第8話 良月
肌寒さを感じる10月の最後の週末、最上化成の営業一課と総務課の合同社員旅行が行われた。気持ちのいい晴天だった。
幹事は江上と堀で、遼と朱音は手伝いをしている。
女性社員に人気の若い男性3人が幹事とあって、点呼をとる集合場所のレトロな東京駅構内の景色が少しピンクに見える。堀と朱音は二人を狙っている女性たちに囲まれてまんざらでもなさそうだ。江上があからさまじゃない程度に女性が寄ってくるのを避けているのを見て、遼は思わず笑ってしまった。
「なんであの子はゲイでもないのに女性嫌いなんだ、もったいない」といつの間にか隣にいたミカも笑いながら遼に聞いた。
「…警戒心が人一倍強いんだとは思います」
「ふーん、面白いな」
(確かに女子が寄ってきて喜ばない男性って珍しい。朱音も顔には出さないが嬉しいんだろうな。この旅行で告白とかされたりして…)
朱音と一緒にちょくちょく歩くようになったので、前よりも少し焼けて健康的に見えるようになった遼とミカが話していると、
「ミカさん、会長夫妻があちらにいらっしゃいました」と遼の後ろから張りのある低めの声が聞こえてきた。
背が高くてすらっとした男性だ。遼も何度か食堂などで見かけたことがある。
紺のヘリーハンセンの丈長めのマウンテンパーカーと紺のジーンズ、青と白の横ストライプのインナーを中に着ている。アウトドアの服なのに、街中で着ててもおかしくないお洒落度の高さだ。
会長が来ることを知っている、ということはある程度ミカに近しい、ということだ。
「おう、ありがと。山田、こいつは尾関っていうんだ。背が高くて
ミカがいきなり遼に彼を紹介した。彼女の様子から、彼を信頼しているのがありありとわかる。
遼が「山田です」と言って頭を下げると、
「いきなりバツイチはひどいな、 せっかくあの山田さんに紹介してもらったのに。俺、
遼も紺が好きで、先日朱音とハイキングに行くときに購入したエーグルの紺のマウンテンパーカーを着ていた。
(スマートな自己紹介だ…さすがエース。朱音よりも格上感が強いな)
「こちらこそ、宜しくお願いします」
遼の差し出した手を力強く握る手が大きかった。
駅の改札で遼がチケットを配っている。シートは親睦目的なのでランダムだ。手元には自分の分と、もう一枚残っている。
「まだお持ちじゃない方、いますか?」と遼が声を上げると、
「俺にも下さい」
手を差し出したのは先程紹介された尾関だった。どうぞ、と一枚渡す。
「ありがと。山田さんはどこなの?」
尾関は遼の手元を覗き込んだ。
「この最後のチケット…えっと、D58です」
「そっかぁ。幹事のお手伝い、お疲れ様」とねぎらって去っていった。
江上も堀も幹事なので忙しくしている。ふと少し離れた場所で女性に囲まれてチケットを配る臙脂のマウンテンパーカーを着た朱音と目があった。自分と全然違う自然な笑顔を見ると、遼は自分のポンコツぶりを感じて少し落ち込む。
(…朱音…今日初めて目が合った…)
なにかリクションがあるかと期待したが、ふっと目を逸らされてしまい、胸に小さな痛みを感じた。
(自分で会社では内緒にしてって頼んだくせに…。こんな調子では、朱音に新しい恋人が出来たら間違いなく平常心ではいられなさそうだ…)
情けない気持ちでいると、
「はいっ、遼さん。お茶でいいですか?」とスカイブルーのスポーツブラントのロゴが小さく入ったナイロンパーカーを着た江上が顔に冷たいお茶を当てた。
「ひゃっ、ありがと。びっくりした」
「すいません、なんか寂しそうにしてたから。遼さん、僕が幹事だったから嫌々で来たんですよね」と愁傷に謝った。
「違う、たくさんの人に会って話したら疲れただけだよ。電車で寝るから大丈夫」
本当に参加したのを後悔していなかった。江上も彼女が嘘は言わないと知っていたので安心して笑顔を見せた。
「良かった!あ、遼さん席はどこですか?寝るなら僕が膝枕してあげます」
遼は江上の軽口を無視して、
「D58」と答えた。
「え~、僕と遠い!誰か遼さんの隣と交換してくれないかなぁ?」
江上がぼやくと、
「ダメよ、親睦の為にシャッフルにするって決めたでしょ?」と遼が軽くたしなめる。
「ちぇ、相変わらず真面目だな。女の子だったら嫌だし、どうしましょうか…」とまじめに悩んでいる。
「いくつ?ああ、ミカさんに隣を渡した」
「え"!緊張するなぁ…まぁ女の子よりはいいけど」
(ミカさんは女の子じゃないんだ…)
遼は笑いながら、
「冗談だよ、堀君に渡した。さっき見てたけど、みっちゃん女の子にもてるのに勿体ないなぁ」と安心させる為に教えた。幹事だから相談もあるだろうし近いほうがいいだろうと思ったのだ。
「好きな人にだけもてたらいいです。ねぇ、この旅行で僕たちカップルになったりしてぇー」と言って江上が遼にがばりと抱き着いた。
「なわけあるかっ!離れろ!!」
そばに来ていた朱音が江上の頭をはたいてから引き剥がす。そのやりとりはいつもと変わらないので遼はどこかほっとした。
「痛いっ。パワハラだ!」と頭を押さえて江上が騒ぐ。
「お前はパワハラなんてされるタマじゃねーだろっ」
「今されてますからっ」
遼が二人のやりとりを見て笑っていると、近くにいた総務課の同僚からどよめきが起こった。
個室での後輩江上の指導が終了し、一日中総務課で仕事をするようになっていた。なので、江上が遼に付きまとう光景はいつも見られたが、彼女がこんなに笑うのを見たのは初めてだった。
新宿から甲府まで乗り換えなしの特急を利用する。これだと2時間切るくらいで甲府に着く。
遼が目当ての座席を探していたら、尾関が来た。
「俺が隣だよ。山田さん、どうぞ」と窓側のシートを譲った。
「でも…尾関さんの番号ってC58じゃないですよね?」
彼の番号を記憶していた遼が荷物を荷台に乗せようとしたら、尾関がひょいと取り上げて載せてくれた。スマートだ。彼女がお礼を言ってシートに座ると、
「代わってもらったんだ。だって山田さんの隣がいいんだもん」と成人男子のくせに可愛く言ったので、遼は意外で噴き出した。
「お、やった、笑った!今日はせっかくだから山田さんをたくさん笑わそうかな」
尾関が嬉しそうに言うので遼は驚いた。
「なぜですか?」
「だっていつも無表情だから、笑ったらどんなか興味あった」
「こんな感じですけど…」
首をかしげる遼に、
「山田さんに興味がある。今まで誰が話しかけても冷たくあしらってたのに、最近は違うよね。誰のおかげなの?」と興味津々の様子で聞く。
「…」
『澤井さんです』と遼は言いたかったが、社内でバレるのも厄介なので、
「ミカさんや華さんと話すようになったからです」と答えた。間違いではない。ちなみに秘書課は残留だったので華は悔しがっていた。
「ふうん…あ、お茶持ってるんだ。俺にも一口ちょうだい」
「どうぞ。まだ開けてないので差し上げます」
遼はさっき江上にもらった未開封のお茶を手渡した。彼女はマイボトルに暖かい紅茶を入れて持っている。
「ありがと」
尾関は開封してから味わうように一口飲んだ。育ちが良さそうだ、と遼は思った。
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