第10話 接近する月

「みっちゃんが歴史好きだなんて、見直した」


 江上が皆を武田神社を説明して回ってくれたので遼がめた。


「えへへ…惚れ直した?」と照れ隠しにいった。どうも遼はあまり誉めないから慣れていないようだ。


「ばーか、もともと惚れてねえっつーの。それより遼、おまえ尾関さんと江上、どっちを選ぶんだよ?」と朱音が聞いた。


「ミカさんの冗談だ」と遼はさらっと答えた。


(いやいや、全然そうは見えなかったぞ…くそ、せっかくの城なのに集中出来ないじゃねーか!)


 朱音はもやもやしながらもなんとかしたくて、正直に言った。


「なあ、遼。オレは…付き合ってるって知られてもかまわない。なんで内緒なんだ?すげー嫌なんだけど」


「…」


 遼は固い顔で黙った。


(恥ずかしい、って感じじゃないな。やっぱ言わないほうが良かったかも…)


「…言えるようになったら、教えろよ」


 今すぐ聞きたい気持ちを抑えて朱音は言葉を喉の奥から絞り出した。

 彼女の返事はなかった。




 武田神社の近くの甲州ほうとうで有名な店で食事をとり、昇仙峡にバスで向かった。3時間ほど各自好きに回ることになっている。ロープウェイ、1時間半のトレッキングコースから、20分の散歩コースまでいろいろ歩き方があるようだ。

 


「とうとう俺の出番だな、大学で山岳部副部長だった実力を見せてやるよ」


 目的地に到着して尾関は得意気に江上に啖呵たんかを切った。二人は無駄ににらみ合っている。


(どんな実力だよ…)


 イマイチ尾関の意図がわからなくて朱音はイラっとする。


「じゃあ、山田さん、行こうか」


「はい」


 遼は大人しく尾関に従ってバスを降りた。意図せずペアルックになった2人が歩いていく後ろ姿はまさにカップルそのものだった。



 昇仙峡は秩父山系の主峰、金峰山きんぷさんを源とする荒川の中流にある美しい渓谷で、正しくは御岳昇仙峡だ。修験道の修行の場でもあった。

 秩父多摩甲斐国立公園屈指の景勝地で国の特別名勝に指定されている。


 下流の天神森・長潭橋ながとろばしから上流の仙娥滝せんがたきまでの約5kmは、奇岩怪石を随所に楽しめる。

 尾関はさっそく仙娥滝に遼を案内した。遼が滝が好きだとバスで聞いたからだ。少し歩くと大きな2つの石でできた門をくぐる。近くでよく見たら接していない。

 尾関は歩きながら説明した。


「このでかい岩は花崗岩だ。もたれあってない2つの岩が門を作っていて面白いだろ?この先にある滝は地殻変動による断層によって生じたんだ。花崗岩の岩肌を少しずつ削りながら落下している滝は落差が30mもあるんだ。あっちの変な形の岩は輝石安山岩。俺はこう見えても地学専攻でね」


「地学ですか。とても奥が深そうですね…」と遼が目を輝かせて食いつくと、尾関は歩きながらここいらの古い地質や名産の水晶について詳しく説明を始めた。

 かなり興味深そうに尾関の話を聞く遼を、江上と朱音がジリジリしながら離れて観察している。はたから見ると全く変な人たちで、通報されても問題なさそうだった。


「あの先輩と遼さんが付き合うくらいなら、まだ澤井先輩のがましだよぅ…まあ、遼さんは結婚とかしなそうだからいいけど…」と知っている風なことを呟いたので、朱音が驚いて聞いた。


「なんでおまえが遼の結婚観を知ってるんだよ」


「まあ、澤井先輩よりは多少知ってます。でも遼さんに嫌われたくないから教えてあげません」


 朱音が柄にもなくがっかりしていると、少し気の毒に思ったのか、


「澤井先輩が結婚したくない人で良かったです、遼さんが傷つくとこ見たくないし」と言った。嫌味とかでなく、遼の為に本当にそう思っているようだった。




「山田さんって恋人いるよね?」と尾関は滝にたどり着いてすぐに振り向きながら聞いた。

 彼のバックに30メートルの滝がごうごう音を立てて落下しており水しぶきがすごい。平安の昔はこの山が修験道の場だったと尾関は説明てくれたが、最初の修験者がこの音を頼りにやってきて落差の大きいこの滝を見つけたときの驚愕きょうがくを思う。


 周りに社員がいないのを確かめてから、遼が鋭く聞いた。


「私が澤井さんとお付き合いしてるのはご存じですね。尾関さんの狙いはなんですか?私のことを好きではないことはわかります」


「おっ、直球。そういうとこも結構好きだけど」


 彼は嬉しそうにかがんで遼の顔を覗き見した。圧に負けそうになりながらも遼ははっきり言った。


「嘘。真っ直ぐに見えて、思った以上に複雑みたいですね。とにかく、あなたの狙いがなんであろうと、澤井さんを困らせたくないんです。ああ見えて繊細なので」


 遼は朱音が「嫌だ」と顔をゆがめて言ってたのを思い出しながら、お願いした。


(尾関さんが朱音のコンプレックスを刺激しているのかもしれない…みっちゃんと私が一緒にいてもあれほど嫌な顔したことないもの…)


「ふうん、澤井は山田さんの大事な人なんだ」と尾関はニヤニヤしながら聞いた。


大事な人です」


 遼の返答を聞き、彼は急に真面目な顔になって少し黙ってから、


「…山田さんはさ、会社での自分の立ち位置ってわかってる?」と言って、滝のそばの岩にタオルを敷き、座るよう誘った。


 遼は急な話の展開に言葉がすぐに出なかったが、勧められるままひんやりした岩に腰を降ろした。布越しにも感触が伝わる。


「…いえ、わかってません。た、立ち位置ですか…?」


「そう。ミカさんが最近山田さんに急接近してるのは、君を跡継ぎ候補に考えていて、鍛えてるんだと俺は思ってる。最上化成は表面は男性が代表取締役を務めているが、裏では女性しかトップになれない、そういう伝統の会社だ。でも最上家には後継者がいないから、誰かを決めないといけない。ミカさんはあの通りの人だから、抜きん出て優秀であれば、血のつながりなんて後継者に求めないだろう。もちろん山田さんは営業じゃないから、補助役とセットで考えているだろうし」


「セット…」


「そう、山田さんと誰か優秀な男子社員を抱き合わせて跡継ぎにしようと考えてるんだ。そう、会長のユカさんと旦那さんみたいに。ああ見えてユカさんは科学畑の人間だからね。目が悪くなってから現場からは早々に身を引いたけど。

 澤井も候補に入ってるだろう。もちろん俺にそんなことははっきり言わないが、察してレースに参加するよう仕向けてきた。朝に不自然に紹介したろ?」


「…」


 思わぬ話に毒気が一気に抜けた遼の手を、尾関が握った。


「君が言うとおり、俺は性格は複雑だけど目標には真っ直ぐなんだ。狙った獲物は逃がさない。表向きだけでも会社の代表になれるのなら、なんでもする。君なら一生かけてじわじわと好きになれそうだし」


 そう言って、尾関は遼の冷えた手に唇を当て、ニヤリとした。

 狙いは会社で、遼はおまけだとはっきり言うところが彼女にとっては好ましかった。そう彼女なら感じることも彼はこの短時間一緒にいただけで理解していた。

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