終月

「遼さ~ん、堀さんが虐めるんですっ」


 遼と朱音、そして中学生の娘、少学生の息子がカードゲームで家族団欒していると、きりりとスーツ姿の江上が玄関のベルを鳴らし、部屋に飛び込んできてわめいた。明るい土曜日の昼下がりだ。

 江上はもうすぐ40歳になろうとしていたが、30代前半ほどに若く見え、とぼけた雰囲気を醸し出している。


 慣れた様子で「どうしたんですか?」と娘の緑が遼譲りの無表情で江上に尋ねる。髪は真っ直ぐの肩甲骨までのロングで、朱音に似たどんぐり眼がくりくりしてリスのような小動物を思わせる。

 ちなみに緑は物心ついた時から江上をずっと追いかけているが、振られること18回、どこがいいのかまだ諦める気配はない。彼女はまだ中学生なのだから江上が断るのは当然なのだが、そんなことお構いなしにアタックしている。どうも学校で同級生が付き合い始めたので自分も、と考えているようだが、下手すると犯罪なのをわかっていない。


「どうせまたオンラインゲームで負けたんだろ、堀も家庭があるのに昼間っからおまえのゲームに付き合わされて可哀そうに…。さ、江上なんか放っておいて続きやろうぜ」と朱音は緑の恋心を知ってるから余計に冷たく言い放った。


「あ~、ちょっと自分が偉くなったからって、威張ってる」と江上が朱音を非難した。


「え、父さん偉くなったの?」


 遼に似た切れ長の目を細めて息子の史郎が聞いた。


「来月から取締役だ。まあ、副社長だな」


 嬉しさをごまかすように朱音が答える。


「40代前半で取締役になる確率は、中小をあわせると高いよ、株式会社では3人は取締役が必要だしね。上場企業を加えるとパーセンテージは一気に下がって…」といろんな統計にはまっている娘が説明する。


「ねえ、こうやってみんなでゲームする時間とか、なくなる?」


 まだ幼さを残す息子は中身が朱音に似ていて、おずおずと父に聞いた。


「なくならない。ってでも家でミドリやシロと遊ぶために帰ってくるよ」


 朱音は母親に顔立ちが似た息子にメロメロで、顔や髪を両手でべたべた触りながら言った。中学生になった娘にはおおっぴらには触りにくくなってしまった。思春期だしと朱音は気を回しているが、緑は全然朱音に触られても平気だった。


 遼が2人産んでくれたので、朱音と遼で在宅で仕事をしつつ交代で子育てしてきた。いや、遼のほうが先に管理職に付いたので、朱音のほうが子育ての比重が大きかった。

 でも朱音が求めていたのは『居場所』だったので全く苦ではなかった。今まで空いていた大きな穴が、子育てを通して子供からもらう愛情で毎日パンパンに埋められて溢れていくのを実感した。緑がはじめて『とー』と自分に向けて言った時の感動は一生涯忘れられないだろう。(ちなみに『かー』のほうが後だったので遼が落ち込んだのは言うまでもない)

 何かあれば遼の兄弟に頼った。それに病気の時は会社の託児所が病児保育もしているので、どうしても会社に行かなければいけない時間だけ連れて行くこともできた。子供はこれほど病気をするものだと育児を通して初めて知り、朱音は大野の両親を許せるようになった。

 一緒に過ごした時間の積み重ねがある分、余計に子供が愛しくて仕方なかった。


「子供を甘やかしてるし、みっちゃんを虐めないで!朱音は知ってるの?先週史郎シロが勝手にS製薬の株を追加購入してたんだから!この子、株をゲームと間違えてるんだもの…」


 史郎に甘い朱音に、遼が釘を刺した。


「お?で、シロ、どうだった?儲かったか?」と江上が成果を聞くと、待ってましたとばかりに史郎は大声を張り上げた。江上と仲良しなのだ。オンラインゲーム仲間でもある。


「おう!もちろんだぞ、年間差益は絶対江上っちに負けないからな!!勝負だ」


 史郎の言葉を聞いて朱音が眉間に皺を寄せた。


「お~ま~え~!江上が教えたのか?!少し前から遼の『貞観政要じょうがんせいよう 』の横に最新版の四季報があるからおかしいと思ってたんだ。子供に株なんてさせんじゃね~よ!」


「え~、でもちゃんと増えてるよ?」と可愛く史郎が言ったので朱音はすぐに笑顔になった。


「そうかー、シロもミドリも数字が好きなんだな」


「うん!数字は裏切らないからね。確率ではあと62回以内で江上さんが落ちるはずなんで、私頑張るよ」と緑が淡々と言ったので朱音はガクッと肩を落とした。


「そっか、頑張れ!でもみっちゃんもうすぐ40だよ?いいの?」


 遼が薄ら笑いで緑に聞くと、


「うん、最初の相手は中年がいいって統計学でも証明されてる」と無表情で答えた。


「さ、最初って…まさか…?」


 朱音が聞きたくないけど聞き逃せなくて絞り出すように聞いた。


「もちろんセックスだよ」とあっけらかんと言ったので朱音は倒れそうになった。


「えー、ミドリかぁ…僕たないよ…」と嫌そうに江上がつぶやいた。


「なにい、お前オレの娘に失礼な!死ぬ気で勃たさせろ!!」


「そこは娘に手を出すな、でしょ、朱音…」と遼が呆れている。


 でも会社でいつの間にか総務の部長にまでなっていた江上なら独身だし安心なんだけど、と遼は密かに思っていた。


 江上が「代表取締役社長様、お時間です。早く行きましょーよ」と嬉しそうな声を出す。今日は江上と遼とで取引先の新社屋落成式に参加する予定だ。


「はい、すぐ行きます」


 さっと頭の回線を切り替え、家用のコットンパーカーを脱いでソファの背もたれにかけた。立ち上がった遼は、グレーのシックなシルクのドレスに弟たちからもらったダイヤのネックレスを付けていた。長い髪はうねるように美しくまとめてある。事前に孝が来てセットしてくれたのだ。

 指にはもちろん朱音からもらったアメシストの指輪が常にある。ダイヤの指輪は緑に渡すつもりだ。ネックレスは史郎がもらってくれたら、と思う。この2つは遼の人生におけるラッキーアイテムだった。


「お母さん、お仕事頑張って来てね~」

「ファイティーン」


「遼、今日も綺麗だ。気を付けて行ってらっしゃい。寄ってくる男には気を付けろよ」と朱音が立ちあがって遼の相変わらず細い腰に手を回す。


「土曜日なのにごめんね、行ってきます」


 遼が朱音に絡まってゆっくりキスすると、子供たちが騒ぐ。


「またお父さんたちチューしてる!少し前もしてたくせに、またぁ?」

「あーあ、私も江上さんとしたいなー」


「バカ、ダメに決まってんだろ」


 緑の言葉で現実に戻った朱音は遼を離して緑に念押しした。

 遼は笑って上品なヘルノのコートを羽織る。代表取締役社長になったときにもらったミカからのプレゼントだった。今はミカが会長職についている。尾関と朱音が取締役で副社長だ。



 ミカが45歳になった時、堂々と副社長から代表取締役社長になった。大企業での女性社長がやっと認められる時代になってきたと判断したのだ。実質的会長だったユカが会長に就いた。

 会長と社長が女性とあって、毎年優秀な新入社員が入ってくるようになった。少数精鋭かつ適材適所で、早期退職がないように入社前からマッチングに気を遣う徹底ぶりも評判が良かった。波長の合いそうなメンターを付け、1年にわたって指導させるのも功を奏した。

 ミカの主導で薄利多売の商売の比率を少しづつ減らし、超付加価値商品の研究開発に力を入れるようになり20年が過ぎた。軌道修正がスムーズにいったのも、ユカが気にかけたアットホームな会社形態のおかげで社員が離れていなかったおかげだと遼は思っている。


「会社が第二、第三の家、みたいになって、家庭で困ったときに一番に頼ってもらえる会社にしたい。両親が楽しそうでないと家庭が暗くなっちゃうものね」と言って、社員から子育てや介護の要望をくみ上げて効果がありそうな案を実現していった。


 そのユカが会長職を辞めるのに伴い、ミカが代表取締役から退いて会長になり1年が経っていた。


 昔と違って完全成果主義で年俸で働く管理職は仕事量も半端ないが給料もかなり高い。反対に一般社員だと給料はそこそこで伸びも悪いが、転勤もなく、ストレスがあまり感じられない職場環境つくりのせいか離職率が低いのが最上化成の特徴だった。

 実際、男女関係なく転勤や昇格に消極的な新入社員も多く、ゆるく長く効率よく勤める事が出来ると会社ランキングではいつも上位をキープしている。

 取締役3人のうち2人が夫婦で、代表取締役社長が女性、会長がレズビアンというのも珍しく、社内恋愛が推奨されているので結婚するカップルも多い。

 また、週に数日はテレワークが推奨されており、仕事がフレキシブルになり、効率もあがり、子育てや介護がよりしやすくなった。会社の1階にはグループ社員なら誰でも使える託児所・病児保育所まである。


 


「行ってきます」と遼はヒールの低い上品な戦闘靴パンプスを玄関で履いた。


「行ってらっしゃい」の唱和が明るい陽だまりのような部屋に響いた。

















~信頼できる友人は堅固なシェルター(避難所)である。見つけた人は宝を見つけたようなものである。


 現ローマ教皇の言葉

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