第4話 澱月

「バカ!なんでオレに言わないんだ、江上じゃ危ねーだろうが!!」


 遼は仕事の後、ご飯も食べずに朱音の部屋に強制的に連れてこられ、お説教を食らっていた。それも正座で。あまり申し訳なさそうでない遼の様子も朱音の怒りを倍増させていた。


「別に隠してたわけじゃない。トン子は私の友達で、朱音には関係ないから…」と至極真面目に答えているのも朱音には憎たらしく見えてくる。悪気がないだけになおさらだ。


(関係ないわけねーだろ?おまえ、俺のことなんだと思ってんだ?この前は早退したから心配で連絡してもつながらないからおまえの家で待ってたら、目が覚めるくらい綺麗にして帰ってきたし、江上なんかとこそこそしてるから聞き耳を立ててたら案の定だ…)


 関係ない、と言われて朱音はカッとなったが、活火山のマグマのように湧き上がる怒りを抑え込んで聞いた。


「で、いつ会うんだ?盗聴してるとはいえ荒事になると江上だけでは危ないから、そいつと会うときはオレも付いてく」


 朱音がそう言い切ると、遼がのけぞって歯切れ悪く遠回しに断ろうとしている。


「え…朱音…でも仕事が…」


「江上に任せるなんて気になって仕事ができないだろ。オレはおまえが…」


(遼が危険な目にあうかもと思うだけでオレの世界が崩壊しそうなくらい怖いんだよ)


「心配だから」と朱音が言うと、遼は少し迷ってから朱音に抱き着き、「ありがと。仕事忙しいのに面倒かけてごめん…」と耳元でささやいた。


(本当に仕方ねーな、こいつは…オレがどれくらい好きなのか全然わかってないし…)


 朱音は遼の重みで酷くなった足の痺れを我慢しながら、柔らかくて温かくて一番大切なものに抱き着かれていた。




「遼さん、本当にいいんですか?」


「うん、朱音にはこんな詐欺まがいの計画にのせられない…みっちゃんには本当に悪いけど」


 先日と同じく全身オフホワイトで上品にまとめた遼と江上は、万が一でも朱音に会わないようにさっさと駅に向かった。今日は出張で大阪支社にいってるはずだが、勘がいいので油断はできない。

 銀行には夕方6時の待ち合わせだ。朱音には来週だと嘘をついてある。


「遼さん、ヤバい時はすぐに踏み込みますからね。ちゃんと通信機を2個持ってますか?」


「了解、大丈夫」


 一つは彼女の小さな丸い襟のジャケットの胸ポケットにささるボールペン、もう一つは淡いベージュのヒツジ革のカバンに着いたブローチに隠しカメラが内蔵されている。映像と音声は遼の携帯がテザリングして電波に乗せて江上のパソコンに映し出されて保存されるよう設定した。


 2人は銀行からひと駅離れたカフェの半屋外スペースに座り、タブレットでその映像が見れるか最終確認している。不安そうな江上を横目に、遼はトン子を思った。彼女のことを考えたら、怖さも吹っ飛ぶ。

 復讐がいつも頭を離れないような底まで真っ黒の自分とずっと高校生から変わらぬ友達でいてくれた、明るくて優しいトン子。それだけで助けるには十分以上だ。


「さ、行くよ。みっちゃん、宜しく頼む」


「遼さん…」


「ここで大丈夫」


 遼はカツカツといい音をさせて大通りまで出、タクシーを拾った。




「お待ちしてました、尾上様」


 人気のない銀行の入口で、つるりとした顔の百田ももたがにこやかに出迎えた。

 遼はひきつりそうな顔を無理やり上品な笑顔にし、手動で彼が開けるドアから薄暗い行内に入って行った。秘書課の華に笑顔の特訓をしてもらっていなかったらこの時点でバレていたかもしれない。遼は心の中で華に深く感謝した。

 彼に案内されて1階の奥の上品で落ち着いた応接室に通され、緑のソファーに勧められるままにかけた。


「今日はノー残業デイなので、私のお入れするお茶ですいません。お口に合うと宜しいのですが…」


 夏らしい広口の茶碗には、温かいジャスミン茶が入れられていた。強い香りはあまり得意ではないが、彼が見ている手前、少し口を付けた。


「先日お預かりしました事業計画書を拝見しました。尾上様は素晴らしい経歴をお持ちですね、資金も十分にありますので当行から事業への融資が可能です」


 彼から計画書の記載の弱い点、加筆する点などの指導を10分ほど受け、彼が資料を閉じたときは緊張疲れのせいか体に力が入らなくなっていた。

 遼はほっとした振りをして、ありがとうございます、と頭を上品に下げた。


「ただ、一つの条件を呑んで頂けたらですが…なあに、簡単なことです」


 百田がそう告げて立ち上がり、蛇のようにぬたりと遼に近づいてきた。


「何でしょうか?」


 危険を感じた遼はソファーから立とうと手足を動かそうとしたが、体中から力が抜けて世界が暗転した。




「ちょっとの間だけ動けなくなる薬をお茶に入れさせてもらいました。すぐに動けるようになるので、こうさせて頂きますね」


 遼が目を覚ました時、百田は縄で椅子に縛りつけていた。身体が言うことをきかない。

 時計を見ると意識が落ちたのは数分だったようだ。


(あの少しだけ口を付けたお茶、匂いがきついのであまり感じなかったが、少し薬品臭かった…)


「も、百田さん…これはどういうことですか?」


 証拠掴みと時間稼ぎをしなければならない遼は、何もわかっていない振りをしてニタニタと遼を見つめる彼に聞いた。


「いやね、ちょっと痛めつけさせてもらおうかなと思いましてね。等価交換です。融資は私が判を押せば必ず通るから安心して下さい」


「痛めつける…嫌だと言ったら?」


 遼が聞くと、百田は目をまん丸くして驚いてから、残虐な表情を表に出した。今から痛めつけることが出来るという興奮で顔が紅潮して、赤い卵みたいになっている。


「そうですね、ちょっとじゃなくて大層痛めつけましょう。それですとやり過ぎて殺しちゃうかもしれませんが…ククク」


(やっぱり、こいつ…)


「加虐趣味ですか?」


「そう、今までも何十人か痛めつけてきました。でも妻を殺してしまってからは父に『手間をかけさせない程度の人間を選べ』と言われて我慢してましたが、もう限界でね。ちなみに私の父もサディストでしてね、母も姉も父の虐待で泣き叫びながら死にました。ああ、思い出すだけでゾクゾクする…っ、あのこと切れる瞬間っ…。私の祖父は戦争に行って合法的に人を殺しまくったときの快感が忘れられなかったんでしょうね、日本に帰ってきてからも下女下男などをバレないようたくさん殺したんです。うちは筋金入りの人殺しの家系でしてね。ああ、私はもっぱら女性しか興味がありませんが」


 快感を思い出して、興奮で下半身が大きくなっている。彼が立って演説しているので、遼の目の前にあって気持ち悪いので目を伏せる。


(くっ…変なモノ目の前に見せないでっ…)


「お父様が…今まで事件をもみ消してきたんですか?」と時間稼ぎに話を振ってみた。


「もちろんです。祖父も父もここの銀行の頭取でした。我が家には潤沢な資金がありましてね、言い伝えでは江戸時代の先祖は遠隔地から来た旅人を殺して路銀を奪い、それで金貸し業を営んで資産を築いてきたそうです。

 ふふふ、まともに会社勤めなんてしてたら搾取さくしゅされ続けるだけで、金持ちになんて一生なれない資本主義世界なんですよ、お嬢さん。

 ああ、そうだ。ここいらの警察とも病院とも昔馴染みですから心配して頂かなくても大丈夫です。君の家族には無残な姿をさらさないで済むように処分するから安心して下さい。しかし、職場で暴力を振るえるなんて…快感で天にも昇る気持ちだ…ノー残業デー最高、ニッポン万歳!!これは病みつきになりそうだな…ここでは血が出ない程度に痛めつけてから、家に連れて帰って父と一緒に楽しく切り取るとしましょうか…それも少しずつねっ!」


 恍惚の表情で百田が叫んでいる。


「ここに用事があることを友人に言ってあるので、私がいなくなれば百田さんは疑われますよ。いいのですか?」


「ふふふ、日本の優秀な警察を見くびってはいけません、尾上様。彼らは犯人は捕まえないが悪事の揉み消しはとってもとっても得意なんですよ。なんせ少なくないお小遣いが手に入りますから」と得意げな笑みを浮かべた。


(もう言質はとったから、そろそろみっちゃんが何とかしてくれないと…信用してるからっ)


 彼がたばこに火をつけ、椅子に括りつけられた遼のすぐ目の前に立って顔を覗き込んだ。


「上品ぶってるけど、おまえもお金が大好きなんだろ?そう言いなさい」


 彼はたばこを一口吸ってから、遼の顔に煙をふきかけ、手の甲にたばこの火をぐいぐいと執拗に押し付けた。タバコが曲がってクチャクチャになり中身がボロボロとこぼれ落ちた。


「…っつ!」


 じりじり焼けてピリピリする鋭い皮膚の痛みに歯を食いしばる遼を見、尾上は目が潤んでいる。手がゆっくり下半身にのびてズボンのチャックを下げようとしている。今から何が始まるのかなんとなくわかってしまい、遼はぞっとして目をつぶった。


(この変態っ…見せないでよっ)


「なんだ、声を出さないのか?ぞくぞくするな…!今度結婚するんですがね、そいつに子供を作らせから、ゆくゆくは子供と一緒になって殺すんですよ。楽しみでしょうがない…ふぅっ!!」


 遼は何を言っても彼を喜ばすだけだと思い、口も閉じた。今まで彼と彼の父親に殺された女性たちもこのような悔しい思いをさせられてきたのだろう。

 トン子には絶対にこんな目にはあって欲しくない。こいつだけはなんとかしなければ、と思ったその時、今まで聞いたことのない金属音とともに分厚いドアがすごい勢いで開いた。勢いで蝶番が外れかけてドアがぶらぶら斜めっている。


「お、おい、開けられるわけがない。鍵かかってただろ…」と尾上が動揺していると、緑と黒のスイカのような柄の目だしニット帽の大男がゆっくり部屋に入ってきた。こじんまりとした応接室が一気に狭く感じる。

 彼はゆったりとした夏ニットを着ているが、筋肉が発達しているのが見ただけでわかる。筋肉好きの遼はこんなときにも筋肉の動きに目が釘付けになった。


「だ、誰だっ」


「正義のミカタとはおこがましいが、とりあえずお前ほど悪い奴じゃない」


 ぼそりと言った彼は、いきなり百田の顔を巨大な手の平でバコンと張り飛ばした。彼の小さくはない身体が空中を舞って、壁に大きい肉がぶつかる音を立てた。

 百田だった肉の塊はぴくぴく痙攣している。当分は目を覚ますことは出来なさそうだった。


 遼がその様子を驚きながら見ていると、その大男がぐるりとこっちを向いて、大きな手で縄を外し、床に優しく立たせた。見た目より繊細な指をしている。


「ひゃっ…」


「大丈夫か?立てるか?俺につかまっていいから」


 薬の効果はだいぶん切れていたので、覚束ないが立つことは出来そうだった。


「は、はい…ありがとうございます、あの…どなた様ですか?」


「みっちゃんに賭けで負けて来た」


 そう言って、彼は壁にぶつかって気を失った百田を椅子に縄できつく頑丈に括り付けた。そして、彼が持ってきたリュックから出した大量のプリントされた写真を床にばらまき、先程過去の殺人を告白した映像と音声データと紙切れを机に置いた。そこには、


『この百田信也事件を公にしない場合、音声データを各国マスコミ各社に大量に送りつけますので宜しくご対応下さい』とある。江上が用意したのだろう。


「さ、出るぞ。今は銀行の監視カメラが動いていない。なるべく目立たないようカップルっぽく、自然にな」


「し、自然って…」


「彼氏といるときみたいにしていればいい」


「うっ…」


 急に朱音を騙してここに来たことを思い出し、ぞっとして足に力が入らなくなった。


(もう終わったなんて言ったらめっちゃ怒るだろうな…怖っ…)

 

 遼の顔色が一気に悪くなったのを見て、大男はカカカとマスクの中で笑った。


「どうした、さっきまであの変態の前でもまるで怖がってなかったくせに。彼氏の方が怖いのか?」と彼は、銀行の裏口を出る瞬間にマスクを外し、遼の腰に太い腕を回して支えるようにして歩いた。


「みっちゃんを信じてたので怖くなかったです」


「ほお、見かけよりずいぶん強いんだな」


 マスクを脱いだ彼は金色の短髪で、耳鼻口などパーツは大きく、優しい目をしていた。


「大事な友達の為ならこれくらいします。それに、あんな男をこの世にのさばらせられませんから…本当に助かりました。ありがとうございます、山田遼といいます」と遼は改めて深く礼をした。彼はサダトと名乗り、またカカカと笑った。




「遼さん!」


 カフェの屋外スペースで待っていた江上は、目立つサダトを雑踏の中から見つけて駆け寄り、すぐに遼の手を取った。右手の甲のタバコを押し付けられた部分が赤く皮がむけているのを見て泣きそうな顔になり、


「大丈夫ですか?痛いですよね、火傷の薬買ってくるので、ここで待ってて下さい」とカフェから見えている薬局に飛んでいった。


「みっちゃん、大丈夫だから…ああ、行っちゃった…」


「疲れたろ?座ってな。俺も腹減ったから何か買ってくる。適当でいいか?」と遼を気遣ってサダトが椅子を引いた。


「はい、お願いします」


 遼は言われるがまま椅子に腰を下ろした。今度はホッとして身体中の力が抜けた。

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