第四話 さよならをするまでの間

 真夏日で風も吹いていないような、蒸し暑い日。カフェの確認や他の業務に追われていた海は、今日と言う日があっという間に来てしまったような気がしていた。

 あれから、特に何も変わったことはない。朔太郎とは仕事のやり取りを終えていたし、顔を合わせるのも今日が最後かもしれない。ランチ会、と言う名の仕事がその場だとするならば、それは少し寂しい気もするが。


「いらっしゃいませ」


 まだ慣れないスタッフがぎこちない動作で、海と優奈を席へ通した。社員は客役として、ここに来ている。そこで出ることが考え得る質問などを、態と店員へするのだ。明日からの本番の為に。二人は『友人とのランチ』という設定で、メニューの紹介を受けた。そこには海の提案した料理もあり、何だか擽ったい気もしている。


「海さん何にします?」

「やっぱり自分が考えたやつかなぁ。先ずはね」

「ですよね。私はどうしようかなぁ」


 珍しくスパッと決めた海の脇に、店員が次の客を通した。今日は天気も良く、大きな窓から外の緑が良く映える。お冷を一口飲んだ後、これをミント水にしてもいいかもなぁ、と考えていると、斜向かいの客と目が合う。花柄の招待状を持った、花枝である。


「海ちゃん。今日はご招待有難うね。素敵なお店になったわね」


 そう言いながらも、花枝は物珍しそうに店内を見渡す。森本もそれに釣られて「日光が程好く入っていいね」と微笑み合わせた。メニューに気を取られていたが、隣に座ったのは朔太郎だった。急に気不味さが込み上げるが、こんな公衆の面前でそれを表すわけにはいかない。


「お忙しいところ、すみません。ご協力いただいて、有難うございます」

「いえいえ。それで、木下さんの考えたメニューはどれなの?」


 メニューを開いたばかりの森本は、少し手元を動かし覗き込んでいる。老眼が進み、最近は新聞が読みにくくなったと言っていた。メニューの文字はもう少し見やすい方が良さそうだ。海は携帯を手にし、そっとメモを取る。


「あ、これ。これですよね。Cセットのサラダランチ」


 海が答えるよりも先に、メニューを覗き込んだのは朔太郎だった。僕の意見も役に立ったんだね、と海に笑いかけるが、答える方は引き攣ったまま。えぇそうですね、と声が上擦った。彼は、いつもと変わらない。恐らく、まだアレに気が付いていないのだろう。


「その節は、有難うございました」


 試食会の時を思い出してしまうと、その後の余計な記憶が脳裏にちら付く。あの日は本当に色んなことがあって、彼が自分の部屋にいることが信じられなかった。こうして仕事として会うと、その出来事がやけに違和感を持っている。


「バイト、いい意見言えたのか」


 茶化す森本は、いつものように穏やかで、どこか無邪気な笑みを浮かべる。彼もまたその笑顔に釣られてか、楽しそうにしているのが印象的だった。


 この仕事が終わっても、恐らく全く接しないわけではないだろうと思う。ここが軌道に乗れば、二店舗目、三店舗目と拡大するだろうし、その際はきっとまた森本の事務所に依頼するだろう。朔太郎が森本の元にいる限りは、そうした可能性もゼロではないし、何かあれば噂話で耳にすることになる。それはきっと、互いに。この距離感をどうしていくかは両者共に考えることなのだろうが、海はとにかく今日を以って、一区切りを付けるつもりでいる。それは、自分のために。


 終わりを決めたことに後悔はないが、迷いがない訳ではない。朔太郎の顔を見てしまうと、つい揺らいでしまうのだ。もう少し、好きでいても良いのではないか。片想いは自由じゃないか、と。そんな心とは裏腹に、既に書いて渡してしまったメッセージは後戻りを許さない。彼がアレに気付いたら、きちんと告げよう。気付かなければ、もう忘れる、終わりにする。海はもう一度、それを飲み込んだ。



「海ちゃん。この間はこれ有難うね。それぞれに違うのを選んでくれてね、可愛らしい」


 注文を終え、トイレに立った海が戻ると、四人は何やら楽しそうに話をしているところだった。話題は、先日海が渡したカードのようだ。


「いえ。本当は自分で作れたらよかったんですけど、ね」

「海さん、せめてもう少し可愛くしたら良かったのに。黒ペンだけって」

「あぁ、そうだよね。うちにそれしかなくて」


へへへ、と笑って誤魔化すと、何かが引っ掛かった。


「ちゃんと好きそうな柄を選んでくれたのよね」


 それから花枝は森本の分を手に取り、「これはとっても、森本らしい」と言う。シンプルで濃紺のそれは、落ち着いた森本に合っていると思った直感が当たったようだ。ただ、今海が感じた違和感は、隣に座った朔太郎の様子だった。海の渡したカードを、彼はまじまじと眺めている。何だか困ったような顔をして。


「何かありましたか?」

「あぁ。いや……何でもないですよ」


 明らかな苦笑に、海の方が困惑する。まさか、今気付いてしまったのだろうか。全身から冷汗が出て、もう右隣を見ることが出来ない。真正面では優奈が、不思議そうに海と朔太郎を交互に見ている。急に優奈が、ポンと丸めた右手を左の掌についた。


「そうだ、皆さん。正式なオープンの日なんですけど、打ち上げ計画してるのでいらっしゃいませんか」


 ニコニコとする優奈に、花枝が嬉しそうに「あら、誘ってくれるの?」と身を乗り出す。


「今回、私幹事なんですよね。出来れば皆さんにも来ていただけると嬉しいな、と思って。良いですよね、海さん」

「そうですね。もしお時間があったら、で結構ですので。お暇でしたら、いらしてくださいね」


 優奈に合わせるように、彼らを誘った。今回の打ち上げは関係者を出来るだけ呼ぼう、と千佳子が言っていたのは確かだ。


「田中さんも、ですよ。ねぇ海さん」

「え、あぁ。そうですね。お忙しくなければ、是非」


 優奈は楽しそうに、海に話を振る。そう言われてしまうと、こう返す以外はない。気乗りしているかどうかは、関係ないのだ。


「そうしたら、参加させて貰っても良いですか。入社初めての仕事なので、お誘いいただけて嬉しいです」


 あぁそうか、と森本が納得したように頷く。アルバイトとして来ていたからか、これが初仕事だと言うのを忘れていたと言うのだ。

 それは海も同じだった。自分の気不味さにばかり目をやっていたが、彼にとってみればこれは初仕事。あぁ、だから。熱心に休みの日にリサーチをしていたのだ。妙に納得する。自分を誘う口実だったのでは、と何処かで思っていた自分を恥じた。


 まだ会う日があるのなら。終わりはもう少し伸ばそう。彼がアレに気付いたら、きちんと言う。そのリミットは、打ち上げの解散まで。海はもう一度、終わりを決める。

 気付かれずに捨てられてしまえば、海の恋も終わり。一緒に捨てられるのだ。それまではこの気持ちに嘘を吐かずに温めよう。さよならをするまでの間。


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