第15話 春恨の月

「私、ですか…?」


 嫌な予感を覚えながら遼は答えた。


「そんな秘書みたいななりをして、本当は内偵者なんだろ?うちの裏帳簿を誰かが先月コピーして本社の総務に送った形跡があった。受け取ったのはおまえだってわかってるんだ。

 資料を受け取った可能性がある人物の総務の名簿に本社勤務のおまえが入っていたんだよ。どいつか疑っている時に、のこのこ秘書課に在籍してたと社内履歴を偽造してまでやってきたのが運の尽きだったな。悪いがここで死んでもらおう。もちろん作業中の不幸な事故として。そして、このことを知ってる人間は一人ずつ始末するつもりだよ。俺達でできなさそうならプロに頼むまでだ、金はあるからな」


「…」


 遼はこれ以上話すのは危険だとばかりに出入り口に走り寄った。


 横流しは支社長と工場長がグルだったということだ。

 彼女は工場長が持つ銀行口座の入金履歴を洗っていたが、それらしい金の流れは見当たらなかったので通報者かと思い油断していた。家族名義の通帳にでもプールしているのだろう。


 遼はドアノブを回したが、鍵がかかっていて出られない。思いっきり押してもみたが、むなしくびくともしない。


「鍵は俺が持ってる、残念だな」と背後で笑いを含む声が聞こえる。


「横流しは支社長との共同作業ですか。『人類の発展と地域の振興に寄与する』という社是しゃぜや、会社が軍需産業とは直接的にも間接的にも取引しないと決めているのをご存じですよね?『死の商人にはくみしない』という創業者の意思を何だと思ってるんですか?」と遼が聞くと、工場長はより酷薄こくはくな表情で遼を笑い飛ばした。


「おまえこそ何言ってるんだ?軍需産業はお宝の山だ、掘らない手はないだろ?会長も社長もキレイごとを言ってるバカ者だ、俺達に言わせればな。今の総理には政治理念のかけらもないからな、国産化の名の下に軍需産業を日本で育てようとしてる。俺らが作った材料から作られた兵器で人がどれだけ死のうが関係ないんだよ、金が儲かったやつが勝ちだ。時流に乗れない会社は潰れる。ライバル会社だけを儲けさせるのはしゃくだろ?だから俺たちが代わりにやってやったんだ」


「そんなことしなくても会社が健全に機能すれば私の計算ではあと30年は大丈夫のはずです。それよりも、あなたたちが会社の資材を使って工場で作った製品を横流しし、金品を貰っていることが会社の寿命を削ってる。もちろん犯罪です。事の重大さをわかっていますか?それに、兵器を作るような企業に与した上に横流しされたお金を使って遊んで楽しいですか?ご飯を食べて美味しいですか?子供たちに胸を張れるのですか?」


「楽しいし、美味しいさ。犯罪だなんてわかってる。でもな、周りを見て見ろよ、悪い事をしてる企業ほど儲かってる。正当な権利を行使するような顔で下請けを絞り倒したり税金も払わないでのうのうとしてるクリーンな仮面の有名大企業がたくさんあるんだよ」


「そんなこと誰でも知ってます。でも他の企業が法の抜け道を使ってズルしてるからって自分たちがしていいという話ではないですし、納税で利益を社会に還元するという大事な役割をちゃんと果たしている会社をちゃんと選ぶ人も多いはずです。それに、そんな正当でない会社は30年後に消滅している可能性が高いのですよ、なぜならトップが腐っているからまともな人材が育ちません。人間というものはそれほどバカではないと私は思ってます」


「ふん!小娘のくせに知ったようなことを言いやがって。まあ、どうせお前はこの場所でもうすぐ死ぬんだ。そうだ、大好きな会社で死ねて嬉しいだろ?ん?」


 彼がいい気になってペラペラ話している、その時、


「おい、工場長!!おまえがバカ者だ、もう話すんじゃない!全部外に放送されてるぞ!」とドアを激しく叩きながら叫ぶ声聞こえてきた。


 支社長の声だった。遼がちゃんと殺されるか確認するつもりで近くにいたのだろう。


「ま、まさか…おまえ…」と顔面蒼白になって工場長が遼を指さした。まるで中世ヨーロッパで、無知な民衆によって魔女裁判にかけられた無実の女性のように。


「支社長のおっしゃる通りです。あなたの『もちろん作業中の不幸な事故として…』のあたりから、工場内に放送させて頂きました。私も大事な人が何人かいますので今はまだ死にたくありません。とても残念ですが、もうすぐ警察が来るでしょう。殺人ともなりますと事が大きいので会長も社長も隠し切れないと私が判断して放送しました。観念してこのドアを開けて下さい」


「ぐゃぁはああああぁーーーーーう!!」と工場長は頭をかきむしって突然叫んだ。マスクやゴーグルが吹っ飛び、露わになった顔は青黒い部分と赤い部分の斑になっている。


「だ、大丈夫ですか?」


 いつもの無表情で遼が聞くと、余計に逆上して髪をむしり取るように引っ張りながら俯いた。


「おまえのせいで大丈夫じゃないんだよ、このクソ女!大金持ちになってすべてうまくいくはずだったのに…俺はもう犯罪者だ、これから生きていけないじゃないか。…仕方ない、今から加工された資材が流れ込む手はずになってるから、俺と一緒に死ぬんだな」


「本気ですか…」


 遼がまさかの展開に呆然としていると、熱せられた材料が部屋の天井隅から水蒸気を立ててザーザーと音を立てて入ってきて部屋の温度が一気に上昇したのがわかった。


(ここは、間違いなく危険だ…)


「誰か、助けて下さい…工場3階の資材保菅室にいます」と通信機に言うが、もちろん一方通行なので返事はない。外の支社長の声は全くしなくなった。多分岩井と逃げたのだろう。


「バカだな、この無人化が進んだ工場にいくつ資材室があると思ってるんだ。俺はこれを着てるからおまえが死んだらゆうゆうと部屋から出て事故だと言おうと思ってたが、計画変更だ。最後にお前を道連れに死んでやるっ」


 そう言って、工場長は遼に抱き着いた。


(うえっ…)


 巻きつく手と伝わる体温が気持ち悪い。支社長の時と同じで、遼は気持ちが悪くて胃が裏返るような痛みに襲われた。


(…ヒト科との過度な接触はやっぱダメだ。…でも朱音は大丈夫、ってことは私は…)


 熱さで喉が痛くてひりひりしてきた。目はもう開けていられない。工場長は胃や目、喉が痛くてへたりこんで動けない遼を放し、熱さから逃れようと部屋の隅にうずくまった。


(朱音にちゃんと好きだって言えば良かった…でも捨てられたくせにそんなバカなこと言っても…彼女もいるだろうし…迷惑だな。やっぱり言わなくて正解だ…)


 北九州のデートとその夜の出来事を思い出した。もう彼に会えないのだと思うと遼は涙が溢れた。


「あかねっ」と彼女にしては大きい声を出すと、体内に一気に入ってきた空気が熱くて喉が火傷したときのようにひりひり痛くなり、床にうずくまった。


 夜景を見ながら話していた、彼の故郷にある越前大野城に行ってみたかった。

 遊ばれていても、恋人でなくてもいいから、二人で。そう思いながら遼は涙が顔を伝って下にぼたぼたと落ちる音を聞いていた。




 真っ白な空間に一人ぼっちだ

 ここ以外は真っ暗闇に包まれている


 死んだ?


 ずっと、4人もいる両親と会えるなら死ぬのも悪くない、と思っていたが、死ぬ前にあんな大声を出すなんて意外と現世に未練があったようだ


『四月は残酷な月である』とは誰の言葉だったろう?シェイクスピア…違うな、T・S・エリオットだったっけ…

 まあ自分が選んだ船が沈没したのだ、仕方ない


 明るいしあっちがいいかな


 彼女は暗闇に足を踏み入れ、光の方へ歩き出した


 少し歩くと

 その先のそのまた向こうからかすかな声が幾筋か聞こえる

 遼は耳を澄ました

 

「りょうはこっちにきてはダメだよ」

「もどりなさいはんたいほうこうに」

「まだこっちにくるのははやい」

「あえるのをたのしみにしてるからゆっくりおいで」


 遠い記憶の父と母4人の優しい声が響いた

 あまりに優しいのでそっちに行きたくなる欲求を抑え、遼はきびすを返して暗闇の方向に歩きだした




「おい、こらっ!遼、起きろっ。オレはずっと彼女なんていないんだ。目を覚ませよっ」


 朱音が遼の白い頬をバンバン叩くのですぐに赤くなってきた。


「せ、先輩、待って、そんな乱暴な…」と山本は朱音の手から遼を守ろうと自分の手を間に差し込んだ。


「山田さん、ごめんなさい!しっかりしてっ」と泣きながら遼のウエストにしがみつくのは秘書課の岩井だった。


 救急車の音がする。遼が目をうっすら開けると辺りがやたら騒然としている。バタンバタンとドアを開け閉めする物音が耳に痛くて彼女は顔をしかめた。次に喉の痛みが襲ってきた。


「意識はありますか?」「はい。今、目を覚ましました」と誰かが慌ただしく話してる。


「大丈夫ですか、名前を言えますか?」


 救急隊員がストレッチャーを用意し、テキパキ遼を車に乗せる準備をしながら他の隊員が彼女に話しかける。


「あか…ね」


(さっき朱音の声で、彼女いない、って言ってた…)


「あかねさんですね、年齢は?」


「…た…ぶん、にじゅうろく…」


 彼は9月生まれだから26のはずだ。声がかすれて上手く音が出ない。


「おい、遼っ、オレの名前言ってどうすんだよ」と朱音は遼のそばに立って、笑い泣きみたいに言った。そして、


「高温の空気のなかに長時間いて喉に痛みがあるようです。付き添います、恋人です」と隊員に言っている。


(朱音が九州にいるわけないからこれは夢だな。それに『恋人』って…私の願望が出過ぎて笑える…)


 遼はなんだかほっとして目を閉じた。




「うん、軽傷だったから、安心して」と遼が言うと、電話の向こうで孝が、


「ねえちゃんの会社から事件の連絡が入って、俺達パニックだったんだよ。ネットでも流れてるし心配で。ねえ、なにかいるもの持ってくよ。なにが欲しい?」といつもより優しくて気が利くところを見せた。


 遼が殺されそうになって病院に運ばれ、目が覚めてからベッドで警察の取り調べを受けていたらもう夜になっていた。

 弟たちが心配してるからと解放されてすぐに電話をしたが、やはり死ぬほど心配していた。


 結局は岩井が本社に告発メールを送った人物だった。大事な恋人である支社長が犯罪に手を染めているのを止めさせたかったそうだ。でも彼に裏切ったと思われるのが怖くて、あのような謎解き仕様で送り付けてきたそうだ。


 彼女らしい、と遼は思う。前なら全くわからなかったが、今なら彼女の気持ちがわかる気がした。

 結局岩井が支社長を振り切って戻ってくるときに、山本と朱音と合流してきてくれたのですぐに遼がいる場所を特定できて助かった。気道熱傷も大きな損傷はなくて大きな声を出さなければ大丈夫だ。



「ううん、澤井さんっていう会社の人が付いててくれてるから大丈夫」と遼が言うと、忠が「またあいつか」と後ろで舌打ちして言ったのが聞こえて遼は思わず笑ってしまう。


(朱音が彼女はいないって言ってた。…という事は、あのメールは私の誤解だったのか…?いや、どう読んでも別れようという内容のメールだったから違うだろう。

 考えられるのは、まずは上の2人の弟のうちどちらかのいたずらだ。2人は私に彼氏が出来て騙されてるんじゃないか、どんなやつだって毎日心配していた。

 それか、朱音が彼女と別れたから私をはめようとしてるか…)


 そんな風に可能性を考えていたら、


「あいつさ、滅茶苦茶ねえちゃんの事を好きだよ。だからさ、疑わないで一度彼を信じて付き合ってみて。ねえちゃんがいろいろ考えちゃうのはわかるけど、今回は俺の言う事聞いて欲しい。お願い」と忠が電話口で真剣に言った。


「わかった、忠の言うことなら信用する。付き合うかはわからないけど。みんなに、心配かけてごめんって言っておいて。そっちに帰る日がわかったらすぐに連絡するよ。おやすみ」


 電話を切ると、ベッドのそばで話が終わるのをじりじりしながら待っていた朱音が、


「どうした?誰が誰と付き合うんだよ?」と聞くので「弟の話、だよ」と遼は誤魔化した。


「なあ、あの時工場で…オレの名前を言ってた、よな?」


 朱音がもじもじしながら言いにくそうにつぶやいた。


「うっ…聞いてたんだ…」


(恥ずかしいっ…よく考えてみたら工場中が聞いてたってことだ)


 真っ赤になった遼に朱音はにじり寄り、彼女の手をとった。


「嬉しかった…オレさ、ずっと聞きたかったことがあるんだ…遼って彼氏いるのか?」


 朱音は思い切って聞いた。いる、と言われる前提で、自分に乗り換えるよう告白しようと思ったのだ。『オレの方が絶対に幸せにするから』というセリフを用意までしていた。


「彼氏?いない」


 あっさり遼が答えたので、朱音は頭が真っ白になってベッドに乗せた肘がベッドからずり落ちそうになった。


「え…だって、これ…」と朱音は指輪を触った。


「これは弟たちからのプレゼント」


「…あの怖い弟?」と朱音が聞くと遼が小さく笑った。


「うん、あの子と、よく会社やイタリアンに迎えにきてくれる子と、あとは双子。4人弟がいるんだ、みんな優しいいい子だよ」


 遼がいつになく饒舌に説明した。弟の話になると喉の痛みも忘れてしまうのか顔もぱあっと明るくなる。


「えっ、あの会社に来てた背の高いおしゃれな男?遼の彼氏だと思ってた…っていうか弟が4人もいるの?」


 彼氏だと思っていたのが弟だと知って朱音は動揺を隠せなかった。


「血がつながってないから似てないけどね。背の高い弟は美容師で、仕事場が近いんだ」


 弟といえども二人は限りなく恋人っぽかった。というか手もつないでいたしあれは恋人にしか見えないだろ…と朱音は思いつつも、


「そっか…良かった…オレ、ずっと遼にはこんなすごいプレゼントをくれる恋人がいるんだと思ってた」と言って、彼女の左手の中指を触った。


「あ、でも孝から『恋人にもらったって言え』って言われてたから、聞かれたらそう言ってたけど」


 なんでだよ、と朱音は心の中で突っ込みつつも、その場の勢いを借りて、自分は別れのメールを3年前に送ってない、何かの誤解だと告げた。

 遼はあまり驚かなかったので、彼女も同じく違和感を感じていたのだろう、と朱音は思った。


「朱音はこんなつまらない私だから、セックスしたら飽きて捨てたんだと思い込んでた。いや、思い込みたかったんだ。ごめん」


 遼のその言葉を聞いて、朱音は『ぼすん』とベッドに勢いよく顔を埋めて身体を震わせた。


「な…何で?そんなわけないだろっ?!そんな風にオレのこと思ってたなんて…すげーショックだ…」


 遼が頭を撫でると、彼は顔を上げた。朱音は少し涙ぐんでいた。初めて遼に見せた姿だった。


「ごめん。彼女ができたから別れて、っていう朱音からのメールに一度返信したけど反応がなくて…。それでもう怖くて体がすくんじゃって、諦めたんだ。それがその時の私の精一杯だった。ごめん、朱音。辛い思いをさせて、本当にごめん」


 ベッドに寝る遼の目から涙が幾筋か滑り落ちた。


「オレこそ…遼に辛い想いをさせてたなんて全然知らなくて…ごめん。自分が可愛かったんだ。『別れて』ってメールが来て、ああ、やっぱりオレはこんなダメなやつだから捨てられたってすぐに諦めたんだ。遼にちゃんと会えばよかったのに、その勇気がなかった…」


 二人はしばらく病院のベッドで見つめ合った。なんだか初めて会った人同士みたいだ。


「じゃあさ、誤解も解けたんだし…オレ達もう一度…」と朱音が言った瞬間、


「ねえちゃん!大丈夫?」「遼、大丈夫かよ」「ねえちゃん!来たよ、もう安心して」「遼、来たよ」と4人の男どもがドアを開けてバタバタ入ってきた。一気に病室の人口密度が高くなり、遼がも言われぬほど嬉しそうに微笑んだ。

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