だから、あなたとは上手くいかない。

小島のこ

序 最後に見た彼は

 春の穏やかな陽に照らされ、彼はとても綺麗に笑っていた。卒業式。きっとこれで、もう二度と会う事はない。そう思えば、少し胸の奥がチクチクと痛んだ。


「……バイバイ」

「うん。元気でね。バイバイ」


 別れを惜しむような言い方のうみ。それとは対照的に、微笑み手を振った彼。友人と去って行く彼は、泣いていない。笑っている。

 私だけ、このままここに置いていかれる、そんな気がした。


 一緒にお弁当を食べたベンチ。

 一緒に寝転んだ中庭。

 一緒に授業を抜け出した非常階段。

 一緒に通った道。

 一緒に、一緒に。


 友達だって沢山いたのに、もう思い出すのは彼との時間だけ。楽しかった高校生活は、凝縮され三分の一くらいになる。脳裏に浮かぶぼんやりとした空気の中で、彼と私が笑っていた。


「……バイバイ」


 振り返る事なく、彼が背を向けていなくなってしまう。どこの大学に進むのかは分かっているけれど、もう会うことはきっとない。

 さようなら、私の恋――




「はぁぁ…………」


 また、だ。また、この夢を見てしまった。

 木下きのしたうみ、今年で三十歳。もう何年も前の思い出を、心の奥底に鍵をかけて仕舞い込んだはずの若い青春の苦い思い出を、何度も夢に見ては未だに藻掻いている。


「泣いてないだけ、マシか」


 何も音のしない部屋に、乾いた独り言が消えて行く。こんな日は決まって、朝食など喉を通らない。思い返したって、考えたって、何も先に進まないのに。あの頃を幾度と後悔しても、取り戻せるはずなどないんだ。

 海は温かいカフェオレを淹れ、無表情のままに身支度を始めた。


 あれは、まだ若かった頃の淡い恋だった。高校生の頃の青春。

 大学に入って、消えて行くと思ってたけれど。何も消えてはくれなかった。社会人になって、流石に薄れた記憶。それに安堵しながらも、何度も何度も夢に見たあの日の彼。最後に見たあの屈託のない笑顔が、いつも胸を締め付けているのだ。

 その反動なのか。流れるような現実では、阿呆みたいな男に何度も引っかかった。あれからは、溜息しか出ないような恋愛事情しか持ち合わせていない。 そんな恋しか出来ない自分も、忘れられない自分も、全部馬鹿みたいだ、と思う。それは毎日だ。

 あれから、この春で十二年。


「顔色、悪っ……」


 髪を簡単にセットして、肌艶のない顔に最小限の化粧をする。気分を上げるように、桜色の綺麗な口紅を塗って。泣きそうな顔に、パシン、と両手で気合いを入れ直した。

 今日は金曜日だ。今夜は理沙りさに付き合ってもらって、早く忘れて前を向こう。海はそう思いつつ、真っ直ぐに顔を上げた。

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