことに頭を悩ませている場合ではない。開店準備の合間に、別の仕事をしなければいけないのだ。

忙しければ、忙しいほど良い。余計な事を考えている時間が惜しいのだから。後はただ、朔太郎があれに気付いてくれることを願って。



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