※ 踊る
◇◆◇◆
「いやぁ、疲れた。ビールください」
店に流れ込むなり、千佳子は厨房へと声を掛けた。優奈と向かい合う花枝の隣に腰掛けると、終わったぁ、と机に突っ伏した。
「お疲れ様です。どうでした?」
「一先ず、予定通り。二次会の波とは逆に行ったから、あの後一人なはずだよ。何だか元気がなかったから、ちょっと励ましておいたけど……あとはバイトくんがどうするか、だな」
「大丈夫ですよ。私、それとなく田中さんにも声掛けましたし」
千佳子は運ばれて来たビールをグビグビ飲むと、あっという間にジョッキの半分が消える。そうしてようやく、ふぅ、と大きく息を吐いた。 優奈も花枝も、彼女を待とうと、静かに見守っている。
「もう私、主演女優賞ものの演技だったでしょ?」
「本当、千佳ちゃん。上手だったわ、酔っ払った演技」
「千佳子さん、お疲れ様です」
三人でジョッキをカチンと合わせて、主役じゃなくて脇役だけどね、と笑い合った。優奈は千佳子と花枝を誘い、あの恋の裏方として、今日のミッションを遂行したのである。
「私ね、さっき優奈ちゃんの話を聞いてて思い出したんだけど……」
頬に手を添えた花枝が、少し困ったような顔をする。何ですか?と問うたが、花枝は少し考え込んだ。そんなに可笑しなことも言っていないと思うが。千佳子もただ静かに、花枝の次の言葉を待っている。
「いやね、バイトくんが上の空だったあの日に話した事、マズかったかもしれない」
「何何?あの日っていつ?」
「千佳子さんが、海さんに試食会の話をしに来た時ですよ。何か様子がおかしかった、あの」
「あぁ、死んだ魚みたいな顔してた、あの時ね」
あの時は本当に抜け殻のようで、同声を掛けたら良いのか分からなかった。それでも見て見ぬ振りも出来ず、おどおどしてコーヒーにヘルプを求めたのだ。千佳子と話をして、少し落ち着いたように見えたが、やはりあの日には何かがあったのだ。
「海ちゃんがクリスマスに彼と別れた時なんだけどね。あまりに落ち込んでたから、飲みに誘ったの。千佳ちゃんとか優奈ちゃんよりは、もしかしたら話しやすいんじゃないかしらって思って」
「そうでしたか。確かに木下は私たちに弱音は吐かないよね。愚痴は言うけど」
千佳子の言葉に、ウンウン頷く。海は決して弱音は吐かない。一頻り自分で踏ん切りがついた後に、あんな奴、と漏らすぐらいだ。泣き言を言っているのなんて、聞いたことがない。
「うん、そうかなって思って。お節介かもしれないけど、ちょっと聞いてあげようって思ったのよ。そうしたら海ちゃん、珍しく結構酔っぱらっちゃって。ポロっと過去のことを言ったのよ。一番最初の彼が忘れられなくて、それを忘れようと新しい恋をしてるって」
「珍しい。木下がそんな事言ったの?」
確かに珍しい。千佳子もそう思ったのだろう。二人は無意識に顔を見合わせた。海のそんな話など、これまで聞いたこともない。糞ったれな元カレのオンパレードだった、と言う話くらいである。
「あ、コレは本当に聞かなかった事にして貰いたいんだけど。その話をバイトくんにしたのよね。そしたら、なんて表現したらいいのか分からないけど、とても辛い顔をしてたのを今思い出して。話の流れ的にそれって……」
「え?その相手がバイトくんって事?」
優奈はその話を聞いて、何だか合点がいった。だって、海の選んだカードは、まさにそんな柄だった。深い意味はなかったのだろうと思うが、初恋だった、と言うならば、あの可愛らしい柄も納得がいくのである。甘酸っぱい青春時代の思い出だ、と言うならば。
「花枝さん。千佳子さん。これは、その線ありますよ」
「そうよね。何か私もそんな気がする。でももしそれが勘違いだったとしても、よ。木下は、間違いなくバイトくんのことが気になってると思う。それはきっと、恋よ。だって、あの子。最近綺麗になったもの」
千佳子はそう言うと、スッと人差し指を立てた。
確かに、最近の彼女は綺麗になったと思う。今までは本当に塗ってますか?と言う程度の薄化粧で、髪の毛だって面倒だからとボブだった。それがほんの少し化粧に色味を取り入れ、綺麗に髪を伸ばし始めたのだ。そうして、苦しい顔をすることはあったが、色んな表情を見せるようになった気がしていた。
「そうよね。バイトくんの方はよく分からないけれど、あなたたちに接するのとは違う何かを、海ちゃんに感じているとは思う。それは多分、悪い方向ではないと思うわ。だって、あの子。海ちゃんの話する時は、とても嬉しそうに笑うもの」
「だとしたら、ですよ。私たちの企ては、間違っていなかった、という事ですね」
「そうね。じゃあ……」
それぞれが話を繋ぎ合わせて、このミッションの成功を確信する。ニヤリと笑った三人は、ジョッキを高々と持ち上げ、乾杯、と笑顔で声を上げた。
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