18

 

 塾まで行くのに自転車に乗らなきゃいけないことに気づいた。これは大変な問題だ。なぜなら中学二年にもなって自転車に乗れないからだ。てか、みんないつ自転車使ってるの? 今まで乗れなくて困ったこと一度もないんだけど。


 中学の入学祝いに新しく買ってもらった自転車が、マンションの駐輪場の隅に置いてあるはずだ。鍵はどこにやったかな。寝室中を探しまわってもなかなか見つからない。どうしようか困っているとおじさんがいたので、ダメ元で聞いてみる。


「あのさ、俺の自転車の鍵知らない?」

「あぁ、知ってるよ。確かタンスの中に入ってるはず。」

「そうなんだ。どこのタンス?」

「ついてきて、確かここら辺だったような。」


 おじさんはタンスの前に座ると両手で引き出しを引っ張るとそのまま引っこ抜いてしまった。何をしてるのかと疑問に思っていたが、空いた空間に手を入れて何かを探してる姿を見て、そこに鍵があるんじゃないかと思った。


「もしかして、タンスの中ってそこのことですか?」

「うん、ちょっと、あれ? ここにあったはずだけどなぁ。」

「なんかライトみたいなの探してきますね?」

「いや、あった! ちょっとまっててね。奥の方に行っちゃてるみたいだから……」

「棒探してきますよ。待っててくださいね。」

「取れたよ!」


 ホコリにまみれて薄汚れた鍵を嬉しそうに持っている。あんまり覚えていなかったが、自転車の鍵のような気もする。

 洗面台に向かい、軽く水洗いをした後タオルで拭くと、本来の姿を取り戻した。それに触ってみても、本当に自転車の鍵かどうかがわからない。なので駐輪場に行ってみることにした。


「おじさんもついてきてくれますか?」

「いや、僕はタンスを戻す仕事があるからね。なんかハマんなくなっちゃった。」

「じゃあちょっと行ってきます。ありがとうございました。」

「ははは。どういたしまして。」


 エレベーターの中で思った。おじさんって外出たことなくね? いつも窓の外を眺めているだけで、外に出ようとはしない。多分日光が嫌だとかは無さそうだし、俺も散歩とかは良くするので外はそこまで嫌いじゃないはずだ。そんなことを思っていると地下の駐輪場についた。


 どこだったかな? 大昔の記憶を辿り、微かに思いつく場所に歩いていく、そもそも何色の自転車かも忘れちゃったよ。おじさんは鍵の場所を知っていたから、きっと何かの機会に乗ったはずだ。もし見つからないようだったら、聞いてみようかな。


 駐輪場の隅の隅の隅に俺の物と思わしき自転車はあった。実際に見て色々思い出した。たしか、親がサプライズで買ってくれたので、赤というなかなか攻めたような色をしている。それが嫌で乗らなかったのもあるが、本当にどこに行くために乗るものなのかが分からなかったのだ。


 今こうして塾の説明を受けるという目的を達成するために再び日の目を浴びることになるであろうこの、赤い輝きを失ってしまった自転車。それに持ってきた鍵を合わせてみる。


 ガチャッと音がする。この感触は間違いない、本物の鍵に本物の自転車だ。ハンドルを持ってみると思っていたよりも重さを感じて驚く。これに本当に乗ることが出来るのだろうか。握ったハンドルをなるべく動かさないようにして手を離し、鍵を閉めた。これ、無理かもしれんぞ。


 想像していたよりも困難に思えてきてしまい、いったん部屋に戻ることにした。これはちょっと怖い。


「ただいま。」

「あ、やっぱり帰ってきた。」

「え、やっぱりってどういうこと?」

「僕もさ、自転車乗ってみようと思ってね? 鍵をさ、わざわざ探してね、自転車も探して、それでやっと乗れるぞ! ってなったんだけどさ。いざハンドルを握ると思ったより重たくてね? これ無理だってなっちゃったんだよね〜」

「そうなんですね〜」

「そうなんだよ! いやぁ、怖いんだよね。」


 全くおんなじこと思ってるじゃん。てっきり乗る練習とかが大変なのかと考えてたんだけど、出発にこれだけ勇気がいるとは思わなかった。これ塾まで間に合うの?


「出来れば押さえてくれないですか? ちょっと慣れてなくて。」

「いや! これは自分一人で乗り越えるべき壁だよ! だから僕はここで待ってる。大丈夫! 君ならきっと上手く行くって!」

「そうですかね?」

「それにさ、まだ若いんだから自転車の練習をしてても恥ずかしくないはずだよ。もし、この機会を逃したら、結構キツイよ。」

「でも俺中学生ですよ? あんまいないんじゃないですか?」

「僕は気になんないと思うけどな。」


 そろそろ暗くなりそうだ。夜になってから自転車の練習は流石に危ないだろう。ここはひとまず休んで明日どうにかするしかないだろう。最悪、塾まで歩けばいいや。でも、ここから距離あったような。


「日曜に行くことになってるんで、土曜でなんとかします。」

「今日はもうやめる? とりあえず入り口に近いところまで自転車を移動させるぐらいはやったほうがいいんじゃない?」

「そうですかね。ちょっともう一回見てみようかな。ホントについて来てくれないですか?」

「ごめんね。僕が手伝うと意味がなくなっちゃうからさ、でも! そこまで難しいものじゃないはずだから。安心して大丈夫だよ。きっと。」

「行ってきますね。」


 またエレベーターに乗った。あのハンドルを持った時の重量感。あれの上に乗ってバランスを取るなんて至難の業に思える。雑技団にいてもおかしくない。サーカスとか。大きなテントの中身を覗いてみると、みんなで自転車に乗ってるのだ。ただただ、自転車に。


 変なことを考えつつもエレベーターは進んでいく、いつのまにか目的地に辿り着いた。駐輪場だ。もうどこに有るのかは分かっているので、一直線に突っ切る。


 赤く目立った自転車が目の前にそびえ立ってるように見える。鍵を合わせてロックを外し、後輪の辺りについている自転車が自立するための棒を蹴って外す。


 なかなか上手いこと当たらずに何度も地面を蹴ってしまったが、なんとか後輪が地面に接地した。ハンドルを握って入り口近くまで動かそうとするが、この自分が両手に持っている不安定な重さが、いつバランスを崩してしまうかが心配になり、その場で立ちすくんでしまう。


 これからどうしようか。もう一度、部屋に戻って作戦会議でもするか、それともこのまま場所を移動させるか。そのままの体制で数分間じっとしてしまった。自転車が隅にあったお陰で人は全くいない。


 なんだか考えるのがめんどくさくなり、自転車を自分の体に寄せ、移動されようとするが、自分に重量が傾いた瞬間にまた恐怖を思い出す。これホントにどうしたらいいんだ。


 悩んでいた甲斐もあってか、いい案が思いついた。ハンドルにはブレーキがついている。これをちょっと押しながらにすれば、きっとタイヤが過剰に動くことなく自転車を引っ張り出せるはずだ。


 ブレーキを握って動かしてみる。強く握りすぎたせいなのか、タイヤがほとんど動かない。力むな! 力まずにリラックスして、ブレーキを握り、すこしずつすこしずつ自転車を移動させていく。

 思った通り前よりも不安定さがなくなって、操りやすくなった。このままゆっくりと、リラックスするように心がけながら移動させる。

 入り口に近くなるとやはり自転車が密集している。止められるようなところが見つからず、勢いのまま外に出た。


 もう夜と言ってもいいぐらいの暗さだ。この中で乗るのは危ないとは分かっていたが、せめて跨るぐらいはしておきたいと思い、足を上げ、サドルにお尻を乗っける。随分と高い位置にサドルがあったせいで、両足の爪先しか地面についてない。今までとは違う恐怖に襲われ、サドルからお尻を離し、地面に両足をしっかりとつけた。


 サドル調整は明日やろう。今日は疲れた。ブレーキを軽く握りながら駐輪場に入って行き、あんまり自転車が集まってない所に移動させた。ハンドルを離し、鍵を閉めるとため息が出るような安堵感があって、緊張していた肩や筋肉が和らいでいくのが分かった。


 家に帰ってきたときには全身がふにゃふにゃになってしまい、ソファに全体重を任せてゆっくり休んだ。


「移動できた?」

「うーん……一応できたよ。」

「おつかれだね。」

「……うん……」


 これはお風呂に入らないと治らない。そう思いながらも立ち上がらない体に困った。そんな大したことしてないのになんでこんなに疲れるかね。


 テレビには七時二十九分と書いてある。あれが三十になったら起き上が、あ……変わっちゃった。


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