だから、あなたとは上手くいかない。

第二話 そういう所が、嫌い

「急にお誘いして、すみません」

「あ、いえ。時間的に食べて戻りたかったので、ちょうど良かったです」

「ちょっと早かったんですけど……お腹空いちゃって」

　恥ずかしそうに頭を掻いた朔太郎は、リラックスをしていたせいか、青春時代を思い出させる。目尻に出来るあの皺。隣を歩きながら、良く見上げていた。

「朝ごはん、いつも食べる暇なくて」

「あ、一人暮らし……でしたっけ？」

　スペイン人の彼女はこっちに住んではないのね？ただの友人だったのかな？胸の中は騒がしいままに、直ぐに恋心を引き戻してこようとする。

「一人ですね。ホントは実家に帰ってもいいんだけど、うちの母は料理が下手でさ。ついでに、朝も苦手で……最悪ですね」

　そう話す朔太郎は、硬い言葉に少しだけ砕けた言い方が混じり込み始めた。無意識なのか、何なのか。混じり合って、話し方が少し可笑しい。朝が苦手なのは似てるんですね、と笑いながら、店員が持ってきたメニューを覗き込んだ。ランチは、パスタなどが乗ったプレートが数種類選べるようだ。

「あぁ悩むなぁ。Ｃのグラタンもいいけど、やっぱりカルボナーかな。いや、ミートソースも捨て難い」

　我に返り「すみません」と謝ったが、子供みたいな悩みで顔が赤らむ。美味しそうな写真が並んでいたからつい、と言い訳をしても恥ずかしいだけである。

「変わらないね」

「え？」

「昔もそうやって、一人でどうしようかな、こっちがいいかな、って悩んでたよね」

　彼はそう言うと、海を見ながらニコニコ微笑んだ。覚えていたんだ、そんなこと。覚えていなくてもいいようなことだけれど、キュッと心を摘ままれる。

「そ、そうですね。田中さんは、何にされますか」

　ここまで上手くやってきたのだ。カフェの開店を迎えるまでは、この一定の距離を保っていたい。直ぐに海の生真面さが、予防線を張る。表情を硬くし、田中さん、と呼んだ海に、朔太郎が少し意識して姿勢を正すのが分かった。

「そうだなぁ。Ａセットにしよう。今日は、トマト系の気分です」

「私は、Ｂセットにします」

　店員を呼び、ランチセットをそれぞれ頼む。食後のドリンクは、二人ともコーヒー。朔太郎はミートソース、海の頼んだＢセットはカルボナーラである。あれこれ悩んだくせに、結局は冒険出来ず好きな物しか選べない。そういう所が、自分では嫌いだ。

「食事が来る前に、ご相談したいんですけど大丈夫ですか」

　意図的にそう話し始めれば、彼との距離は一瞬で『仕事』に戻る。ソファの配置。ブラインドの色。車椅子が入ってきた時の対応スペース。机の高さ。まだまだ相談したいことは沢山ある。それなのに、心の隅には違う話題がチラチラと見え隠れしていた。自分で開店までは距離を縮めないと決めたのに。海は、それを必死に蓋をして仕舞い込んだ。

　仕事の話をし始めればあっという間に、食事が運ばれて来る。目の前に置かれる食事にテンションは上がるものの、広げた仕事道具が消えると何だか落ち着かない。まるでプライベートな時間だと言われているように感じるのだ。

　だから、海は意識して仕事の話で埋め尽くした。プライベートの話になるのを恐れているのだ。スペインの話をされたら、笑って聞ける気がしない。

「本当は、サラダバーとか入れたかったんですよね。ちょっと今回は、広さ的に無理でしたけど。次回は何とか入れたいなって思ってて」

「サラダバーかぁ。真骨頂みたいなものですもんね。あぁそう言えば僕、実はミノリさんの野菜、ちゃんと食べたこと無いんですよね」

　朔太郎はベビーリーフを口に入れながら、そんなことを言う。学生の頃に少しだけ食べたらしいが、それも大して記憶されていないようだ。カフェを作っていながら恥ずかしいですね、と彼はまた頭を掻いた。

「あの。その……ご迷惑じゃなければ、試食会にいらっしゃいませんか」

　単に美味しい野菜を食べてもらいたい、と思った。海には分からないけれど、もしかしたらカフェのイメージにも繋がるかも知れない。それならばいい機会だ。

「カフェで出すメニューなんですけどね。社内コンペになっていて、皆でレシピを出し合ってるんです。生野菜や果物も美味しいですけど、野菜を使ったデザートとかも色々出されて、面白いですよ」

「へぇ、そんなところに僕なんて行っても良いんですか」

「えぇ。皆、家族を呼んだり、友人を呼んだりするんです。森本さんにもお声掛けしたんですけど、別件があるとかで」

　落ち着いて説明をし出すと、段々と誘ってはいけない人に声を掛けてしまった気がして来た。どうしよう、今更後にも引けない。

「良いんですか。本当に行きますよ？」

「えぇどうぞ。それこそ、女性の意見だけでは偏りますし。一般男性の意見を聞けるのは、こちらも有難いです。野村さんたちだと、困ったら野菜炒めって言いますからね」

　言いそう、と朔太郎が同調すると、二人でクスクス笑った。躊躇いはあるものの、言い始めたのは自分である。二人で笑ううちに、何だか『普通』に慣れるような気がしていた。

　あぁ、そうだ。こうして、いつも穏やかに笑って過ごしていた。それがほっこりと幸せで、壊れることなど想像も出来なかった青春時代。今更返ってこない、あの時間を思い出す。

「あのさ、これを聞いたら嫌かも知れないんだけど……いい？」

「何ですか？」

「いや、ずっと気になってたんだ。どうしてインテリアコーディネーターの資格、取ったんだろうって。それも夢のために必要だったの？」

　きっと、単純に疑問に思ったのだろう。何でも慎重に必要な物だけを選ぶ海が、関係のない資格を取っていた。それが意外だった、と言うところだろうか。

「夢ね、それは、昔のこと、だよね」

「あぁ、うん。昔だけどさ、野菜とかの仕事に就きたいって言ってたのを叶えてるじゃない？それとインテリアが結び付かなかったって言うか」

「うぅん、まぁ確かに」

　まさか、朔太郎に会いたかったから、だなんて言えない。美大に進学したことまでしか、知らなかった彼のこと。同じ業界で働けるような資格を持っていたら、もしかしたらいつか会えるんじゃないか。少しでも近付けるんじゃないか。そんな女々しいことを思っていたのである。だから正直にこんな不純な動機など、言えるわけがない。

「大学の時に、友達と色々な資格を取って。これだけじゃない。カラーコーディネーターとか、アロマの資格も取りました。まぁこの件で、初めて役に立ったんだけれど」

　勿論、これは本当のこと。理沙と佐知と三人で、色々な体験をして、資格を取った。だけれど、これだけは一人で最初に取ったものだ。結局は、自分の考え続けた将来から外れることは出来なかった。朔太郎が働きそうな世界へ、飛び込む勇気がなかったのだ。結果として再会出来た訳だから、ヨシとするけれど。

「たくさん取ったんだ。すごいね。やっぱり大学も、計画的に過ごしたんだね」

「計画的に、とは少し違う気がするな。友達との勢いってあるじゃないですか？そんな感じです。雑誌に載ってた資格が面白そう、とか。誰かがフラれたら１アップのために、とか。本当に勢い」

「フラれた、ね」

「あ……」

　学生時代の事実をそのまま話せば、相手が悪かった。自分から恋愛の話などしてはいけないのに。額の淵から嫌な汗が溢れ出るようで、恥ずかしくなり、何度も前髪を触った。

　そうやって気まずさを隠していると、デザートとコーヒーが運ばれて来る。小さめにカットされたチーズケーキ。そこに、ホイップとアイスクリームが添えられ、苺のソースがかけられている。その上には、小さなミント。ほんの少しの物だが、苺色とのコントラストで凛と佇んでいる。綺麗だなぁ、と観察した海を、コーヒーの湯気の向こう側で、朔太郎が不思議そうに眺めていた。

「あ、ごめんなさい。急に変ですね。私、ミントが好きで」

「へぇ。ミントですか」

「そうなんです。結構、要らないって言う人いますよね。男の人って、あまり好きじゃないですか」

「うぅん、どうだろう。好きとか嫌いとか考えたことないかも知れないですね」

　朔太郎は顎を揉みながら、斜め上を見上げた。まぁ、ミントなんてそんなものだ。分かってはいるが。

「実は私、甘い物が苦手なんですよ。だから食べられないけれど、デザート自体は好きなんです。だから、こうやってホイップが乗ってたりすると、ちょっと構えるんです。これは、甘いぞって」

「そんなに？」

「そう。それで口内が甘くなると、ミントと混ぜて食べてリセットするんです」

「あぁ、そう言う意味でミントって付いてるの？」

「いや、正解は分からないですけどね」

　話を聞きながら朔太郎は、コーヒーにミルクピッチャーを傾けている。昔から、多めのミルクに砂糖少し。変わっていないのだな、と思った。

「相変わらず、ですね」

「え？」

「多めのミルクと砂糖少し」

　この仕事なのかなんなのか分からない、フワッとした時間を過ごしたせいか、こんな話をしても許されるような気がしてしまう。それを指差しクスッと小さく笑えば、あぁ、と朔は頭を掻いた。照れたり、困ったりするとすぐ、そうやって頭を掻く。昔から変わらない癖。

「やっぱり、忘れてなかったんだね」

「え……？今見ていたら、思い出したんですよ」

「そうなの？覚えててくれたのかと思ってた」

　その意味が分からずにいると、彼は初めて二人で打ち合わせをした日のことを話し始める。コーヒーの脇には、ミルク二つと砂糖が一つ添えられていた、と。

「やっぱり、ちょっと気不味かったじゃない？でも覚えてくれてたんだなぁって、ちょっと嬉しかったんだよね」

　朔太郎は嘘を言っているようには見えないが、海には覚えがまるでなかった。

「私、そうしてた？ミルクと砂糖、籠ごと持って行かなかった？」

「え？あ、うん。ミルク二つと砂糖一つ。それだけが添えてあったよ」

「あぁ嘘……ちょっと、待って。恥ずかしい」

　無意識だったのだ。客用のコーヒーを用意する、いつもの流れだったはずなのに。

相手が朔太郎だからと、そうしていたなんて。それではまるで、まだあなたのことを忘れていません、と言っているようなものではないか。

「なんかさ、こうしていると昔を思い出すね。しーちゃん」

　朔太郎が急に、昔と同じような風を二人の間に靡かせた。懐かしさだけなら、そんな言葉を言わないで欲しい。こっちは何年も夢を見続けて泣いて来たのだ。そう簡単には思い出話など出来るわけがない。

　それなのに彼は。昔のように、海を『しーちゃん』と呼んだ。海は、越えてはならない堰の前で必死に藻掻いて来たのに。朔太郎はいとも簡単に、それを乗り越えてしまおうとする。あの顔のまま、同じ声で。

　彼は昔からこうだった。気になる物にはすぐ飛びつく性格で、仲良くなればなるだけ、こちらのペースなど無視して飛び込んでくる。いつも自分のことばかり。まるで海のことなど、見えていないのだ。

　あぁ、そうだ。そんなところが、嫌いだった。