第二話 春はまだ遠い
代り映えのない朝。楽しそうな小鳥の
何度夢を見ても、彼は笑顔でサヨナラをする。それは、儚くも綺麗な微笑みである。
いつも変わらない夢など、擦り切れるまで見ていたVHSと同じである。次はこう、それからこんなことを言うのよ、と台詞を覚えてしまったドラマのようなものだ。
理沙に付き合ってもらって、飲んだくれたのは金曜の夜。馬鹿みたいにはしゃいで、スッキリしたと思っていたが、本質は何も変わらない。だからこうして、いつもの朝を迎えているのだ。あの夢を見て、息苦しくなって、逃げるように人混みに逃げ込む。そうしていれば、仕事への頭に切り替えられるから。でも今朝は、電車が揺れるのに合わせるように溜息が零れた。
きっと、あれがいけなかった。理沙と飲みながら、今何をしているのだろうと考えてしまったこと。触れることのない答えを探して、いつの間にかあれこれと妄想ばかりが膨らんでいた。電車を降りて、会社まで歩く。頭の片隅には、儚く微笑んだ彼の残像が今もあった。春はもうそこまで来ているのに、吐く息は白い。 まだ春は遠いということか。それにしても、彼の夢を見ることが日に日に増えている気がする。
「おはようございます」
人ってそんなに急に変われるものではないし、何なら十数年引きずっている恋を数晩で忘れられる訳がない。だから今日考えてしまうことだって仕方ないのだ。そう自分に言い訳をしながら、自席に着く。出社してしまえば、彼のことなど考えている暇はない。朝イチには、新店舗インテリアのミーティングが入っている。
デスクにバッグを置き、パソコンを立ち上げる。隣席の後輩――
「木下、ちょっといいかぁ」
「あ、はい」
課長の
「新店舗のインテリアプラン仕上がってるか」
「はい、先日指摘のあった箇所を手直しして、まとめてあります」
「じゃあミーティングでもう少し詰めよう。そろそろデザイン案も纏めて行かないと。森本さんに怒られちゃうよ」
海の勤めているのは、有機野菜の小売をしているミノリという会社である。契約農家と買い手をインターネット販売で繋げるのが主な仕事だ。時は契約農家の畑の調査にも行き、天候などによる生育状況を自分の目で確認する。真面目に向き合えば、とてもやりがいのある仕事だ。仕事はとても楽しく、プライベートを抜きにすれば順調なのである。
しかも今は、たまたま持っていた資格が活き、新規事業チームに配属されている。新鮮な野菜を使ったカフェの立ち上げ。初めての大仕事だ。それにしても、インテリアコーディネーターが役立つ日が来るとは思わなかった。学生時代にどうしても取りたいと頑張ったものだが、理由は今考えても不純である。
「販売方法をどうするのかによって、大きく変わるかと思っています。これについては、皆さんのご意見を伺いたいのですが、いかがでしょうか」
「そうねぇ。この案は面白いんだけれど」
ミーティングは形式ばった物でもなく、カフェミーティングのような体裁である。コーヒーや茶を手にしながら気軽に意見を言い合おう、という陽気な企画課の課長――
今話し合っているのは、カフェに併設する野菜の販売スペースについてである。実際に手に取って選んでもらおう、と言うところまでは一致しているのだが、それではインパクトに欠けるのではないかという懸念も出ていた。やはり目玉になるような何かが必要ではないか、と。そこで海が提案したのが、泥付きの野菜を販売しよう、と言うことである。
「例えば土を敷いた所に、人参なんかが植わってても面白いんだけどな。管理が難しいかとも思うんだ」
「そうですね。根菜なんかは比較的良いですけど、葉物は適さないと思います。そうなると、イベントとして豆類や茄子、トマト、オクラなんかを収穫するなんて何でしょうか。それならば、週末だけですとか期間も限定することが出来ます」
「なるほどね。じゃあ、その野菜はどう作る?」
「あぁ……そうですよね」
自分で収穫する、と言うことが都会で生まれた子供には、良い体験になるのではないかと思っていた。実際に野菜がどう実るっているのかを知らないのではないか。海はこの仕事に就いてから、そう感じることが多くなっていた。
海の祖父は、小さな農家だった。毎朝早く起きては、畑を手入れし、収穫、出荷していた祖父の姿を記憶している。時には泥だらけになりながら手伝い、祖母が洗って出してくれた採れたて野菜の美味さは忘れられない。あれがあったから、今の会社に入ったようなものだ。
「あっ……」
「どうした。木下、気軽に言って良いんだぞ」
「あ、あの……いや。うぅん、ちょっと待ってください」
海は慌ててパソコンで検索を掛ける。商品名は思い出せなかったが、『屋内 野菜』と打ち込みイメージに近い物を探し出す。パソコンをクルリと回し、全体へ提示した。
「これはインテリアの一部として野菜を飾ることが出来ます。LEDが必要になりますけど、棚やパーテーションといった様々な形の物がありまして。そこでカフェで提供する野菜を作るのは如何でしょうか。勿論、全ては賄うことは出来ないので、トッピング程度の物にしかならないとは思いますが」
視線が海へと一手に注がれる。変なことを言ってしまったのではないか、とつい不安に駆られるのが小心者の証だ。
「なるほど。トッピング程度でも乗せられたら、子供も興味持つかもしれない」
「ラディッシュとかハーブ辺りが手頃かな。あぁ、イチゴとかも出来るんじゃない?」
皆の意見があれこれと出始めると、こっそりと深く息を吐いて人心地付いた。どうも輪の中心にいるのは苦手である。
「よし。そうしたら、木下。午後から、森本さんのところへ行って相談して来い。そうだな、畑中も連れて」
「承知しました」
森本、と言うのは、夫婦で小さなデザイン会社を経営している。昔から世話になっている森本には、野村も頭が上がらないらしく、取引先と言えど親戚のおじさんみたいなものだ、と笑っていたこともあった。
海は、今回の件で初めて彼とまともに接している。これまでは、大して絡めるような仕事をしておらず、何となく優しそうなおじさまという認識程度だ。
「あ、野村。聞いた?森本さんのところ、バイトくんが戻って来るらしいわよ」
ミーティング終わりに千佳子が、思い出したかのように野村に話し始める。バイトくん、と言うのは、海は全く思い当たる人はいない。
「あ、本当?あいつ、なんて言ったっけ?バイトくん。大学卒業してトルコに行ったんだよな」
「嘘、カナダじゃなかった?」
二人は懐かしい顔を思い浮かべているのだろう。バイトくんと呼ばれる男性の行き先こそ合致していないが、過去を掘り返すように楽しそう話が弾む。きっと、大学を卒業して海外へ行った。これだけは正解なのだろう。
「あ、そうだ。木下。森本さんのところに行った時に、聞いてきてもらえる?バイトはいつ戻って来るのかって。あいつ、すごいアイデアマンで頼りになるんだよ」
「分かりました。聞いてみますね」
「多分、そのインテリアのアイデアもくれると思うんだ。森本さんとは違う視点でな、時々良いこと言うんだよ。バイトって言えばわかると思うから、よろしく」
野村と千佳子は嬉しそうに話しながら手を振り、海に背を向けた。余程、バイトくんが懐かしいようで、昔話が始まってしまったようだった。話を聞いていた限り、バイトくんと呼ばれる男性は面白そうな人である。いつも真面目だと言われてしまう海と、ウマが合うといいのだが。
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