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 今は久々にゆっくりしている。午前中に洗濯と宿題を終わらせ、優雅にコーヒーを飲みながら小説を読んでいる。なんだか退屈な小説だなぁと思って読み進めていたが、話が進むにつれ、情景が頭の中に浮かぶようになってきて、一緒に買ったあの小説の、ドラマ的な面白さとはまた違った良さがあった。


 なんだか他にも読みたくなってきて、今度また本屋に行こうかと思ってきたが、小説のことは全く詳しくないので、何を読めばいいのかわからない。明日学校で上田さんに聞いてみようかな。


 小説にも飽きてきて、他に出来ることを探す。ゲームをやる気分じゃないし、ランニングはジャージが乾いてからじゃないと出来ない。おじさんは俺が宿題をやり始めたくらいに眠ってしまい、今もそこのソファに寝転がっている。


 カレンダーをチラッとみると、もうすぐ両親の結婚記念日と俺の誕生日が近づいてきていることがわかった。あと二ヶ月もすれば両親が帰ってきて、そして、すぐまたどこかへ出掛けるのだろう。将来の親は元気だろうか?俺がニートをやっているなら、元気じゃないだろうけど。


 なんだか落ち着かない気分になって、買ってきた計算ドリルに取り込んだが、本当にこんなもので意味があるのか不安になる。今まで勉強に取り組んだことが少なすぎて、どうやって学んだらいいのかがよく分からない。

 俺は高校に落ちたことで、ニートになったらしいから、絶対にそこは超えなければいけない壁だ。でも今の俺には、小学生のドリルしか頼れるものがない。みんなはどうやって勉強してるんだろうか?


 あ、そうか塾に行っているのか……思い付くと虚しくなってしまった。そうなると俺はどうすればいいんだろう。俺が頼れるのはおじさんだけだが、これは俺がなんとかしないといけない筈だ。


 体が、疼いている。この無力感を取り払いたくて、体が震えている。ならば、動かそうではないか。そうだ、ランニングをしよう。今日は天気も良かったので、ジャージがすでに乾いていた。ついでに洗濯物も部屋に引き入れ、帽子を被り、靴下を履き、外に出かけた。


「行ってきます……」


 おじさんは寝ているだろうが、一応声はかけておいた。今までは静かに家を出ていたが、おじさんが来てからは挨拶をするようになった。なんだか不思議な感覚だけど、悪い気はしない。


 外の空気は澄んでいて、ランニングをするにはちょうど良かった。帽子が太陽光を遮って、しっかりと目をぱっちり開いて外の景色を見ることが出来る。この数日の間に田んぼの黄色は少なくなってきていた。そこには鳥が落ちてる稲穂か何か食べに来ているみたいだった。


 いつもの土手に着くとまた今日も彼が走っている。俺がここに来る時間はバラバラなのに、いつでも彼を見ることが出来るということは、もしかしたら一日中走り続けているのかもしれない。そうだとしたら、とんでもないスタミナだ。持久走大会では上位に食い込んでくるだろうな。


 今日はペースを乱さないようにゆっくりと走り始める。持久走というのだから、必要なのは速さより持久力だ。とにかく、4キロ、完走するだけの体力は最低でも欲しい。ゆっくりとゆっくりと、歩いた方が早いんじゃないかってぐらいゆっくりと走る。


 大体どの程度走れば、1キロになるのかも分からなかったが、ガムシャラに走り続けた。今度ここに来る前に4キロがどの程度か調べておこうかな。俺が土手から出て行った時にも彼はまだ走り回っていた。すごいなぁ。


「ただいま……」


 帰宅してみると、服が畳まれていて、おじさんが起きてることがわかった。あんまり綺麗じゃ無かったけど、タンスにしまうにはこれくらいで十分だろう。


「あれ? どこに居るんですか?」

「お! ランニングおつかれ! ジャージが無くなってた時は飛ばされたのかと思って一瞬焦ったけど、帽子もなかったから走りに行ったんだって分かったよ。」

「そうですか。一言かけた方が良かったですか?」

「いや、僕は寝てたから、そっとしておいてくれてありがとう。お陰で元気に服も畳んでみたんだけど、どうだろう。」

「あ、ありがとうございます。いつもめんどくさくてそこら辺に置きっぱなしで。」


 なんとなく今日が過ぎていく、だが、読んでいた小説の先が気になっていたので、夜の時間はそれに使うことにしよう。雪の白い景色がとても綺麗に思えて、ページがスラスラ進んでいき、薄い本だったこともあって、もう読み終わってしまった。でも、印象的なシーンがずっとこびりついたように離れずに残り続けている。特に何とも思わなかったシーンが今になって頭の中で繰り返されている。小説ってこんなに面白いものだったのか。


 もう夜もだいぶ深くなってしまった。寝る支度を済ませて、布団に入っていても、小説の中の雪は、俺の頭の中に溶けずに残っていた。


「起立、気を付け、礼、着席」

「それじゃ、宿題を回してくれ。」


 宿題をやるのが当たり前になってきたのか、先生も特に何も言わない。今日も朝からおかゆを食べて、学校にやって来たのだけど、それが普通のことに思えて来た。今まで普通のことが出来てなかったのかもしれない。


「栞さん、あの、勧められた小説面白かったよ。他にも何かオススメの小説とかある?」

「あ、あれ読み終わったの? うーん、でもまぁ、同じ作者のやつとかの方がいいんじゃない?」

「じゃあ今度買ってこようかな。」

「あれだったら、貸そうか? ウチいくらでも本あるし。」

「え、いいの? 迷惑じゃない?」

「別に? もう誰も読んでないやつもあるからいいよ。」

「それじゃ、借りてもいい?」

「今度テキトーに持ってくるから、好きなの持っててよ。」

「ありがとう!」


 上田さんが山口達に呼ばれてそっちに行った。いきなり手持ち無沙汰になってしまったので、トイレに行った。廊下に出て、何となく辺りを見ているとよく見る彼が窓際に一人で立っているのが見えた。ランニングで見た時よりも、背が高く感じて、おそらく160の後半ぐらいはあるように思える。


 ついじっと見てしまったせいか、彼の方もこちらに気付いて目が合ってしまう。知り合いのような気がしてたので頭を下げて会釈をすると、向こうの方でも同じように頭を下げてくれた。同い年ぐらいだとは思っていたけど、本当に学校で会うなんて思わなかった。あんまり見ても失礼だと思って、視線をトイレに移し、用を足しに行った。


 機会があれば話してみたいけど、きっかけがないからなぁ。またランニングで会った時に話しかけてみようかな。いや、やめとこうか。しかし一人で何をしてたんだろう。窓を眺めているようにも見えたけど、何をみてたんだろう。まぁいいか。


 教室に戻るとすぐにチャイムが鳴って、次の授業が始まった。今、自分に出来る一番の勉強は授業しかないので、前よりも真剣にノートをとったり、話を聞いたりしていた。先生の方でもそれが分かるのか、今日だけで三回指されて、答えを黒板に書き出した。自分が変わろうと思ってした行動によって、周りの環境が変わっていくのが分かって不思議な気持ちになった。


「ただいま。」

「あ、おかえり! お疲れ様〜大丈夫だった?」

「ん? 何かありましたっけ?」

「いや、学校お疲れ様!」

「あぁ、ありがとうございます。」

「最近はずっと忙しそうにしてるよね。いいなぁ、僕暇で死にそうだよ。」

「ゲームとかやってていいですよ。てか、せっかく過去に戻ったのに、何もやらないのってもったいなくないですか?」

「そう? まぁ、なんか考えとこうかな?」


 おじさんがリビングに戻っていったので、会話が途切れた。慣れてしまってはいるけど、未来の自分が今ここにいるって凄いことだよな。株とか買えば大儲け出来るんじゃないか? それ以外にも色々出来そうだけど、やらないのかなぁ。


 いつものようにお風呂に入って、宿題をする。高校受験のために今から勉強しておきたいので、宿題も嫌々ではあるかもしれないが、それでも熱心に取り掛かるようにはなった。両親が帰って来たときに塾へ行けるように頼んでみようかな。


 まさか勉強させてほしいと頼むことがあるなんて全く思わなかった。自分の人生が変わっていくことが不思議でしょうがない。

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