第四話 終わりにしなければいけない
ベリータから連絡が来たのは、一週間が経つ頃だった。
きちんとしなければと思っていながら、時間ばかりがズルズルと過ぎていったのは、忘れていたからではない。考えないようにしていた。ベリータの優しさに甘えていただけである。
海の家で目覚めたあの日。驚きが沢山あった中で、確実に心温まる自分がいることは分かっていた。ランチを食べに行くのに並んで歩いて、この先もこうして歩くことが出来れば、とそう願ったのだ。それは、好きだ、と単純に感じたわけではない。ぼんやりと、そんな感情が湧き出て来た。電車の中で深く自問したが、結果は同じ。二人で歩きながら年を重ねていきたい。それが全ての答えなのだ、と思った。
だから直ぐにレターセットを買い、ベリータへの気持ちを素直に綴ることにしたのだ。スペインでの生活が楽しくなったのも、彼女と出会えたからだ。心細かった夜も、むしゃくしゃした時も傍にいてくれた。他国で生活している息苦しさを埋めてくれたのは、全てベリータだった。その感謝は忘れてはいないし、今でも大切にしたい過去である。でもそれは、それ以上ではなく、本当に大切な思い出でしかなかった。
「おい、なんだ?朝から難しい顔して。何かあったか」
「あ、おはようございます」
夜中にベリータから連絡が着ていたからか、事務所に着いても尚考え続けていた。森本がする眉間の皺を伸ばすジェスチャーを見て、ハッと我に返る。
「いや、実は。昨夜スペインの友人から、今晩連絡をしろってメッセージ着てたんですけど、どっちの時間の今晩だ、と思って」
「あぁ、なるほど。そりゃ難しいな。時差八時間くらいだっけ?」
「七時間、ですね」
本当は、時差などどうでも良い。ベリータの言う一晩、というのは、スペインの時間のことだろうことは何となく分かっている。彼女もまた、そんなことは気にしていないだろう。メッセージを読んで返信があるのか。大事なのはそこである。仕事で手一杯で考えられないだけなら、既読になった時点で連絡が来る。既読になっても尚連絡が来ないのなら、それはそう言う答えだとベリータは理解しているはずだから。
大切な人を見つけたのなら、連絡はいらない。
そのメッセージを読んで、ベリータは何かを察しているのだと思った。長期間返事がなかったことでそう思うのか、それとも日本に来た時に思ったのかは分からない。あの時は海に再会してパニックになっていた。その様子を見ていたベリータは、何を思ったろう。それでも彼女は気持ちを伝えることを選んだ。今でも海のことで、うじうじしている朔太郎とは大違いである。
海に再会してしまったから、ベリータの気持ちが受け入れられなかった。もう少し早ければ、受け入れられていたのか。そう考えたところで、彼女とのこれ以上は全く想像出来なかった。つまり、ベリータとの関係はそれまで、なのだ。
「バイト。若いうちは、沢山悩めよ」
森本が何かを悟ったように、ケラケラと笑った。 ムスッとしながらも、その瞳の奥にある温かい愛情を朔太郎は理解している。表情を戻しながらパソコンを立ち上げた朔太郎を、ミーティングテーブルから森本夫婦は目を細めてい見ていた。考えたところでベリータの期待するような返事は出来ない。それならば、ウダウダしても仕方ないのだ。
期待に応じられないもどかしさはあったが、中途半端な優しさはあってはいけない。慰みではない、憐れみに感じてしまうから。朔太郎は無心に働いた。余計なことを考えては、きっとベリータにも申し訳ない気がしたからだ。そうして定時を迎える頃、彼女からメッセージが届く。
『朔、分かったわ。下手に優しくしないでくれて、ありがとう。次に連絡をする時は皆と同じ、友人として話しましょう。ただ一つだけ、お願いがあるの。ここで過ごした時間をなかったことにはしないで。いつかきっと、皆と桜を見に行くわ』
ベリータは泣いているかもしれない、と思った。彼女は強くて聡明な女性だ。自分の考えは真っ直ぐに主張するが、弱さを他人に見せることは苦手だ。だから、きっと泣いているだろうと思った。今日ばかりは、スペインの景色と彼女の顔がチラついている。
『ベリータ。僕からも一つだけ。スペインでの日々を、ありがとう』
それが朔太郎に言える、ただ一つだった。
カレンダーに付けられた印を見つめる。ミノリのカフェ完了まで、あと少しだ。あの日からまだ海には会っていないが、電話をした時にはいつもの『木下さん』だった。
彼女はどう思っているのだろう。気になるが、今はまだ事を起こすタイミングではない。仕事を仕上げた後で、海にきちんと伝えたい。それまでは、この距離のまま。
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