第五話 勇気を出して
土曜十一時。カフェメニューの試食会の為、朔太郎はミノリの前に来ている。仕事の様で、仕事ではない。分かっていながらも、浮かれている自分が確かにいる。昨夜なんて、何を着て行けば良いのか悩み、更にはなかなか寝付けなかった。そんな理由で寝坊したとは、誰にも言えない。
少しすると海が小走りで駆けてくるのが見えた。デニムとTシャツの上に、小花柄のワンピース。いつもよりラフな格好の彼女に、何だか新鮮な気持ちを覚えた。あの頃は制服の記憶ばかりで、休みの日はどうだったかなど忘れてしまったのだ。だから今は、こんな服を着るのだな、と新鮮に映った。
「今日はお休みのところ、すみません。ご協力いただいて有難うございます」
「いえ。お加減はもう大丈夫ですか」
「その節はご心配を掛け致しました。熱も然程出ませんでしたので、大丈夫ですよ。では、こちらです」
彼女に案内されたのは、いつもの会議室である。個室にするパーテーションが取り払われ、広く繋げた形になっていた。そこへ料理が所狭しと並べられ、様々な人が試食をし、意見を言っているようだ。
「こちらに並べられているメニューを召し上がっていただいて、感想を教えていただけますか。私がメモを取りますので、気になった所をどんどん出していただけると助かります」
「わかりました。本当に、たくさんお野菜あるんですね」
微笑み掛けたが、海は硬い微笑みを浮かべただけだった。明らかに朔太郎の言動に警戒を見せているのだ。 ただ、それでも仕事である以上はしっかりこなす。 それが、彼女らしい。
「木下さんも何か提案されたんですか」
これらのメニューは、様々な部署の社員が提案した物らしかった。名前は伏せられているが、明らかに専門部署が考えた物ではなさそうな物が幾つか見受けられるのだ。流石に、野菜炒め、はなかったが。
「えぇと、はい。アレですね。キャベツのステーキ、それとグリル野菜のサラダです。ちょっと華やかさにはかけるんですけど」
海はそう指差しながら、微苦笑を浮かべた。その二品は、確かに目を引くような華やかさには欠ける。 周囲にはキッシュやボリューミーなサンドイッチが並べられており、彩からしても余計に見劣りしているようだった。
「シンプルなんですね」
「そうですね。お野菜自体が美味しいので、それを引き出す料理って考えたら、こうなりました。ランチなどの副菜狙いですかね」
「じゃあ、それからいただこうかな」
盛り付けサンプルが置かれ、その前に試食用の小さな皿やカップが並べられている。朔太郎はまず、キャベツのステーキに手を伸ばした。
「あ、美味い。こんなに甘いものなのですか」
人工の甘さではない。 これはキャベツ自体から出る甘味なのだろうか。 これまで野菜なんて深く考えずに口にしていた事を後悔してしまうくらい、朔太郎にとっては衝撃的なことだった。
「そうですね。春キャベツですと、もっと甘みが出るんですよ。味付けを極限までシンプルにして、本来の美味しさが出るようにしたいんです。好みもあるので、一応ベーコンやミニトマト、それとソースも添えるよう提案しました」
海は、盛り付けサンプルを指差して、説明する。野菜本来の旨味を出すには、無駄に調味料を掛けてしまうのは勿体ない。だからその提案には、納得が出来た。
「うんうん。僕もこれは、提供時にソースをかけない方が良いと思います。まずはこのまま食べて下さい、とかって口添えして。ほら、ソースが傍に付いていると、無意識にかけちゃいませんか」
「あぁ、なるほど。確かにそうですね。そのまま召し上がっていただけるなら、その方が絶対に良いと思います」
真面目に返答をした海は、少し嬉しそうに見えた。メモを取る顔が、ホッとしたように見えたのだ。そんな彼女を横目に、朔太郎はグリル野菜のサラダに手を伸ばした。
「こちらは、定番野菜に旬の物を合わせて提供しようと考えています」
「なるほど」
流石、野菜を取り扱う会社とあって、『サラダ』と名を打ったメニューがずらりと並んでいる。ポテトサラダのような定番の物。チョップドサラダのような彩り豊かな物。 その中で海のサラダは、少し魅力が欠けているような見え方だった。 火を通す事での野菜の色の変化が、原因だろうか。
「これの味付けは何ですか」
「こちらは岩塩と、バジルやオレガノといったハーブですね。先程と同じように、あくまでシンプルに野菜を楽しんでいただければ、と思って考えました。でも……やっぱり少し地味ですよね」
海も同じようなことを思っているのか、自信がなさそうである。 朔太郎は、ウゥン、と顎を撫ぜ「一般的な意見なのかは、分からないんですけど」と前置きをした上で自分の意見を言ってみることにした。
「グリルをすることで、多分鮮やかさが失われていて。それを他の生野菜サラダ何かと並べてしまったことで、余計に今は視線が行かない。もしかするとグリルしたベーコンなんかを一緒にして、大皿のメインの方に持って行くのも面白いかな、と思いました」
「メイン、ですか?」
サラダは、あくまで脇役だ、と考えていたのだろうか。 海は少し呆気に取られたような顔を覗かせた。
「この間一緒に行ったカフェみたいに、ランチセットとして考えるなら。サラダランチ、とかって名前を付けて。グリル野菜と肉系を一緒にしたものを、こんなシンプルな味付けで出すんです。でも、それだけじゃ足らない人には、例えばミニグラタン、とか。そういった物をプラス出来るように……って、どうでしょうね」
彼女の提案を通してあげたい気持ちがあったのだと思う。大して料理をしない朔太郎も、カフェメニューとして提供されることを想像し、イメージを伝えた。やはり他の品と比べて贔屓目に見てしまうのは仕方がないのだ。
「あぁ、なるほど。すごいです。色合いは確かに自信のないところなんですよね。大皿と小鉢の入れ替える感じですね」
「そうそう。せっかく野菜を売りにしたいんだから、サラダメインでもいいよね」
そう返した時には、海の表情が少し和らいだのが分かった。 ちょっと待っててくださいね、と断りを入れ細々とメモをし始めた彼女の丸いボブを、朔太郎はぼんやり眺めている。周りも楽しそうに意見交換をしながら、試食を進めているようだ。
「あ、バイトくん。今日は有難うね」
一頻り試食を終えた頃、少し離れたところから、千佳子が子供を連れて顔を見せた。バイトでいた時は、まだ子供はいなかった彼女も、すっかり母親である。
「で、木下どう?ちゃんと意見もらえた?」
「はい。こんな感じですね」
意見をメモしたバインダーごと、彼女は千佳子へ手渡した。思いのままに言った言葉が、他人に見られると思うと恥ずかしい。 そんなどぎまぎする朔太郎を、千佳子そっくりの二人の息子が見上げていた。 このまま帰るのか、彼らは可愛らしい揃いのリュックを背負っている。
「あれ、千佳子さん片付けとか大丈夫なんですか。私、彼を見送ったら、また戻ろうと思ってたんですけど」
「あぁ、今日はいいのよ。うちの課でその担当も振り分けてあるから。アンケートさえ出してもらえれば」
アンケートは彼に渡してね、と千佳子は若手社員を指差す。 ひょろっとした男性が、それに気付いて一礼した。
「木下、もしかしてこのまま家に帰ろうとしてる?用事がないなら、バイトくんをお礼の飲みにでも誘わないと」
「いや、千佳子さん。何言ってるんですか」
「いや、木下。お礼、よ。お礼。今日は休みのところ来てもらったんだから。たまには男子誘って、行っておいで。あ、でもこれってパワハラ?大丈夫?」
千佳子はそう戯けたが、海は笑わない。 ただ、子供達が「パワハラ、パワハラ」と繰り返し騒ぐだけだった。
そうして結局、その足で玄関まで見送られている。 彼女はここまで仕事の表情を崩さなかった。ならば朔太郎から誘ってみればよいのだが、情けないことに言えなかったのである。「今日は有難うございました」と丁寧に頭を深々と下げる海に、出来るだけ爽やかな顔をして朔太郎は手を上げる。
踵を返し去って行く彼女の姿に、 「何やってんだ、俺」と弱々しく呟いた。 その後ろ姿に、先日のランチのことを思い出したのである。 あの日の振り返らない背中に、胸が締め付けられたのは事実なのに。 本当に迷惑だったら、と思ってしまったのだ。はぁ、と溜息を吐いて歩き出すと、自分はこんなにも意気地がなかったのか、と何となく気分が鬱していく。
「あれ?バイトくん。結局、誘われなかったの?私、余計な事言っちゃった?」
そう言いながら朔太郎の肩を叩いたのは、千佳子である。すぐ後ろを出て来たらしい。
「あぁ、千佳ちゃん。そんなんじゃないけど。彼女にとっては仕事だから」
「あの子、硬いからねぇ。本当はさ、私だって少し元気付けてあげたいんだけど、なかなかね」
千佳子は、両手をギュッと握る息子たちに目を細めた。 あぁ仕事では見せない母の顔だな、と妙に感心してしまう。 当然、あの千佳子が母親だなんて、と思う気持ちは拭えないが。
「あ、その元気付けてあげたいって、何かあったの?」
素知らぬ顔で聞き返す。先日の畑中の話からしても、多分あの日のことである。
「あぁ、先週だったかな。昼明けに死んだ魚のような顔をしてて。もうこの世の終わりっていう感じの。大丈夫?って心配したら、カチッと仕事モードに切り替えられちゃってね。何があったのか、聞いてあげられなかったのよ。あれから風邪で休んだし、たまには男の子と飲みに行ったら、気が紛れるかなって気軽に言っちゃったのよね。ごめん」
「そっかぁ」
「あの子、難しく考えすぎるから。仕事でもプライベートでも」
千佳子にしては珍しく、困った表情を見せた。 彼女もまた、花枝のように海の幸せを願っている。 皆に愛されているのだな、と胸を撫で下ろした時、待ちくたびれた息子たちが「ママ、帰ろうよ」と騒ぎ始めた。
「千佳ちゃん。じゃあ、俺が誘ってみるよ。まぁ俺にそんな話してくれるとは、思えないけど」
「そう?有難う。こう見えてもねぇ、心配してるのよ。あの子、頑張り屋さんだから」
「そっか。きっと、分かってると思うよ。彼女も」
少し経ったら出て来ると思うからよろしくね、と千佳子は帰って行く。息子たちと繋がれた手を、大きく振りながら。
スゥッと小さく息を吸った。千佳子にそう宣言して、既成事実を作ったようなものである。あとはもう、彼女を誘うだけだ。
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