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 持久走大会があと五日でやってくるという日に学校で、彼が初めて話しかけてきた。


「あの、いつも土手で走ってますよね?」

「あ、はい。」

「あの、僕が言うことじゃないかもしれないけど、走る時に背中が曲がり過ぎていて、多分、息苦しいんじゃないかって思ってて。」

「え、姿勢悪いですか? 気をつけた方がいいのかな?」

「もうすぐで持久走大会ですよね? そこまでに一言、言っておかないとなんか後悔しちゃうような気がして、いきなり話しかけてすみません……」

「いや、別に気にしてないよ。今まで運動まともにしたことないからさぁ、アドバイスがもらえて嬉しいよ。」

「それじゃ、今日も多分走りますよね? その時お互い頑張りましょう。」

「ちょっとまって! 名前はなんで言うの? 実は知らなくて……」

「あの、白木です。二年四組です。その、あなたの名前は?」

「あ、そっか、二年二組の青木っていいます、よろしく。」


 チャイムが鳴りそうだったので、少し急ぎ気味ではあったが、自己紹介を済ませた。たしかに一週間も走っているはずなのに、あんまり体力は伸びてなかった。すぐに息が切れてしまうので、本番の4キロを走ろうと思っても半分も行かずに歩かないと辛くなってしまう。なので、白木くんにアドバイスを貰えてよかった。時間がある時に彼に色々と聞いてみたいな。


 学校からの帰り道で前方に見たことがある、周りよりも背が高い学生がいたので、もしかしてと思い、急ぎ足で追いつき、顔を確認する。やっぱり白木くんだった。話したいこともあったので、話しかけてみる。


「あ、白木くん、今日はありがとね。」

「帰り道一緒なんですね。僕もいつもこの道を通ってるはずなんですけど、気付かなかったな。」

「いや、もうすぐ持久走大会なのにさぁ、全然スタミナがつかないからどうしようかと思ってたんだけど、白木くんのおかげでなんとかなりそうだよ。もし、他にも気になるところがあったら言って欲しいな。」

「でも僕、もうすぐ家に着いちゃうんで、アドバイス出来ないかもしれないです。」

「あ、家この辺りなんだ。だったら結構近くだね。」

「すみません、もう着いちゃいました。」

「ここかぁ。」


 白木くんの家は土手沿いにあって、学校から歩いて、数分で着くぐらい近かった。


「あ! だからか、俺が走る時にいつもいるからずっと走ってるのかと思ってたけど、たまに帰ってたりしてたのかな。」

「そうですね。時間を決めて走ってるんで、一日に何回もここで走ってます。」

「今日も多分走るんでしょ? それじゃその時また会おうよ。」


 なんかおかしいとは思ってたんだ。だってほんとにいつ来ても走ってるし、しかも俺が帰る時にもまだずっとここにいる。そんなに長時間走れる訳ないよな。たまたま俺がいない時に家に帰って、休んでるんだろう。それでも、ものすごい距離走ってることになるけど。


 家でさっさとランニングの支度をして、おそらく待っているであろう白木くんに会いにいく、ちなみにおじさんはこの人のこと知ってるんだろうか?聞いてみようかな。


「おじさん? あのさ白木って人知ってる? 二年四組の。」

「え! たしか……なんかウチの同級生にオリンピックの強化選手に選ばれた人がいるって話を聞いたことがあるんだけど、それが白木じゃなかったかな? 白木真司くん。」

「そうなの!? じゃあオリンピック出たの?」

「いや、たしか怪我して出れなかったんじゃないかなぁ? なんか白木くんのsnsで見たような気がする。」

「そうだったんだ。いつ頃なの?」

「うーん、大学でなんか怪我したとか言ってたような気がする。覚えてないけど。」


 こんなこと知ってしまっていいんだろうか? なんか個人の触れちゃいけない所に、勝手に入ってるような気がして、いい気はしないかもしれない。本人に伝えようにもどうやって伝えたらいいんだろう。怪我しないように気を付けて走ってねとか言うのか? そんなの当たり前過ぎて日常会話にしかならないだろうなぁ。


「まぁ、とにかく行ってきます。」

「行ってらっしゃーい!」


 どうしようか迷っていながら土手に着くとやっぱり白木くんは走っていた。出来れば一緒に走りたいと思ってたけど、そんなに真剣に走っているなら邪魔できないし、何か無理しないように言葉をかけたいけど速すぎて追いつかない。明日辺りに学校で会ったら話してみようかな。

 怪我をしないように全身の筋肉をストレッチでほぐしてから走る。今日言われた通り、背中を出来るだけ曲げないようにして、姿勢良く走る。たしかに呼吸がしやすく、しかも景色がよく見えるので、楽しかった。周りがよく見えるので自分のペースが速すぎないかある程度、客観的に見ることが出来た。


 大体3キロ走ったところで、ガツンと疲れてしまったが、今までのように体が動かなくなるような感覚はなかったので、手を大きく振って、全身がそれについてくるように、引っ張って行かれるように意識して走ると自分が決めた目標の場所までたどり着くことができた。


 あんなアドバイス一つでこんなに大きく変わるんだと言うことが不思議で、まだ疲れていた体がウキウキと喜んでいるような感じがあった。しかし、白木くんはまだ走り続けていて、話がしたくても出来ない。仕方ないので、近くにあった公園のベンチに座り、彼が走り終わるのを待つ。


 このベンチに座ると早退していた頃のことを思い出すなぁ。いつもここで空を眺めていたんだよ。ずっとここにいて、飽きたら帰ってゲームして、間違いなく俺は幸せだったけど、それは長続きはしないらしい。白木くんがあれだけ頑張っているように、他の同級生も何かしら頑張って生きているんだろう。俺だけが何もせずにボーッとしていたんだ。


 白木くんが目の前を通り過ぎようとしてやめた。どうやら休憩がてら話を聞いてくれるようなので、俺もそれとなく怪我をしないように言ってみる。


「おつかれ、いつもこんなに走ってるの?」

「うん。じっとしてると退屈だしさ。暇さえあれば走るようにはしてるよ。」

「ストレッチとかもさ、毎回走るたびにやったりしてる?」

「まぁ、怪我はしないように気を付けてるよ。前に捻挫した時にはずっと走れなくて暇だったし、そうならないようにはしてる。」

「マジか、そりゃそうだよね。」

「それよりもいつもより走れるようになってたね? やっぱり姿勢が変わると楽になった?」

「だいぶ楽になったよ、目標の場所まで走れたのは初めてだったからさ。ありがとね。」

「そんな、今までずっと走り続けてたからだよ。僕はそんなに関係ないと思うよ。」

「もしさ、良ければ他にも直した方がいいところ教えてくれない? なんか頼んでばっかりで悪いけど。」

「気にしないでよ! 自分でも気にしなきゃいけないことだから、自分の役にも立つような気がするんだ。」


 それから夜が訪れる直前まで、二人で話した。とは言いつつ俺はただ聞いてただけだ。彼は本当に知識が豊富でランニングのことになると、今までとは打って変わって饒舌になった。聞いてて面白かったし、こんな人がオリンピックに出て、頑張っているんだと思うと苦手だったスポーツも好きになれた。


「じゃあさ、怪我しないようにするにはどうしたらいいの?」

「やっぱり、ストレッチとか柔軟運動を忘れたら危ないよね。筋肉が緊張しすぎないようにして、それでも全力は出せるように、走ってる時は色々なことを考えちゃって、そんなことに気が回らなくなる瞬間もあるからやっぱり、走る前にしっかり柔らかくしておくことが大事だと思うよ。」

「ありがとう! でも大分暗くなってきちゃったね。もう帰った方がいいんじゃない?」

「そうだね、そろそろ帰ろうかな。じゃあまた明日!」

「明日ね。怪我に気を付けてね〜」

「心配してくれてありがとう。君も怪我しないように。」


 あんなに走ることが好きな人が将来、怪我をして、走れなくなってしまうらしい。虚しくなりそうな心臓と疲れた身体を引きずるようにして歩いた。

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