19
今日は絶好のサイクリング日和だ。雲は一つも見えない。影さえ見えない。冬の真っ只中でも太陽光に当たり続けていると体が暖かくなり、スーッと吹く風が恋しくなる。この火照りを自転車が冷ましてくれるはずだ。自転車に乗れればの話だが。
道の広い、人気のない、そんな所までやってきた。両手に自転車のハンドルをしっかりと握り、ここまで押しながら歩いてきた。その運動だけで今日はもう十分だ。とはいえやらなきゃいけないことがある。
昨日も学校終わりにちょっと乗ってみたのだが、やっぱり両足がしっかり地面についてないことが不安になってしまって、ペダルに足を乗せることができなかった。困ったことに時間があんまりない。ここからなんとか乗れるようになりたいので今日は一日中自転車に費やす予定だ。
「あれ? 早いね? もう練習するの?」
「人が少ない時間の方がやりやすいんで、もう行こうかなって。」
「でも、さっき起きたばっかりじゃん。歯磨きもしてないんじゃない?」
「時間がないんで、もう行っちゃいます。すみません。」
「い、いってらっしゃーい。」
「頑張ってきます!」
朝からずっと自転車を押してきてようやくここまで辿り着いた。ここからが本番のはずなのに一歩が出ない。
自転車を立たせて、両手を離す。はぁ疲れたな。誰も見ていないので腕をブンブンと回し、その場でストレッチをした。ため息が出てしまい、なんだか嫌な気持ちが高まってきてしまったが、それを抑えつけるようにハンドルを握り、自転車の後輪を地面につける。
跨がり、足をペダルにかけ、思いっきり漕ぐ。踏み込んだ足の勢いに驚いたハンドルがフラフラと右に左に動き回る。このままでは危ない! と思ったので、ペダルから足を外した。前輪が傾く。タイヤが滑らかにその方向へ向かって進み続け、結果としてガシャンと音を立てて倒れた。
「いったぁ……」
久々に転んでしまった。ハンドルを持っていた手はすこし反応が遅れて、地面に腕からいってしまった。血は出ていなかったが、擦りむいた所が痛い。
手を地につけ立ち上がると倒れたまんまの自転車がある。それを元の状態に戻し、またペダルを漕いだ。
ガシャン
また元の状態に戻す。地についてない足をペダルにかけ、漕ぐ。
ガシャン
あとはもうただ同じことの繰り返しだ。足にはアザが何個も出来てしまい、血も出始めている。帰ったら消毒したいけど、そんなのあったかな。
いつのまにかバランスをとり続けられるようになった自転車に乗り、家に向かってみることにした。直線の道は問題なく進むことが出来るのだが、曲がるときにハンドルを動かすのが難しい。
降りたり、乗ったりを繰り返して、なんとか進んでいったのだが、普段使わないところを使っているせいか腕や太もものあたりが疲れてきてしまった。息も切れてきて、汗が全身から吹き出している。怪我もしているので、明日いきなり塾に自転車で向かうのは危ないかもしれない。慣れるまでは歩いて行こう。
自転車から降り、押して帰る。途中細い道などもあったので、今の自分には危なかった。いやぁ、明日歩きかぁ、そこまでの距離はなかったものの十分から二十分ぐらいはかかると思う。バス乗っちゃおうかな。
駐輪場に自転車を止め、ハンドルから手を離すとまた前と同じような感覚になる。怪我した足や腕を引きずるように歩き、エレベーターで自分の家に向かった。
「ただいま……」
「おか、え! どうしたの!? その傷!」
「めっちゃ転んだだけだよ。」
「そっか、お疲れ! 絆創膏とかあったっけ? ちょっと探してこようか。」
「多分ないから買ってくる。財布持ってきて。」
「わかった。消毒とかも買った方がいいよ!」
行くまで歩くかどうか迷ったが、落ち着きたかったので歩いて向かう。適当に消毒に必要そうな物をカゴに入れていく、ついでにジュースやお菓子なども買っていった。
帰りに自転車に乗っている小学生の子に目がいってしまう。あの子たちめちゃくちゃ上手いじゃん。しかし、太ももや腕の普段使わない筋肉を使うのでこれは難しいぞ。今でもまだ疲れが残ったまんまで、太ももがパンパンになるという感覚を始めて理解できた。
「おかえり! ちょっと遅かったね。」
「なんか色々買ってきてたからさ。ふぅ疲れた。あのさ、消毒とかしてくれない? 腕とか多分届かないんだよね。」
「わかった。タオルで拭いた方がいいね。」
濡れタオルが傷口に触れないようにゆっくりと腕を動いていく。汚れが付いたタオルを裏返しにして、今度は傷口についてしまった小さな砂などを取る。
「いたっ。ははは。これちょっと痛いな。」
「我慢してね。ちゃんと綺麗にしないと。」
一応買っておいたコットンに消毒液をかけて全体が湿るくらいにしておく、それを傷口につけるとやっぱり染みた。保健室の匂いがする。不器用ながら痛まないように、慎重にやってくれるおじさんの手が止まると絆創膏を取り出して、はっつけてくれた。
「ちょっと歪んじゃったね。ごめんね。」
「いや、全部やってくれてありがとう。あ、てかお風呂入ってないじゃん。」
「え、先に入った方が良かったかな。でも剥がれたらもう一度貼ってあげるよ。」
「疲れたし、シャワー浴びようかな。流石に湯船には入れないわ。」
翌日の朝、立ち上がろうとすると傷がすこし痛んだ。自転車には乗れないので、早くから支度して、塾に向かわないといけない。朝ごはんなどを終わらせると、筆箱やノートなどをバックに入れ、塾に向かって歩き出した。
たまに通るところに塾があり、場所も知っていたので、迷子になることはなかったが、筋肉痛なのかなんなのかは分からなかったが、足が重たくて、いつもより距離があるように感じた。
塾では小学生の子供たちが集まっていて、すこし入りづらかった。窓口の人に青木ですと伝えると、先生がやってきて、これからのことを教えられる。予定表が紙にプリントされていて、それを見ながら週に四回の授業があり、連休になると授業時間が長くなるなど、細かい話をしただけで今日は終わりだ。
塾の名前が入ったファイルをもらって、この紙をそれに閉じた。どうやら明日はたまたま臨時の休みで、まだ自転車に乗る練習をすることが出来るらしい。
体格の良い先生だったが、口調が柔らかかった。別れ際に傷を心配されたが、自転車の練習で怪我したことは言えずになんとなくはぐらかしてその場を去る。
なんも考えてなかったけど、これから何時間もここで勉強することになるんだよな。思っていたより大きな変化が訪れる気配がして、心の中がざわついているような、反対にスッキリとしているような変な感覚だった。
帰り道にスーパーに寄って、玉ねぎなど使い勝手の良い野菜を買っておく、今の時代ネットでいくらでもレシピがある。親に買ってもらった野菜は段々と数を減らしていた。
重たい袋を抱えてマンションへ帰ると、幼稚園児が補助輪をつけて自転車に乗っていた。親が不安そうにしながら見守っている。俺はそれを横目で見ながらエレベーターへ乗り、八階のボタンを押した。
「ただいま。」
「おかえり! それなに? あ、野菜か。」
「足りなくなってたでしょ。今日のご飯は適当に炒めるだけのやつを作るから。」
「それより塾はどうだった? 先生とかさ。」
「良さそうな人だったよ。丁寧に教えてくれたしさ。」
「いやぁ、本当に僕が塾に行くなんて驚きだなぁ。」
「ふーん。」
野菜室に買ってきたものを入れて、靴下を脱ぎ、そのまま寝室の布団に横になった。宿題もやらないといけないし、借りた本も読まないといけない。もちろん自転車の練習もしなきゃいけないし、他にもなんかあったっけ?
思ったよりも早く済んでよかったが、その分やらなきゃいけないことをやらないといけない。なんかゆっくり休みたいな。
あれ? 美容室行くのはいつだっけ? 明日学校であの子に聞いてみようか。たしか、名前はなんだったっけな。まぁ、とにかく聞いてみるか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます