第11話 秋涼の月

「なあ、どう思う?」と何度目かの質問を堀にした。飲み屋は平日なのでそれほど混んでいない。


(うへぇ、また同じ事を聞いてきた…朱音先輩壊れてるよぅ…)


 堀が助けを求めるように山本を見た。彼は朱音が本当に聞いてるのか試してみたくなって、


「結婚なんてオレはまだまだしたくない、したいなら他の男と付き合えばいい、って正直にばしっと言ってみたらどうですか」と山本は聞いてみた。


(まあ、あわよくばと思う気持ちが少しだけだがあるのも否めないな)


 朱音は仕事は出来るくせに、こと恋愛となると全然ダメだということがこの何か月かでわかった。晩熟おくての山本でさえイラッとするくらいだ。

 何度もお膳立てしたのに、結局付き合うこともなく、でも何か関係はあったらしいことはわかっていた。やっと正式に付き合えたのはまだ1ヶ月前くらいだ。


(山田さん…本当に澤井先輩でいいのかな…)という疑問がふつふつ湧いてくる。


「バカっ!山本、バカやのう!そんなこと言ったら死ぬほど素直なあいつは間違いなく真に受けるだろ?そして他の男と結婚してオレは捨てられ…うっ」


 朱音はそう言って机に突っ伏した。


(それほど他の男に持ってかれるのが辛いなら結婚でもなんでもしたらいいのに…)


 山本はうんざりして、堀にこっそり目配せした。朱音が目を離しているうちに、堀を先に帰らせた。自分も隙を見て退散しよう…としたら朱音が山本のズボンをつかんでまた聞いた。


「おい、どう思う?」


「もう…仕方ないですね。山田さんを呼びますか?」


「会いたい…けど今はダメだ。オレ何言うかわかんない…」


 とうとう朱音は酔いつぶれて完全に寝てしまった。頬を軽く叩いても全く反応がない。

 山本は朱音の携帯で遼を呼び出した。朱音の住まいがわからなかったのだ。

 



「山本さん、迷惑かけてごめんなさい。明日も仕事なのに…」


 朱音を背負った山本と遼が並んで大通りに向かう。タクシーを拾うつもりだった。


「いえ…山田さんに会えたから、ラッキーなくらいです」と遼に淡い恋心を抱いている山本は正直に答えた。


「上手いこと言う。でもこんなに酔うなんて…最近朱音変だよね?」


「そ…」


 山本は一瞬『そうなんです、なんか結婚がどうこう言ってましたよ』と言おうとしたが止めた。


(いや、勝手に言ったら絶対だめでしょ。先輩の本意を聞いてない…もしかしたら結婚しない人かもしれないし)


「そうですね、ミカさんに今日も注意されてましたし」


(俺って…優し過ぎだろ…しかし、風呂上がりの山田さん、可愛いな。こんなの毎日見れるなら、オレならすぐに結婚しようって言っちゃうけど…)


 そうこう言ってるうちにタクシーが来た。


「そっか、仕事場でもみんなに迷惑かけてるんだ…放っておけないし、一度ちゃんと聞いてみる。もしかしたら私が原因かもしれない」


(山田先輩が聞いたら…朱音さん決断できるんだろうか?結婚したい女性としたくない男性が付き合うメリットってないし…)


「いや、仕事の事みたいですよ。だから、山田先輩が心配しなくても大丈夫ですっ。あ、タクシー来ました。重いし俺も一緒に乗っていきます」


「山本君はここで帰って。明日も仕事だし」


「え…山田さんだって…」


彼女だから、ね」


?って…先輩が結婚する気がないのを知って別れる気なのか?え?先輩…これってピンチじゃないすか…寝てる場合じゃないっすよ)


 山本はあらゆる意味でドキドキしながらも、二人が乗ったタクシーを見送った。




「さ、朱音、着いたよ。歩いて…」


 タクシーにアパートの真ん前で降ろしてもらい、歩こうとしたが重すぎて運べない。朱音は筋肉質で重たいし、遼は人一倍非力なのだ。


「ねえ、少しだけ起きて…」と声をかけたが、全く反応がないので、諦めて歩道の縁石に二人で座り込んだ。朱音はだらりと崩れ、遼の膝で寝始めた。


「仕方ない、起きるまで待とうか…」


 遼はぼんやり人の流れを眺めた。周りはざわざわしてるが心がしんとする。膝の上の朱音の頭がたまに動くと生きてるなと安心した。


(こんな景色をこんな風に見る日が来るとはね…)


 夜に出歩くことが格段に増えた。朱音と再会してからだ。

 上をふと見ると地上は暑いのに、涼しそうな顔をした月がビルの隙間から彼らを覗き見ている。なんでもお見通しだよ、と言ってる気がした。



 しばらくして朱音が薄く眼を明けた。


「大丈夫?」


「りょ、う…?」


「迎えに来たけど、重くて運べない。少しだけ歩いてくれる?」


「遼…オレを捨てないで…ずっとオレの手を離さないで…」


 朱音が遼の膝に顔をうずめて彼女のウエストに抱き着いた。家出した双子の弟を見つけた時にこんなんだった。彼らが小学生の頃を思い出してほっこりし、遼は思わず笑ってしまった。


「バカね…柄にもなく酔っぱらっちゃって」


「お願い、捨てない、って言って」


 酔っ払いに言ってもな…と思いつつ、一応真剣な振りをして、「捨てない」と彼女は言った。


「…うそだ」


 朱音が膝の上で呟いたが、遼には聞き取れなかった。




 次の朝、遼と江上が山本と堀とで食堂で定食を食べていると、朱音が恥ずかしそうに遼の隣に座った。

 江上と堀は趣味のゲームで話が合うようで、その日はオンラインゲームの話で盛り上がっていた。それにしてもいろんなゲームがあるものだ、と山本は未知の世界の話を興味深そうに聞いている。


「…昨夜は悪かった」とこそりと遼に謝ってから、チキンカツ定食に手を付けた。


「いいよ」と食べながら遼が返事をすると、朱音は何か言いたげな風情を見せたが、食欲がなさそうにまた食べ始めた。


「朱音、食べ終わったらコーヒーでも飲みに外に出る?」と無表情で遼が言ったので、4人がびしりと固まった。特に朱音の顔色が悪い。


(もしや…これは別れのフラグ?)


 彼女がそんなことを会社で言うのは初めてだった。江上だけが少し顔をほころばせた。




 近所のコンビニでコーヒーを持って二人は向かい合った。


「朱音さ、最近…」と遼が言いかけると、


「まてまて、ちょっと、心の準備が…」と朱音が今にも逃げ出しそうなそぶりを見せた。


「何言ってるの、ちゃんと聞いて。私には関係ないって思ってるかもしれないけど…」


 みるみる朱音の顔が赤くなった。


「いや、関係ないなんて思ってない。ちゃんと考えてる。考えてるから、もう少しだけ待って欲しいんだ」


「待つ?待てないよ、実際周りに迷惑かけてる」


「迷惑…」


(確かに、仕事に支障が出てるし、山本たちに迷惑かけた。遼にも…)


「私が邪魔なら少し距離をとろうか?落ち着くまで…」


 遼の言葉を聞いて朱音の顔色が変わった。


(距離って…体のいい別れの言葉じゃねーか…そんな簡単にオレの手を離そうとするなんて…あんまりだ)


「オレを捨てるのかよ?」


「捨てるなんて言ってない。落ち着いて…」

 

 あまりに話が通じないので遼が子供を諭すように言う。

 周りの客がクール美女とマッチョ男の別れ話が始まったと成り行きに耳を傾けている。

 朱音はその遼の軽い言い方にショックを受けて思わず大声で、


「落ち着いていられねーよ!なんでおまえはそんな風でいられるんだ?オレのこと好きじゃないのかよ!」と食ってかかっていた。


(ああ、なんでこんな情けないことオレ言ってんだろう…これってば遼のセリフじゃねーか…)


「ごめんなさい、連れ出して悪かった」


 遼は無表情でコーヒーを飲み干し、紙コップをぎゅっと握りつぶした。


えっ…)


 朱音の肝が一瞬で冷えてぞっとしてる間に、遼は一人でさっさとコンビニを出て行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る