※ 脇役の
――え?いつからそう思ったか、ですか?そうですね、強いて言えば初めから、です。えぇ。これは女の勘。多分、海さんが田中さんを気になっている事だけは、間違っていない。それには自信がありましたよ。あんな海さん初めてでしたし。花枝さん、覚えてますか。田中さんが、挨拶をしに来た時の事。そうです。そうです。私と海さんが、お茶を飲んでた時にいらっしゃって。
「あ、えぇと。初めまして。田中朔太郎です。宜しくお願いします。すみません、まだ名刺がなくて」
「あ、いえ。は、初めまして……ミノリの木下海、と申します。よ、宜しくお願いします」
バイトくんは、田中さんって言うのか。年は多分私よりも上。海さんと同じくらいかな。顔は小さめ。カッコいいけど、背はもう少し。あと五センチあればなぁ。ん、海さん、手が震えてる。どうしたんだろう。顔も引き攣ってるし……知ってる人、だったのかな?
――もう、違和感しかなくて。え?気付かなかった?あぁ、花枝さんからは見えなかったかもしれないですよ。海さんの手元までは。私もいつもなら見ないんですけど、明らかに海さんが動揺してたんで。ちょっと気になって見てたら、こう、小さく震えるって言うんですか?名刺が小刻みに揺れてて、それを抑えようとしたのか、グッと握ってましたもん。だから、それから気を付けて見てたんですよ。え?楽しんでるだけじゃないかって?違いますよ。海さんって、もうとんでも無いダメ男ばっかりに引っかかってて。私としては、きちんと幸せになってもらいたいっていつも思ってたんです。先輩として、とても尊敬してますから。で、ね。田中さんの初日の日ですよ。私、実はその週末に見ちゃって……
「海さん、海さん」
私は偶然、週末に田中さんを見てしまった。それがどうしても海さんに伝えたくて。でもきっと、わざわざ知らせる事じゃ無いって言われそうだから、メッセージを送らずに朝一で知らせようと走って来たところだ。
「何、朝から。おはよう優奈。一体どうしたの」
「あ、おはようございます」
「月曜の朝から元気ね。あ、かっこいい人でもいた?」
チラリと私に目をやった後は、いつもの他愛のない話だろうと、海さんは手元に目を戻す。違いますよ、と答えて私はちょっと呆れた。もう私をどんな子だって思ってるの。まぁでも、確かにかっこいい人がいたら同じようにするか。うんうん、強くは言えない。
「じゃあ何なの。優奈が、朝から興奮してくる話なんて」
「森本さんの所の、あのバイトくんですよ。えぇと、田中さん?」
海さんは、冷静な様を崩していないつもりだろうけれど、片眉が引き攣ったまま「田中さんだね、どうしたの」 と返答してくる。
「私、昨日見ちゃったんです。田中さんが彼女さんと歩いてる所。外国の綺麗なお姉さんと一緒で。声を掛けるわけにもいきませんし、一部始終観察しちゃいました」
背が高くて、スパイラルパーマのようなクルクルした髪を、キュッと一つに纏めていた女性を思い出す。海さんは表情を変えずに聞いているけれど、心ここに在らずだ。やっぱり、この二人。何かあるのだろうか。
「へぇ。あ、あれじゃない?スペインの彼女」
「そっか。そうかもしれないですね。東京駅で、爽やかにハグと言うか抱き合って、笑顔で手を振ってて。素敵でした」
私は意地悪だなと思ったけれど、海さんの反応には気が付かないフリをして、素敵なものを見たウキウキ感をそのまま伝えている。「へぇぇ、そっか」 と相槌を打つと、彼女は下を向いてしまった。私、やっぱりいけない事を伝えてしまったのかな。
「あれ。ショック受けました?田中さんみたいな人、タイプでしたっけ」
いつものように戯けると、海さんは「違うわよ。私は、ロマンスグレーの紳士がいいの」と意地を張る。でも知ってる。本当は、ロマンスグレーなんて好きじゃないことくらい。
「うんうん。そうですよ。本当に男運ないですからね。年上の方がいいですよ」
「こら。優奈も人の事笑えないからね」
そう言う海さんはもう、いつもと同じ。はぁい、と口を尖らせる私にチラリと笑い掛けて、もうパソコンと向き合った。全然手は動いていないけれど。
――え?知らなかった?あぁ、スペインの彼女の件ですか。男の人じゃあ、わざわざ茶飲み話にもあげませんよね。ん?この間、田中さんが悩んでたんですか?スペイン云々って?あ、森本さんが、気が付いたんだ。何か難しい顔をしてるって言ってた。あぁ、そうなんですね。じゃあ、もしかすると。何かをキチンとしたのかもしれないですね。
あ、それで。話戻しますけど、その田中さんの初日の日。森本さんに意見をもらおうと、海さんが事務所に電話入れたんですよね。そしたら、田中さんが出たみたいで。
電話を終えた海さんが、受話器を置き、ふぅ、と漏らした。表情は硬い。話し方からして、森本さんではなさそうだ。
「森本さんいらっしゃらなかったですか。今の田中さんでした?」
「そう。森本さんか花枝さんが出ると思ったから、驚いちゃった。今日から居るってこと一瞬忘れてたわ。一先ず今から、田中さんが代打でいらっしゃる事になったから、少し抜けるね」
仕事の顔をしているけれど、どこかぎこちなく見えるのは何故だろう。野村さんに説明をして、海さんは打ち合わせの準備を始める。資料を作る様は、別にいつもと同じ。私の考え過ぎかなぁ。でも様子は明らかにおかしい。これはもしかすると、もしかするのでは。私は、グルグルと考えを巡らせる。程なくして田中さんが来社すると、海さんは強張った顔のまま席を立った。
「海さん、ちょっと」
会議室へ田中さんを通し、海さんは飲み物の準備で出て来る。私はそこを捕まえて、給湯室に引きずり込んだ。海さんは驚いたように「ん、どうした?」なんて言っているけれど、出だしは肝心。ここは私の出番だ。
「海さん、ダメです。ちゃんとリップケアしてください。ほら、持って来ましたから」
「え、なんで。そんなにカサついてる?」
海さんは唇に触れた後、指に少しついた紅の色を見て首を傾げる。やっぱりこういう所、気にしていない。身だしなみの一環。初めの印象は大事なんだから。
「違います。もう少し、グロスとか塗ってくださいよ」
「いや、今グロス塗る必要ないでしょ。仕事中なんだから。それだけ?まったくもう」
「海さん。私は、田中さん良いと思います。彼女いますけど……私、応援しますから。なので急いでグロス塗ってください」
「え?いや、意味が分からない。デートする訳じゃないでしょう」
海さんは、何も気付かれていない、普通の仕事の相手だ、と体面を保っているようだった。私だって、楽しんでいるわけではない。ただ純粋に、海さんが彼を好きなら応援したいと思っているだけなのだ。コーヒーの準備を始める海さんは、私の必死さを本当に呆れて横に流す。でも、私の勘は間違っていない。チャンスは活かさなきゃ、とまた声を掛けると、今度は諦めたようだった。
「あぁ、もう分かったわよ」
「そう来なくっちゃ」
仕事なのは十分に分かってる。だけど、取引先だからって恋をしてはいけないなんて決まりはない。綺麗に塗りながら、つい鼻歌を歌ってしまう。
「バレない程度に可愛く塗っておきました」
「はい、有難う。もう、あの書類確認しておいてよ。まったく」
「分かってますよ。それとこれとは別問題ですから」
「はいはい。分かりましたよ。えぇと、ミルクと砂糖……」
いつもは籠ごと持って行くのに、海さんはミルク一つと砂糖を二つトレーに乗せる。どういうことだ?彼が使う数を知っている、ということだよな。ふぅん、と覗き込んだけれど、海さんはまた不思議そうな顔をする。あ、無意識に準備しちゃうくらいの関係性なんだ。 なるほど……
「じゃあ、健闘を祈ります」
今の段階では、二人の過去に何があったのかは分からない。けれど、これはいい流れに持っていけるんじゃないか。私は、深く確信した。
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