第10話 兄弟月

 孝は降車駅で兄の忠と偶然会った。彼が仕事をし始めてからはつだ。


「お、兄ちゃん、お帰り」と言うのと「孝、今日も遅かったんだな、お疲れ」と言うのが同時だった。忠は打ち合わせがあったのかしゃんとしたスーツを着用しており、孝は美容師らしいモノトーンで春を感じさせる軽めの服装をしていた。


 孝と忠の二人は年子だが、見た目も性格も全く違っており、年齢が近いせいか二人でどこかに行ったりしたことはなかった。でもその夜は違った。


「なあ、孝。ちょっと食べてかないか?」と忠が誘った。


 もちろん孝は「いいよ」と答えたが、絶対何か話があるんだと確信していた。それも九州に転勤した姉の事だと。




「実は…」


 駅前の多国籍料理屋の席に付くなり忠は話し始めた。


「ちょっと待って、先に注文しよう」とはやる兄をたしなめる。長男でしっかりしてる割にはこういうところがある兄だ。


「おう、すまない…」と忠は恥ずかしそうに言った。


「ビール2つとスジ肉入りチジミ、あとオムソバ」と店員を呼んで適当に注文した。


「あいよ」


 元気な店員の声が店内に響く。


「慣れてるな」と忠が聞くと、


「ああ、ねえちゃんとたまに来てたから」と孝が答える。


「そっか…」と忠は暗い顔になった。


「なんだよ?」


「別に…」


「どうせねえちゃんのことだろ?」とズバリ孝は聞いた。もう面倒だな、と思ってるのがありありだった。


「な、何でわかるんだよ!」


 忠は真っ赤になって抗議した。


「兄ちゃんはさ…自分がすげーわかりやすいってわかってないから」と孝が苦く笑う。


「で、どうしたの?」


「実は…俺さ、ねえちゃんのことが好きなんだ」


「ふうん。で?」


「で、って…驚かないのかよ?」


 驚くわけがない。見てたらわかるし、血も繋がっていないから異常なことではないのだ。下の双子はもしかしたら気が付いてないかもだけど。


ね。で?」


 俺もだし、とは余計に話が面倒になるので孝は言わなかった。


「3年前にねぇちゃんにいた彼氏、覚えてるか?」


「うん、この前も会社で見た」


「そっか…あいつがさ、この前家に来て」


「え?」


 孝は自分が大きな声が出てしまったことにも気が付かなかった。


(あの男、家に?もうそういう仲なのか…聞いてないよ)


「おお、やっと驚いたな」と忠はなぜか勝ち誇ったように言った。


「で?」


 せかすように孝は続きを催促した。


「ねぇちゃんに相応ふさわしいって認めることにした」


 諦めたように忠は言ったので、孝は驚いた。遼の男を追い払うのに忠を無意識で頼りにしていた自分にも気が付いてしまい、Wでショックだったが、なんとか質問した。


「な、なんで急に?」


 忠は勢いをつけるためにビールを少し飲んでから、


「俺さ、3年前にねえちゃんとあいつを別れさせたんだ。嫉妬して嘘のメールを二人に送った」と告白した。


「へ、へぇ…それは結構引くね」


 孝の頬が引きつった。


(ちょっと酷い話だな。正義漢の忠兄ちゃんがそんなことするなんてかなり意外だけど、それくらいねえちゃんを好きなんだ…まあ、俺ならチャンスがあったらさらっとしそう)


「だろ?俺も自分でかなり引いた」と少し自嘲気味に忠が言った。


「で?」


「別れた後あんまりにも姉ちゃんが落ち込んでたからずっと後悔してたんだけど…」


「ど?」


「来たんだ、やつが家に。だから3年越しで謝った」


「え?兄ちゃん自分から言ったの?」


 忠が頷いてまたビールを飲んだ。


(すげーな…俺なら直接なんて絶対に言えない…そういうとこが兄ちゃんの偉いとこだよ)


「でもあいつ、ねえちゃんを傷つけたくないのかその偽メールのこと言わないんだよ…自分が悪者のままでねえちゃんの側にいる。それって今でもすごくねえちゃんのこと好きってことだろ…?だから認めた。あいつなら盗られても仕方ないなって。ねえちゃんもあいつのこと好きみたいだし…」


「そっか…」


(『盗られる』って、ねえちゃんに幸せになって欲しいとか誕生日に言ってたくせに…。結局俺たちはやっぱりねえちゃんが側にいることを望んでるんだよな…)


 可哀想な朱音の様子を思い出す。当分は好きだと遼に言えそうにないだろう。


「あいつ可哀想にな…ニブそうだし」と孝が言うが、頭の中では別だ。


(あいつ、ねえちゃんがまだ自分のこと好きだってこと、全然わかってないだろうな…。悔しいから両想いだなんて絶対に教えてやらねー!)


「どこがだよ!お前は優しいな」


(本当は兄ちゃんの方が優しいって…)


「まあね。あーあ、二人が目の前でまとまるのもムカつくし、俺も彼女作ろっと」


 孝が言うと、忠も深く頷いた。


「俺も。でもねえちゃんに似た女かあ、それも複雑だし、正反対がいいな」


「そだね」と孝は言いながらも、でも俺は多分…似た人を探しちゃいそうだな、とぼんやり考えていた。


「このスジ肉入りチジミいけるな」


「でしょ?姉ちゃんも気に入ってた。今度は家族5人で来ようよ」


「6人かもな」とあっさり忠が言うので孝はびびった。


(え…俺はねえちゃんの彼氏と一緒に来るなんて絶対嫌だけど…そんなのわざと風邪ひいてでもなんなら足を折ってでも来ないし)


「やっぱ兄ちゃんの方が優しいよ」


「は?なわけねーだろ、孝は俺とねえちゃんの自慢の優しい弟だからな」


(もう…そういう直球、ねえちゃんといい二人して勘弁してよ。俺めっちゃ意地悪だし、本当はねえちゃんが恋人も作らずにずっとあの家にいて欲しいなんて願ってる…かといって、ねえちゃんを恋人にする勇気もないんだ)


「え、おまえ泣いてるの?俺に褒められたから?マジか、意外と純情なんだな」と忠が嬉しそうに笑って背中を撫でた。


(兄ちゃんのバカ…鈍すぎ…)


 孝は袖で涙を拭ってからビールの残りを飲み干した。

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