第4話 風待月
「山田先輩って澤井先輩の事好きなんでしょ?でも澤井先輩かぁ…ちょっと違うんだよなー」
食堂で魚定食のキスの天ぷらを二人で食べながら、目をくりくりさせて江上は遼に遠慮なく言った。
EMAとばれてからというもの、2人は仕事中以外は女友達のようだ。
「どういうこと?」と遼が江上に目を向けた。
「だって、澤井先輩っていつも周りの事ばっか気にしてて、自分がないって言うか、さっきもそうだけどはっきりしないっていうか…山田先輩の静かな強烈さとは全く反対だし」
「似合わないかな?」と遼は少し心配そうに首を傾げて江上に尋ねる。
(私では朱音に釣り合わないって周りは思うんだろうな…)
「いや、そんなことないですが…僕の方が趣味が合うでしょ?僕と付き合ったら毎日楽しいですよ」と冗談ぽく言った。
遼は江上と付き合うのをイメージしてみたが、全く想像出来なかった。友達なら全然違和感ない、と正直に言おうとしたら、
「おいおい、江上は本当に図々しいな。大体、付き合うのに趣味なんて合わなくてもいいんだよ、知り合ってからの時間と相性が大事…」と来たばかりの朱音が江上に文句を言いながら、遼の向かいに座った。その隣には山本と堀がニヤニヤしながら並んで座った。
「えー、僕だって…むっぐ」
江上がネット世界での古い知り合いだったと言いそうで、遼がすぐにお惣菜を口に入れた。その様子は燕の母親が子供の口に食べ物を優しく突っ込んでいるようで、山本と堀は笑ってしまった。
「ほら、このほうれん草美味しいわよ、たくさん食べなさい。大きくなれるから」と言う遼に対して、
「いや、僕はもう第二次性徴が終わってるので背は伸びませんが」と真顔で食べながら言ったので、山本と堀がお茶を吹きそうになった。朱音は苦々しい表情をしている。
「なんか、山田さんと江上君って姉弟みたいっスね」と堀が言うと、山本が羨ましそうに、うんうんと頷いた。
(弟…忠や孝たちとは全然違うんだよなぁ…あぁ、そうか)
「弟…っていうよりは、妹みたいな感じかな」と遼がリアルに答えると、
「やったー、妹の地位ゲット!」「へへっ、おまえ妹だってよ」と江上と朱音二人が同時に嬉しそうに言った。二人は少し
「お姉ちゃーん、この人意地悪だよー」と江上が遼の腕にしがみついたので、朱音は無言で立ち上がって二人の間に割り込んで椅子を入れようとする。
「まあまあ、妹だしそんな怒らなくても…」「先輩、大人げないスよ」
山本と堀が朱音を
周りがちらちら見ていたが、こういうのに最近慣れてきた遼はもくもくと今日のキスの天ぷらに均等に抹茶塩をかけて口にした。
キスは旬だし衣がサクサクでとても美味しい。忠たちに食べさせたいから、週末の夕食はこれにしようと考えていた。
「むむぅ?こ、これは…」
遼は目の前に用意されたどんぶりをみて
(メールで親子丼と聞いていたのだが…)
気分は親子丼で帰宅したのだが、目の前に出された丼には黄色
「何かっての?親子丼の卵なし」と忠が普通に言ったので、遼は笑いをこらえるのに必死だった。
どんぶりの中にはキャベツの千切りの上に買ってきた焼き鳥が所狭しと並べてあった。汁ものもインスタントだが、麩とワカメの赤だしの味噌汁がちゃんと用意されていた。
「焼きたてで香ばしくて美味しい。でもこれって、焼き鳥丼だね」と遼が口にしてから感想を言うと、
「そっか、何か違うと思った」と納得したように忠が笑った。二人でこうやって夜ご飯を家で食べるのは久しぶりだった。
「ちゃんと作れるって知って安心した。忠のぎゅっと握ったおにぎりは最高に美味しいしね」
忠はおにぎりが得意だ。
今の建築設計の職場では昼ご飯を食べに出る時間もないらしく、いつも冷蔵庫にある佃煮など何かしら入れて握ってから会社に行く。もう3年になるだろうか。
「おにぎりでは栄養が偏るからな、少しづつ料理を覚えたいしまた教えてよ」
「…忠、あんた成長しちゃって」と遼が涙ぐむのを見て忠が慌てて言った。
「いや、こんなん普通だって。俺らのお母さんもそうだったけど、夫婦で働くのが普通の世の中だからな」
「じゃあ週末にキスの天ぷら作るから教えてあげる。…ん…夫婦?あんたごはんなんて作るくらいなら買ってくるって前に言ってたのに…もしかして彼女できたの?」
あまりの忠の変心にさすがの遼もピンと来たようだった。忠の顔が一気に赤くなった。
「…実は、そうなんだ。結婚も考えてる」
遼は眉間を小さいハンマーで叩かれたようなショックを受けた。口では弟の結婚資金、なんて言いながら、実際は忠と結婚が全く結びついていなかったのだ。
彼女は最新の預金残高を思い出して、金額的には大丈夫だと確認してから、
「え、誰?私の知ってる人なの?」と動揺を隠しながら聞くと、
「以前話はしてたと思うけど、職場の取引先の山下工務店の跡継ぎ娘。建築士の資格も持ってて、営業・設計で働いてる。2つ年上。今度連れてくるよ」と恥ずかしそうに言った。
(跡継ぎ娘…?ってことは入婿さんになるってことかしら…どうしよう、いいのかな、私では判断できないよ…)
忠はそんな遼の困惑をすぐに察知した。
「大丈夫だよ、俺が長男だ。彼女は一人娘だけど俺は結婚しても姓は変えない。ねえちゃんは決められなくて困るだろうって思ってた…そこはちゃんと彼女に言うから、安心して」
「忠…おめでとう…でも、先方はそれでいいの…?お婿に入って欲しいんじゃないかな?」
(両親が生きていたら…二人とも限りなく軽かったし、別に婿でいいんじゃない、とか絶対言いそう!だけど…)
個人的には苗字は記号なのでどっちでもいいのだが、忠の亡くなった両親や山田家の事を思うと勝手なことは言えなかった。
遼はこの一大事に忠の親代わりが
そして、これから何度もこんな思いをするのだと思うと
二人でご飯を食べていると、遼の携帯が振動した。
『話したいことがある。今夜会えないか?』
朱音からだった。遼が困った顔をしていると、
「どうしたの、変な顔して。またあいつ?」と嫌そうに忠が聞いた。相変わらずのシスコンぶりだ。
「うん…今夜会いたいって。最近変なんだ、言いたいことを我慢してる感じで」
「付き合ってるなら言えばいいのにな」と不思議そうに遼に言った。
「私たち付き合ってないよ?」
当然のように答えた遼に忠は顔色を変えて怒り始めた。もちろん朱音に対しての怒りだ。
「マジか…あいつ、付き合ってないくせにねえちゃんにちょっかいかけてやがるのかよ!!貸せ、俺が電話してやる」
「忠、何言ってるの、朱音がいい人だって知ってるでしょ?」と呆れた遼が携帯を自分の背中に隠した。
「知ってる。だから余計におかしいだろ?付き合ってないのに普通いい人は女性の家に泊まったりしないんだよ!」
「…私が誘ったんだけど」
遼がさらっと言ったら、忠が一瞬固まって、聞いたことない大声で、
「ねえちゃんのバカ!そんなのダメに決まってんだろ」と遼を昔の映画やドラマに出てくる父親のように怒鳴った。
『今夜はもう遅いので、後日』と朱音にメールを送らせてから、忠が彼なりの『正しい恋愛』というものを順を追って説明した。
「なるほど…じゃあ、この場合は私が朱音で不誠実に遊んでる、弄んでるってことになるのね?」
「うーん、まあねえちゃんは特殊だからわかんないだろうけど、一般的に付き合ってから手順を踏んでするもんだ。前回はちゃんと澤井さんが付き合いを申し込んでから、デートして、キスして、で…って感じだったろ?」
遼は思い返すと、その通りだった。彼女が驚いていると、
「あー、それ普通だから。ねえちゃんていっぱい本を読んでるくせにそんなことも知らないんだ…初めてねえちゃんにものを教えたよ」と呆れ顔をした。
「で、私はどうしたらいいのかな?」
「澤井さんは真面目だから付き合ってるかわからず困ってるかも。だから…そうだな…ねえちゃんから好きって言うのもアレだし…黙って彼の言いたいことを聞いてやったら?」
「…」
(そういえば思い当たる節が…)
「何、変な事もう言ったの?」
遼の表情を見て、忠が勘を働かせた。
「うん、九州で部屋に泊まったことを気に病んでたから、『気にしないで忘れていい、私が誘ったんだから』って言ってあげた。あと、後輩に付き合ってるのか聞かれたから『私たちは付き合ってない』って彼の前で言った。朱音が負担に思わずに仕事に打ち込めるかなと思って…」
忠は遼の話で呆然としてしまい、しばらくじっとしていた。彼の結婚の相談がいつの間にか姉の恋愛相談にすり替わっている事にも気が付いていなかった。
(澤井さん可哀想に…オレならそんなこと言われて立ち直れないかも。それでも誘うってことは、やっぱりねえちゃんのこと好きなんだろうな…)
忠は風呂に入りながら考えた。二人で会ったら、ずれまくった遼が朱音に気を使ってまた変な事を言いそうだ。
(仕方ない…)
忠は遼に3人で会うことを提案した。ヘンな事を言わないように遼を見張って、付き合えるよう誘導するのだ。これ以上朱音を傷付けるわけにはいかなかった。
「えっと、忠君も来てくれたんだ」と嬉しそうな遼を探るように朱音が見た。遼の隣にはスーツ姿の忠がどんと座っている。
場所はレノンというイタリアンレストランで待ち合わせをした。
(えっ…ねえちゃん俺の事言ってないの?これって、お付き合いをお断りする親みたいなポジションだと思われてない?)
忠は密かに背中に汗をかきながら、
「今日はたまたま近くで打ち合わせがあったので…すいません、邪魔して」と苦しい嘘で敵意がないことを見せたが、今までが今までのせいか、警戒しているのはありありだった。
「じゃあ、適当に注文するよ。嫌いなものはない?」と忠に聞いた。遼は二人を見比べてやたら嬉しそうににこにこしてる。
「はい、大丈夫です」と忠が恐縮して答えた。
(うーん、澤井さん大変だな。やっぱ俺ではねえちゃんは無理だわ)
食べ物をあらかた片付けて、遼が思い出したように切り出した。忠と朱音が一緒にご飯を食べているこの状況を喜びすぎて、目的をすっかり忘れていた。
「で、朱音の話って何?」
「う…」と朱音は一瞬忠を見たが、家族の前で言う決意をしたようだ。
「オレ……彼女いないんだ。遼は彼氏はいるのか?」
忠は机からひじをずり落として持っていた水をこぼしそうになった。
(なっ、なんでそんなわかりきったこと…もっとすっ飛ばして付き合って欲しいって言えばいいのに…)
案の定、「いない」と遼が手短に答えた。そこで会話が切れてしまい、忠は自分がいるせいで緊張しているのかと思って焦って言った。
「へ、へぇ、澤井さんはモテそうなのに。意外だ」
忠が遠回しに遊び人じゃないことを褒めてみたものの、
「そうなの、朱音はモテるんだって本社でも九州でも営業の人がみんな言ってる」と遼が嬉しそうにいらないことを言う。
『なんでそこでそんな嬉しそうなんだよ!』と忠と朱音の両方が心の中でツッコんだ。
「いや、そんなことない…から…」と青ざめた朱音が忠に消え入りそうな声で言い訳する。
テーブルはシンとなり、遼だけがニコニコしていた。
(ああ、俺もう帰りたい。自分が二人を別れさせて蒔いた種とはいえ、これは再生するのがしんどいな…)
躍動的な異国の音楽が3人の間をしばらく流れ、やがてお勘定の紙が運ばれてきた。
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