月はコンソーシアムな僕らを見てる

海野ぴゅう

第1章

第1話 始まりは令月

 2月14日、山田遼やまだりょうの26回目の誕生日の夜に事件は起こった。



 夜空は分厚い雪雲で埋め尽くされようとしていた。高い場所でオレンジに光る月がたまにちらりと顔を出す。


(今夜は雪が降るかもしれない)


 彼女は縁側の昭和初期の木製のサッシに入ったガラス窓から、歪んだ外の景色を眺めた。風が吹くとガタガタうるさく鳴る窓が、今日はシンとしている。


(雪は好きだ。綺麗なものも汚いものもすべて隠す)


 彼女の背は165センチ程、色白で派手ではないが顔立ちが上品だ。

 ほっそりした身体に前髪のない真っ黒の長い髪をひとつにまとめ、上下黒い衣服を着用している。運動などは無縁そうだ。すらりとした印象的な切れ長の黒い瞳に見つめられると、初対面の相手は動揺してしまう。


 父が趣味で作った和風庭園が白くなっていくイメージを早送りで脳内再生していた彼女は、リビングで集まった4人の弟たちに呼ばれてソファーに掛けた。



「誕生日おめでとう、ねえちゃん」


 遼は笑みを浮かべた弟たちからプレゼントを渡されて驚いた。皆からバラバラに花や傘などのプレゼントもらうことはあっても、4人合同は初めてであった。


「これさ、俺達4人からの誕生日プレゼント。もうまことしんも社会人だし、ねえちゃんには迷惑かけない。今までありがとう。これを付けて、ねえちゃんに自分の人生を取り戻して欲しいんだ」と次男の孝が言う。


 長男は忠、次男は孝、末の双子は誠と信。学問好きの父親が、産まれたばかりの彼らの顔を見て決めた名前だった。


 4人のむさ苦しい、心から愛する弟たちが見守る中、彼女は純白の上品な和紙の袋をおそるおそるのぞいた。大仰な包みがふたつ入っているので取り出して開ける。そのなかにまた立派な箱があってまた開けた。


(マトリョーシカ?!)


 心の中でツッコみながらも嫌な予感で手が震えた。


 やっと出てきた中身は、一番上の弟のただしと先日訪れたシックでこじんまりした、しかし東京の一等地にある高級な宝石店に置かれていたダイヤのネックレスと指輪だった。

『彼女にプレゼントを買うから一緒に見てくれ』と忠に頼まれて行ったが、あまりにも高額過ぎるし、なぜか遼にはめてみろというので変だと思っていたのだ。


「こ、これっ…」


 驚きすぎて顔面が蒼白になったりょうを4人は嬉しそうに眺めている。彼らの望み通りサプライズは確かに成功した。しかし、だ。


(これは…)


 弟たちが騒ぐので、遼は顔を引きつらせながらネックレスと指輪を着けた。『良かった、やっぱりねえちゃんに似合う』と弟たちが盛り上がっている。

 二番目の弟のたかしが持ってきてくれた鏡を見ると、化粧気のない女がそこにいた。

 黒い髪ゴムでひとつにきっちりしっかりまとめた真っ黒の髪は残念なことに毛先がバサバサで、半年は美容院に行ってないと一目でわかった。服は地味で白い肌がほとんど出でいない、黒のタートルネックにブラックジーンズ。色を選ぶのが面倒だからか黒い服ばかり着ている。指輪をはめた手は荒れていて、爪は全く手入れされていない。

 彼らが望んでいるのは自分の喜ぶ姿だとわかってはいるが、とてもじゃないが喜べなくて遼の顔が歪む。なんせその大粒ダイヤの値段を知っているからだ。


 ダイヤの指輪が250万、ダイヤのネックレスが250万、合わせて500万(税込み) 


(あ、ありえないでしょ…0が2個も多い。レンタルかドッキリだと言って欲しい…)


 遼はそう思いながらも、


「あ、ありがとう…嬉しくてお姉ちゃん言葉が出なかった。でも、こんな高額過ぎるものとても貰えないから、返しにいこう。私も一緒にあやまるから」となんとかうまく答えたつもりだった。


 でも彼女の感謝と遠慮に弟たちはニヤニヤしている。


(いや、遠慮じゃないから)


 遼がそう言おうとしたら、


「年末に俺たちで水回りの改造をしてただろ?」と大学を出てから設計士としてハウスメーカーで働く忠が経緯の説明を始めた。


「そんときにさ、死んだ母さんのいたずらが見つかったんだ。トイレのタンクに、ビニールに入った通帳と印鑑が入ってた。お父さんが趣味の茶道具に使わないように隠していたんだろうね。で、中には500万入ってた。それをねえちゃんに言うと絶対に100万ずつしようって言うだろ?だから、今まで世話になったねえちゃんに使うってみんなで決めたんだ。な?」


 下の弟3人は満足そうに大きく頷いた。その様子はあまりに純粋で美しくて、それ以上なにも言えなくなってしまった。美しさに勝てるものなどないと遼は思い知った。



 そして、昔からの誕生日のお祝いにはお決まりのメニュー、ハンバーグとエビフライとグラタンを皆で食べた。

 遼はぐっと涙が出るのをこらえる。

 でもそれは嬉しいからでなく悔しいからだっだ。


(…500万もあったら、弟たちが結婚するときに一人125万もプラスして持たせられたのにと思うと涙が出る。こんなただの炭素の同素体に…!そりゃあ綺麗だよ?でも、高すぎる。…さすがあの父親の子供たちだ)


 忠たちの父親は茶器や道具に惚れこむといつの間にか手に入れていた。100万単位の買い物でもお金があればふわっと買ってしまう。飽きた茶器や掛け軸を売ったり、値上がった所有地を売ったりしてお金を集めていたようだ。

 そんな道楽な父親だった。そして、遼たちはそういう父親が好きだった。だって、父の周りにはいつも美しいものがたくさんあって、嬉しそうな父から新しいものを見せてもらうたびに皆でワクワクしながら批評したりしたものだ。

 もちろん母はポーズで怒ってはいたが、身体の弱い父の事を大好きだったから購入を止めさせたことは遼が知っている限り一度もなかった。仲良し夫婦だったのだ。


 この500万は自分で補填ほてんするしかないな、と遼はこっそりため息をついた。

『本当にバカ!』と4人に言いたい気持ちをなんとか抑え、彼女は苦い気持ちで26歳の誕生日の夕食を味わった。




「ねえちゃんさ、本当は怒ってるんだろ…?」


 皆でいっぺんに片付け、一気に綺麗になった台所で遼が食器を拭いていると、風呂上りの忠は少しすまなさそうに姉に声をかけた。


「まあ…少しだけ。気持ちはとても嬉しいよ、でも…」と遼は自分を抑えて言った。


「俺達さ、本当に感謝してるんだ。ねえちゃんさ、成人式だって自分のはしてないだろ?俺達4人の成人式はちゃんとしたくせにな。俺、そういうの全然わかってなくてすごく後悔してる。だから、しんまことが就職してもうすぐ一年だしもう安心、ってタイミングでねえちゃんを自由にしたいんだよ。綺麗なのにいっつもそんな安物の同じ服着てさ、一流大学を出て一流企業に勤めているのに恥ずかしくないのかよ?」


 遼の顔色がそれを聞いて一気に青くなった。


「…もしかして、みんな私の恰好で恥ずかしい思いをしてたの?ごめんなさい…私全然気が付かなかった…これから気を付けるから…」と遼が言うと、忠は怒ったような悲しいような変な顔になった。


「違う、ねえちゃんが恥ずかしくないか、って聞いてるの。俺たちがいるとそんなだから、ねえちゃんは幸せになれないだろ?もっと自分を大切にして欲しいんだ。さっきも言ったけど、これからは各自で自分の事は自分でする、って4人で決めた。だから、ねえちゃんの給料と時間はちゃんと自分に使えよ。俺たちのご飯や結婚資金は自分たちで用意するから、心配すんな」


 遼は弟らの結婚・独立に備えてこつこつ貯金していた。忠に釘を刺されてしまい遼は思わず口ごもったが、くじけずに下手したてに出て頼んだ。


「うっ…で、でも、私にはこの家に恩がある。お願いだから、あなたたちが結婚するまでくらいは面倒見させてもらえないかな…」


「恩って…もうあれから7年経つし十分以上だよ。俺らだって結婚するかもわからないし、両親もそんなことねえちゃんに望んでないに決まってる。自分たちの娘として接してただろ?俺達だって、本当のねえちゃんだと思ってる」と呆れた様に忠は言った。


「知ってるよ…だからこそ…」


 遼が8歳の時、本当の両親が事故で亡くなり、遺産目当ての親戚の家を半年間たらいまわしにされた嫌な記憶が蘇る。遼は知能指数が異常に高くて難しい娘だったので持て余したのだった。

 そこから救い出してくれたのは、両親の親友だった。つまりは忠たちの両親だ。

 その両親も7年前に病気で相次いで亡くなってしまい、この大きな家には遼と4人の弟で住んでいる。

 つまりは遼は4人もの親に短期間に死なれているという非常に不運な娘だった。その為か彼女は『家族』に対する執着が強く、忠と孝は自分たち『家族』にとらわれ過ぎの姉を心配していた。要は、姉に普通におしゃれをして彼氏を作ったり友達と遊んだりして欲しい、ということだ。


「もう!!ねえちゃんのバカ!なんでわかんねーんだよ」


 とうとう怒りだしてそう言った忠は、2階に半分まで登ってからまたバタバタと下に降りてきて、


「絶対にそのネックレスは毎日するんだぞ、いいな!」と言い捨ててから照れ臭いのかどんどんと足音を立てて二階に上がっていった。



「はあ…」と遼はため息をつく。


(忠こそどうしてわかってくれないのだろう?みんながいるこの家に居るのが私の幸せだ。彼らが私を必要でなくなってここからいなくなった時、私はどうなるのか想像もできない。

 成人式も、上の二人が今でも気に病んでいるのだが、もともと出席するのが面倒だった上に2人しかいない友人が出なかったので未練は全くないと何度も説明してるのに。

 別に犠牲だなんてこれっぽちも思ってない、育ててくれた両親と受け入れてくれた家族への感謝しかない…)



 遼がぼんやり思い悩んでいると、


「ねえちゃん、大丈夫?」と背の高い次男のたかしが慣れた動作でかがみながらキッチンに入ってきた。古い家なので建具が低い。でも往生しながらも誰も建て替えようとか売ろうとは言わない。大事な家族の思い出の家なのだ。


 彼は椅子に座る遼の肩に手を置いて慣れた手つきでマッサージをする。忠とケンカをしたと思って心配して見に来たのだろう。勘がいいのだ。


「ごめんね、孝に心配かけて。でも大丈夫だから」


「ん…俺さ、ねえちゃんが幸せになってくれるといいなって、思ってる。だから…ここにずっと居てもいいし、好きな人を見つけて出て行っても、どっちでもいい。幸せならね」と言いながら彼女の手入れの行き届いていない髪を触った。


「ありがと、孝。私はみんなの事が大好きだ。感謝してる。あんたも好きな人が出来たら私に遠慮せずに出て行っていいんだからね。もちろん結婚してここに入ってもらってもいいし」


 遼がそう言うと、彼は少し恥ずかしそうに頷いて、二階に上がっていった。24歳の立派な美容師の青年だが、姉の前では10代の少年のようだ。


(しかし…孝に髪を見られてしまった。毛先がぼさぼさでもうそろそろ切らなくては…。私のせいで皆に恥ずかしい思いをさせられない)


 仕事が早く終わったら、孝の美容院に寄って髪を切ろう。そう思った。



「ねーちゃん、おやすみ」


 信と誠は微妙な女心には全くうといのか、仲良く風呂から出て、遼にお休みを言ってから自分たちの部屋に戻っていった。双子の二人はそっくりな上いつも一緒で、忠に頼んで2つの隣同士の部屋をぶち抜いて大きな1部屋にしてもらい生活してる。21歳になっても子供のようだ。

 彼らは高校を卒業して自動車の専門学校を出た後、同じ車の販売店で務めており、信は整備士、誠は販売を担当している。仕事が休みの日には草レースや二人で静岡までコースを走りに行くくらい車が好きなのだ。

 末っ子たちが仕事場でうまくやっているのか姉としてはひやひやしてるが、持ち前の明るさで職場を盛り立てているようだった。


 忠たちの両親が病気で次々と亡くなってもうすぐ7年。遼は19歳の大学生、信と誠は14歳でまだ中学生だった。

 両親の遺産と家があったのでつつましく生活していればお金には困らなかった。いざとなったら広すぎるここの土地家屋を売ろうと皆で話していたが、なんとか皆の大好きな家や土地を売らずにやってこれた。そして4人とも立派に育っていた。


 遼は弟たちのお弁当と料理や掃除、洗濯など身の回りの世話をしただけで、育てたわけでないと思っていた。困ったときは家族全員で相談しあった。そうやって皆で助け合って育ったのだ。

 それに、今は皆で家事を分担しているので負担感は全然なかった。

 経済的にも皆が立派に働いており、お金を出し合ってこの家を管理維持しているので問題ない。

 なんせ数寄屋門が付いた奥に長く広い土地と家だ、庭木の剪定だけでも年間20万は造園屋さんにお支払いしている。毎年家もどこかが悪くなるので出来る部分は自分たちで補修したり、屋根などの出来ない部分は忠の取引先の業者に安くお願いしている。



 遼はつらつらと昔の事を思い出しながら、自分もお風呂に入る。


(信も誠も中学生の時は可愛かったな…子供だったのに、もう21歳かあ。大きくなって、私にプレゼントなんて…死んだ両親にはとても申し訳ないけど…すごく嬉しい…)


 彼女は昔ながらのタイル張りの深い湯船でネックレスを触った。

 白い喉元のダイヤがお風呂場の吊下げ照明の光を受けて美しく反射した。

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