第11話 カオスの月

 尾関とのハイキングから帰ってきてからというもの、遼は何か考え込んでいた。



「うーん、何かあったのかなぁ…」


 社員のホテルのチェックインを終えた江上がフロント前に残っていた。朱音と山本、堀も一緒だ。遼は皆に部屋の鍵を渡すのを手伝ってからミカと部屋に行ってしまった。


「江上、勝てそうか?」と堀に心配されているが、「ムム…多分」と心もとない。


「おいおい、大丈夫かよ」と朱音が呆れたように言うと、


「じゃあ澤井先輩が対決したら良かったじゃないですか!先輩って本当にヘタレですよね、傷つくのがそんなに怖いんですかっ」と珍しく皆の前でイラついて言ったので3人は驚いた。いつもの江上なら軽い嫌味で済ますところだ。


「うっ…」


(やべぇ、江上なんかの言う通りじゃねーか…付き合いを隠す為に遼を失ったらどうするんだよ…本末転倒だ)


 朱音がただでさえ落ち込んでいたのに、一気に底まで落ちたのを見、山本と堀はオロオロしていた。




「ほぅ、やっと気がついたか。で、山田は尾関をどう思った」


 遼はホテルの部屋で自分をこの先どうするつもりでいるのか聞いたら、ミカは部屋に備え付けの机にセットされている椅子を彼女の方に向けて座り、聞き返した。


「…人を従わせる力、洞察力、胆力、気遣い力…上に立つのに相応ふさわしい人だと思いました」と遼は正直に答えてミカのそばのベッドにゆっくり腰を掛けた。長い話になりそうだった。


 ミカはその答えが満足だったようで、すぐに次の質問を遼に浴びせた。


「なるほど…高い評価じゃあないか。じゃあ、おまえは会社には何が一番必要だと思う」


 遼は少し考えてから、


「人材です。仕事があってもがいないと意味がないです。人材は会社が作る最大の宝だと思ってます」と答えた。


 モノはお金で買えるが、ヒトを育てるにはまず育てるヒトがいなければならないのだ。他にも大事なことはたくさんあるが、人がいなければまずは会社が成り立たない、と遼は思っていた。

 

(1年前の私ならみっちゃんを指導することは出来なかっただろう。それが可能になったのは、課長や部長、ミカさん、華さん、ユカさん、そして朱音のおかげで私が成長させてもらったからだ…)


「そうか…じゃあ、尾関と澤井、どっちが上に立つのに向いてると思う」


 彼女の真剣な表情から、ミカも考えている内容だと遼は思った。しかし…


「…それは…私では答えられません。恋人の朱音をどうしても贔屓目ひいきめに見てしまいますので。ただ…」


「なんだ」とミカは少し不満そうに聞いた。


「朱音は人を従わせるのでなく、場を自然にまとめて引っ張っていく力、相手の信頼を得る力があり、この人なら助けてあげたいと部下や取引先が思う、そんな人だと思います」


「なるほど。で、お前はどっちがいいんだ?」


 もちろん朱音だったが、ミカが言うのは違う意味だった。


「…それは、もし会社を継ぐならどちらと組んだほうが会社の為になるか、という話ですか?」


「そうだ」


「まずは私は跡継ぎに役不足なのと、過去に犯罪を犯している身です。結婚も相手や家族に迷惑をかけるので出来ないと思ってます」


「バカ者。役不足かは私が判断するし、不足分はパートナーで補うからいい。あと、犯罪の件は跡継ぎになるのに問題ない。千石が丹念に犯罪の足跡を消してくれてあるそうだ、あいつに感謝しろ。気になるなら結婚はしなくてもいい、公私ともにパートナーになれば解決だ」


 思わぬミカの言葉に遼はたじろいだ。


「…いえ、無理です。証拠や記録は消えていても自分が犯罪者であることを忘れることは…」


「それ込みで私はお前がいい。会長も同意見だ。罪を犯していない人間なんてこの世に一人もいないと私は思ってる。反対に自分を全くの正義で清廉潔白だと信じて生きてるやから程やっかいな人間はいない。それになにより、山田は創業者の意思を継いでくれそうだ」


「…少し、考えてもいいですか?」


「もちろんだ。あと10年…いや、5年以内に決めたいと思ってる。なんせ会長が…」


 ミカが眉間に皺を寄せて口調が暗くなった。


「ユカさんに何か?まさか…」


 山田の両親がバタバタと亡くなったのを思い出して、遼は思わずベッドから立ち上がった。身体が震える。入院を繰り返す病弱だった父はまだしも、健康で保母をしていた母までが亡くなった父を追いかけるようにすぐに逝ってしまったのは遼たち家族を打ちのめした。


「いや、会長を辞めて夫婦でゆっくりしたいと言ってるもんでね」とミカは遼を騙せたと知って嬉しそうに笑った。


 遼はほっとしてベッドにへたりこんだ。いつも見ている限りではかなり長生きしてもらえそうに見えた。




 温泉にミカとつかった後、浴衣を着てホテルの大広間に向かった。

 幹事の堀の進行でミカが軽い挨拶と乾杯をし、宴会がゆるゆる始まった。


 総務課の皆がここぞとばかりに次々に遼に話しかけてくれたので、彼女は戸惑った。社員旅行は初めての参加だったし、今まで同僚とは仕事の話しかしたことがなかったのだ。


「課長や部長が、山田さんは話すのが苦手な性格だから、あまり負担にならないようにしてあげてね、って注意されてたからみんな気軽に話しかけられなくて」と同僚の女性が遠慮がちに教えてくれた。


 遼は江上が来るまで職場でひとりぼっちだとずっと思っていたが、実は皆にずっと守られていたんだと知って心がじわじわ温かくなってきた。自分が本当に小さな情けない人間だと自覚するのも悪くなかった。


「おいおい、山田さん泣いてるよ」とビールで酔った課長がおろおろする。


「すいません、嬉しくて…」


 遼がポロポロと止まらない涙の為にタオルを探した。


「どうしたの、山田さんが泣いてると俺も泣いちゃうな」


 いつの間にか隣にしれっと尾関がいて、自分の浴衣の袖で遼の涙を拭いた。


「すいません」と遼が恥ずかしさで俯いていると、


「あー、僕が少しいない間に遼先輩の隣にいるなんてずるいです!どいてくださいよ!」と総務課のビールを取りに行っていた江上が戻ってきて騒ぎだした。


 遼があまりに面白くて笑ってしまうと、


「おー、山田さんがまた笑った!」「俺初めて見た~」と総務課の皆が酔っぱらって喜んだ。


「もう、皆さん泣かせないで…」


 遼がまた出てきた涙を何かで拭こうとしたら、


「おい、これ使え」と言って、後ろから朱音が自分の紺のタオルハンカチを寄越した。


「ありがと…うございます」


 遼が朱音の登場に驚きつつ受け取って涙を拭いていると、


「おお、いい機会だな。山田、お前の目にかなった男はどいつか決めろ。今すぐだ」と酔っぱらったミカさんが来て宣言した。でも目がさっきの部屋の続きで本気だぞ、と言っている。


「そうね、はっきり決めてほしいわ」


 振り向くと会長夫婦もいて遼は飛び上がった。


(こ、これは…冗談では済まない!?)


「遼さん、僕ですよね?」と江上が遼の少し日に焼けた首にしがみついた。いつもなら朱音がかいがいしく日焼け止めなどを塗ってくれるのだが、今日は出来なかったのだ。


「おい、江上は離れろ。山田さん、俺だよな?」と尾関も遼の手をぎゅっと握り、彼女の眼をじっと見て聞いた。


「ま、待て!遼の恋人は俺だっつーの!!二人とも馴れ馴れしくくっつくんじゃないよ」と朱音が堰を切ったように言って、遼と尾関の間に入った。ずっと我慢してきた反動が酔っぱらって出てきたようだ。


(カ、カオス…これってどうせ酔ってるからみんな忘れそうだから適当に…じゃだめだな…)


 ミカとユカの目が痛かった。




「では、お題を申し上げるのでこの紙に回答をお願いします。一番良いと思う答えを書いた人を選びます」


 仕方なく遼はジャッジすることにした。


「で、お題は?」


「『会社に一番必要なもの』です。3分以内に書いてください」


 三人の顔が不意に引き締まった。尾関は特に。

 遼が手帳の紙とボールペンを渡すと3人はすぐに書き込んだ。ものの1分もかからなかった。



 ミカが紙を回収して読み上げる。


『風通しの良さ』

『人材』

『経営者の強い指導力』


「ほう、面白いな…。おい、山田。どれにするんだ?」とミカは遼を見た。


 3人も遼の方を向いて目を輝かせている。

 でも遼はいつもの無表情で3つの中から迷いなく選んだ。

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