第12話 照月
「なんであれがオレのだってわかったんだよ」
ホテルのバーで不思議そうに朱音は聞いた。
もう朱音と遼が付き合っていることはミカのせいで会社公認となってしまったので、彼はどことなく顔が
「私がそう思ってるから、選んだだけ」
本当は遼はどの回答が誰のものかわかっていた。朱音と自分が同じことを考えていたので驚いたのと、フェアじゃない選択だと思われたくなかったから嘘をついたのだ。
「でも、オレたちが付き合ってるってバレて良かったのか?…おまえあれほど嫌そうだったのに」と朱音が今さらだが聞いた。
(バラさないとミカさんユカさんの圧力で尾関さんと組ませられて後継者にされそうで嫌だった、なんて言えないな…ミカさんは尾関さんを選んでいるように見えたから、これで他の適性のある女性を探して後継者として育てるだろう。正直ほっとした…私にはいくら裏方でも会社のトップなんて到底無理だ)
「ごめん、朱音には悪いと思ってる。私なんかと付き合ってるってバレたら、この会社では他の女性が寄ってこれなくなるよね…」と申し訳なさそうに遼が頭を下げたので、朱音は驚いて頭を抱え、しばらく何も言えなかった。
「どうしたの?大丈夫?」と遼が心配で聞くと、
「……バカ!おまえ本当にバカだな、どんな思考回路してんだよ!?そんな理由で内緒にしてたのか!」と絞り出すように答えた。
「え…うん。だって私とは結婚したくないんでしょ?私もできないし…」
「信じられない…前から思ってたけど、おまえはオレをなんだと思ってんだよ」と朱音は情けない表情で聞いた。でも遼はいつもの無表情で、
「…モテるヒト、かな」と答えた。
(朱音は自分で思っている以上に年齢男女問わず人に好かれて信用されている。尾関さんは皆を引っ張りあげて仕事を成功させるタイプみたいだから上に立つのに向いてるけど、朱音のほうが一番上に立つ人間には向いてると思うんだ…崖っぷちから落ちそうな人を下で受け止める度胸と優しさがある)
「あーもう、遼って本当に…っていうか、結婚できないってなんだよ」
「うっ…」
遼はお酒のせいでいらないことを言ってしまったと気付いた。
「もう待てない。今夜絶対聞き出してやるから覚悟しとけよ」
(な、なんでそんなっ)
遼の脳裏に熊野での夜がちらつく。
「え、朱音酔ってる?ミカさんが同室だからダメだよ、部屋の移動は禁止だって…ひゃっ」
朱音は隣の浴衣姿の遼を引き寄せて長いキスをした。バーには会社の人もいるので遼はある程度の距離をとって座っていたが、それが朱音には気に入らなかった。
何度も角度を変えて遼の中に入っていく。彼女の身体が何度も彼の舌でびくりと反応するのを満足そうに確認してから、
「まさか…尾関先輩と何かしてねーだろうな」とやっと口を外して聞いた。
遼は久しぶりの激しいキスにくらくらしながら、
「えーと…掌にキスされたくらいかな」となんとか思い出して答えた。
「…ムカつく…早く部屋に行こうぜ」と遼の手を引っ張る。もうすっかり禁欲中なのを忘れていた。
「ダメだって、幹事のくせに…」
「幹事の補助だからいいんだよ。それに、これ」
朱音は携帯でミカからのメッセージを見せた。
『山田の部屋には今夜は帰らないから、じっくり聞き出せよ ミカ』
「なっ」
遼の頬が一気に紅潮した。
(なんか今回もミカさんにはめられた気がする…)
「ほらっ、行くぞっ。部屋どこだよ」
遼が朱音に引きずられてバーから出ていくのを、ミカがバーの隅からニヤニヤしながら見送った。
「ちぇっ、ミカさん、こうなるのわかって俺をけしかけたんでしょう」と隣の尾関が姉に言うようにミカに文句を言った。
「いや、尾関ほどいい男じゃなかったらここまでうまくいかなかった。ありがとな」
「今回
「あっただろ?会社に一番必要なものと尾関に欠けているもの、よく考えることだ」
尾関はぐっと喉にウイスキーを詰まらせて一瞬真っ赤になった。
「本当に俺には厳しいですね、ミカさん」
「なんせ私の腹心だからな。期待してる」
「はいはい。相変わらず我が儘だなぁ」
「でもな、お前のことあの山田がめっちゃ褒めてたぞ」と、遼が評した内容を一語一句
尾関は「ふうん、そうですか…」と興味がないような反応をしたが、内心では結構、いや、かなり喜んでいた。
遼の言葉には嘘がないと数時間過ごしただけでわかっていた。
「朱音…寝ちゃったの?」
バーから部屋に帰ってきた朱音はすぐにベッドで寝てしまっていた。相変わらずお酒に弱い。
「…りょ…う…」
朱音は寝言で彼女の名前をつぶやいた。ずっと心配していたのだろう、ほっとした様子が愛しいと遼は思う。でも。
(うーん、本当に朱音を部屋に入れていいのかなぁ…)
「お休みなさい」
遼は朱音に布団をかけた。
洗面所で歯を磨いて顔を洗ってから、化粧水と乳液だけ肌に馴染ませた。温泉のおかげで肌がつるつるだ。
(結婚できない理由…言ったらさすがに嫌われてしまうかもな)
ぼんやり考えていると、
「遼、早くおいで。待ってるんだから」と朱音がいつの間にか半分だけ目を覚ましてベッドから誘った。
(なんか可愛い…)
「うん」
「ほら、おいで」
彼がベットで布団を開けて待っているから、遼はそこにするりと滑り込んだ。朱音は遼の浴衣をちびちびと脱がせて触ったり舌を這わせたりする。彼女は身体を快感で震わせ吐息が口から洩れるのを止められなかった。
「浴衣の遼も可愛い…今日は心配で…ずっとずっと触れかった…抱きしめて俺のだって大声で叫びたかった…本当に大切に思ってる。…だから遼のこと教えてくれないか」
「私も…朱音が好きだ。でも話すのが怖い…」
「嫌わないって約束する」
「う……ん」
彼女の返事で朱音は手を止め、朱音と遼はベッドで寝転んで向かい合った。彼女は順を追って自分の過去を話した。
二日目は甲府城見学だ。
この城は家康が築城させたもので、現在は石垣と堀だけが残っている。それでもこの広さと立派さでここが徳川家にとって重要な拠点であったかがわかる。
江上が同僚や会長夫妻を引き連れ、甲府城の話をドラマチックに面白く説明するのはなんだか素敵な光景だった。
堀たちの考えたのんびりしたスケジュールは好評で、2時まで自由行動で、3時には甲府駅に着いていた。
帰りの列車でも、尾関はちゃっかり遼の隣を分捕っていた。
「えー、尾関先輩、ずるいっ!負けたくせに諦めないんですか?」と江上に言われ、
「俺はしつこいんだよ、澤井と山田さんがうまくいってない時を気長に狙うって決めた。なんだよ、おまえだって負けたくせに」と言い返して江上を黙らせた。やはり朱音より尾関のほうが上手のようだ。
「尾関先輩…まじすか…でもオレたちうまくいってるから期待しないで下さい」
先輩には弱い朱音が頑張って尾関に言うのを見て、山本が感心している。
(うおっ…せ、先輩が成長してる…?!しかし山田さんと噛み合ってない感じはするけど、結局とても惹かれ合ってる、ってことだろうな)
わいわい騒ぐ列車のなか、遼はぐっすりと眠っていた。少し笑みを浮かべながら。
「ねえちゃん、ごめんっ!前に話していた彼女が妊娠したから早めに結婚したいんだ」
遼は社員旅行から帰宅するなりリビングで忠に大打撃をくらわされ、青くなって床にへたりこんだ。
「へ…」
「だ、大丈夫、ねえちゃん?」
遼を支えた孝が「やっぱり、こうなると思った…」とため息とともに言った。
「で、私はどうしたらいいのかしら…とりあえず明日にでも彼女の家に謝りに行かないと…」とソファで孝に支えられながらフリーズした頭を無理やり回転させた
忠が冷たいお茶を遼の前に出したので、彼女はすぐに飲み干した。のどがカラカラだった。
「いやいや、普通にあいさつでいいよ。彼女は『狙ってやったから』って嬉しそうに言ってたし、彼女のお父さんも報告にいったら喜んでいた」
遼はぐらりとめまいがした。狙って…?まあ、年齢的にそれもありかも、とは思うが、こちらは心労が半端ないではないか。
「でもね、忠、孝。もしもだよ、私が妊娠した、って言ったらどう思う?」
「ぶっ飛ばす」「殺す」と二人が怒気を込めて同時に答えたので遼は笑った。似てないけど、やっぱり兄弟なのだ。
「殺すは大げさだけど…わかるでしょ?本当は怒ってるかもしれないし、手土産持って謝りに行かないと。明日は、どうかな。あちらの予定を聞いてみてくれない?早いほうがいいと思うの」
社員旅行は秋の創業記念日を含んだ金土日の3連休を利用して行われたので、明日も日曜日で休みだった。朱音と会う約束をしていたが、そっちは断ることにした。
「…聞いてみる。悪かったよ、気苦労かけて…」
「いいよ、気にしないで。それより、おめでとう、忠。赤ちゃん楽しみだね」
「ねえちゃん…ありがと」
姉に祝福されて実感が湧いてきたのか、忠が涙ぐんだ。
「お父さんになるくせに泣くなんて…で、いつわかったの?」と言いながらも遼もすでにうるうるしている。弟の子供なんて、楽しみでしかない。
「ん、金曜日に一緒に病院に行ったんだ」
「そっか…」
今は土曜日、それも夜だ。
(真っ先に私には教えてはくれなかったんだ…)
遼が隠そうとしているが、かなりがっかりしてるのを感じた忠は、
「違うよ、ねえちゃんが旅行中なのにショックを与えたくなくて…」と言い訳した。
「…子ども?忠君に?」
朱音は明日遼と会えない理由を聞き、立っていられなくなってボスンとソファーに倒れ込んだ。
(な…なんだ、この焦りは…)
「そうなの。相手の家にお詫びとご挨拶に伺うから、明日はごめん。約束してたのに」
遼は朱音との約束を破ったことがなかった。真面目なのだ。反対に、友達や江上と先に約束したらそちらを優先するのだが、そういうところも朱音は嫌いじゃない。
申し訳なさそうに謝る遼に、
「い、いや、そんなの全然いいって…仕方ない、よ」と動揺しながらもなるべく明るく答えた。
「ごめん…じゃ」
「おう」
(遼が叔母さんになって、あの忠君が父親…両親がいないから、遼が忠君の母親がわりになるのか…結婚できない理由を聞いたけど、遼が忠君の子供を見たら変わるかもしれない…その時オレはどうするんだろうか?遼の全てを引き受けられるのか…)
朱音は遼から過去をすべて聞いたが、意外と動揺していなかった。思った以上に酷く悲しい話だったが、復讐については遼らしいと言えば遼らしい話だと思っていた。
朱音は忠君の急な結婚話を聞いて無性に身体を動かしたくなってきた。彼はすぐに着替えてスニーカーをはいて外に出た。明日は休みだし、予定もなくなった。夜だけど、一番遠くまで行くルートを走りたかった。出来れば身体がくたくたになるくらい遠くまで行きたい。
(もしやオレ、また逃げてる?遼のほうが先に大人になるから焦ってるのか?)
自問自答しながら、修験者のように足を交互に動かした。
「どうだった?忠君の彼女の親は怒ってたか?」
朱音はさっそく週明けの昼休みにチンジャオロースの定食を食べながら、横に座る遼に聞いた。彼女は先に来ていたので食べ終わったところだった。
二人がカップルなのは周りに十分以上に伝わっているようで、朱音は向けられる好奇の視線が痛い。でも遼は慣れているのか周囲に無関心で、
「いい家庭で素敵な女性だった。忠よりふたつ上の落ち着いた女性でね、なんていうか…忠を任せられる感じ」と静かに言った。朱音は遼の無表情の中の微妙な異変を嗅ぎ付けた。
「そっかぁ、良かったじゃん。でも変な顔してどうした?」
その言葉をきっかけに遼の表情が崩れた。
「…朱音、私どうしよう…」
「うおっ?!」
遼の目から涙が一粒ポロリと落ちたので、朱音は動揺して箸を床に落とした。
「うん、彼女が独りっ子だからお婿に欲しいって言われて…忠は長男だから困るって私の前だから言うんだけど…本当は、いいよって私にいって欲しいのかもしれない。忠は気を使って本当の事を言わないから…どうしたらいいんだろう?」
朱音は手早く昼食を食べ、二人は外に出てコンビニでコーヒーを飲みながら話した。会社だと朱音が泣かせているように思われてしまう。
「わかった、わかったから泣くな。オレが聞いてやるから」
「本当に?ありがとう…考えたんだけど、忠が望むように、幸せになるようにしたい。でも忠の前だとうまく話せなくて…」
「遼は…家族のことになるととたんにダメだな。いつも会社では堂々としてるくせに。でもそういうとこも好きだ」
朱音が不意を突いて泣いてる遼の唇に音を立ててキスすると、彼女は真っ赤になった。
「もう…最近朱音がストレートで困る…」
朱音はニヤニヤしながら自分だけが見れる照れた遼を向こう側が見えるほど眺めていた。
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