第10話 愛逢月

 梅雨も終わり7月、遼の調子もすっかり良くなり、二人の付き合いは順調に進んでいた。 


「今夜、どっちで会う?」と会社の食堂で生姜焼き定食を食べながら朱音が聞く。出張や予定がない日は二人で一緒に過ごすことが多い。


「どっちがいい?」


 今日の下着は上下色が揃っている事を思い出しながら、スズキのムニエル定食を食べる遼が聞き返した。


「じゃあ、オレんとこ」


 どっちがいい?と遼が聞くときは、彼女が彼の家に来たい時だった。その理由がまさか下着の色だとは思ってもみない彼だ。


「了解。今日は早く帰れそうだから何か作っておく」


 遼は朱音の家にあるはずの野菜を頭に思い描く。キャベツがほぼまるっと1つと玉ネギ…揚げもあった。ロールキャベツに揚げと豆腐とワカメのみそ汁、あとはほうれん草と干しエビでも買っておひたしにしようかなと考える。


「オレも早く帰る」とうきうきを隠さず朱音が言う。


「無理しないで」


 あまり早いとご飯が間に合わないし、と遼は考えていた。

 


 朱音は仕事を早めに終わらせて自分の部屋に戻る。まだ遼は来ていなかったが、間もなくだろう。お米をかして炊飯ボタンを押す。そこにピンポンと呼び鈴が鳴った。遼だ。


「おかえり」「ただいま」


 それだけで世界は幸せで満ちた。



「なー、あいつどうにかならないの?」


 朱音が部屋で料理を一緒に作りながらいつもと同じように聞いた。


「あいつって、また江上君の事?」とまた同じ返事をする。


「…江上あいつしかいない」


 朱音は江上の話になると不機嫌になる。

 

「またヤキモチ?」と言いながら、彼の包丁を持つ前腕をゆっくり触った。


「違う、ムカつくだけ」


 彼は江上が今日も会社で遼にまとわりついてたのを思い出し、少し強引に遼にキスした。


「んっ…、ご飯食べてからっ…」と彼女は空腹なので一応の抵抗を試みたが、すでにその気になっていった。


「今、したい」


 彼がわかっていて意地悪そうに言う。


「もう…」


 遼は手探りでコンロの火を止めた。

 それきり朱音は遼に夢中になって江上のことなど忘れてしまった。遼が江上を妹のように可愛がっている事を知っているのだ。




「美味しい。これは忠に作り方を教えてあげないと…」


 遼は二人で作ったロールキャベツを一口食べて嬉しそうに言った。今回はチーズを入れてみた。コクが増して美味しい。


「お、忠君は料理勉強中?」


「うん、結婚するんだって」


 朱音はワカメと揚げと豆腐の味噌汁を詰まらせて、咳き込んだ。


「げほっ、ぐふっ…」


「どうしたの、大丈夫?」


 遼がタオルを持って来て朱音の口をとんとんと抑えるように拭いた。


「やだ、子供みたい…」


 遼は昔小さな双子の世話をしていたことを思い出して、笑いながらタオルの綺麗な部分で服を拭いた後、机も拭いた。その間も朱音はずっとむせていた。変なとこにわかめが入っている。


(おいおい、これってオレを試してる…わけではないな。でも忠君に先を越されるのは姉としてどうなんだろう…?これは男としてはっきり聞いておかないと…)


「なあ、遼はどう思ってるんだ?」


 遼は冷たい水を彼の前に置きながら、


「結婚?もちろんしてくれると嬉しいよ。安心するし、出来たら早くして欲しいかな」と何のてらいもなく言った。


…?!』


(まじか…遼と結婚が全然結びつかなかった。っていうか、まだちゃんと付き合って1か月しか経ってない…でも九州の夜から計算するともう4か月…いや、やっぱ早いよな…)


 朱音は気が動転して、結婚を早くしたいと取り違えていた。もちろんだが、遼は早く結婚して欲しい、という意味で言っている。


「どうしたの?暖かいうちに食べよう」


「あ、ああ…」

 

 遼の顔を盗み見ると通常運転である。


(そっか、遼は結婚したいことを別に隠してないんだ…そうだよな、別に正直に言うのは悪い事じゃない。付き合ってたらなおさらだ。もういい年だし、オレが意識しなさ過ぎだった。もし他の男が結婚をちらつかせて寄って来たら心配だな…。そうだ、会社で付き合いをオープンにしたら変なやつが寄って来ないということも…でもそれだとオレらが結婚前提の付き合い、ってことになるし…)


 遼はいろいろ思い悩んでいる朱音を見て、なぜ忠の結婚でこんな反応をするのか、不思議で仕方なかった。




「焦ってるんじゃない?彼女の弟に先を越される男のプライド、みたいなぁー」とトン子がのんびり言う。


 高校からの友達、トン子とマキタ、遼の3人で駅前のオープンカフェに集まっていた。今日は映画を見に行く約束だ。


「いやいや、エリートなんでしょ?結婚を匂わされた、どうしようって思ってるかもよ。遼はその人と結婚したいの?」とマキタがいい所を突いた。


「うーん、私は結婚はないかな…とりあえず弟たちが片付かないと」


「え?弟ってまだ22だよねぇ…特にあの双子ちゃんはまだまだでしょう。二人でいい余生を過ごすタイプじゃない?映画の『間宮兄弟』みたいに」と一人っ子のトン子は永遠の兄弟愛に憧れる目をして言った。


「お、双子ちゃんってうちの弟とおない年だったね。今日高校の時の友達に会うって言ったら、私の弟が顔出すって言ってた。お、噂をすれば。おい、ここだよ!」とマキタが手を振った。


 その先には、なんと会社で見慣れた江上がいた。



「マジでびっくりした。みっちゃんが遼と同じ会社にいるとはね!」とマキタも姉のくせに驚いていた。


「ねーちゃん言ってないんだもんな。最初に会社で遼さんに会った時にわかってくれるかな、って期待したけど全然でがっかりしたし」と口を尖らせて、でも遼を驚かすことが出来て嬉しそうに江上は言った。


(爽やかだ。白いTシャツにジーンズなのに、十分アイドルっぽいのはなぜだろう?しかし最初から誰かに似ていて親近感を感じていたが、まさかマキタの弟だったとは…言われてみると似てる…)


 遼がなるほどと江上とマキタを見比べていると、


「僕ね、遼さんに憧れてプログラムの勉強を始めたんだよ。昔うちに来てくれた時に僕のパソコンを触りながら少し教えてくれて、持ってたコンピュータ言語の本を何冊かくれたの、覚えてない?」と江上が口を尖らせて聞いた。そういえばなんとなく覚えていた。


(ということは、私がRYOであることや、最上化成にいるって知ったのは偶然じゃない、ってことか…やっと腑に落ちた)


「いや、マキタ=江上、ってのが結びつかなくて…みっちゃんに会ったのは私が高校生の時だったし…覚えてなくてごめん」と謝った。


「仕方ないよ、うち両親離婚して母親の名字の江上に変わったもんね。私のせいだけど」とマキタが江上以上に男らしくニカッと笑った。


 マキタの父は娘がバイなのを許せず、ゲイでもバイでもなんでも楽しければオーライな妻、つまりはマキタの母と6年前にあっさり離婚してしまった。じゃない娘とそれを許す家族でいることに我慢が出来なかったみたい、とマキタが昔言っていたのを思い出す。


「遼さんと週末も会えるなんて最高!な澤井先輩もいないし」と江上は遼の白の長袖シャツの腕にぎゅっとしがみついた。ここなら朱音に怒られないからと江上が好き勝手にベタベタしてると、


「えー、みっちゃんと遼は本当に仲良しなんだ、嬉しいなぁ」とマキタは喜んでいる。


 彼女は自分のせいで弟から父親を取り上げてしまい、弟が引き込もりぎみになったことを申し訳なく思っていると以前ぽつりと言っていた。その贖罪しょくざいの気持ちが伝わってくる。


「でも遼の彼氏さぁ、同じ会社なのにこんなべたべたして怒ってこないの?」とトン子が至極当然の事を聞いた。


「あれ、最近は怒ってこないね?そういえばどうしたんだろ?調子狂うな…もう別れた?」と酷いことを江上はさらっと聞いた。


「いや、別れてない。10日くらい前にさっき言ってた弟の結婚の話をしてから変なの。会ってないけど、もうすぐ落ち着くと思う」と遼は江上に答える。


「ふーん」


 江上がニヤッと口の端を上げたのに気が付いたのは目ざといトン子だけだった。

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