第14話 薄月

「…思ってた石垣のイメージと違う」


 ぼそりと遼がつぶやくのを耳にした朱音は、


「江戸城みたいに綺麗に整えられたのを想像してた?ここの石垣は野面積みのづらづみといって、自然石を加工しないで積み上げてある。ほら、少しだけ石が上を向いて斜めに積んであるだろ?こうしてあると地震に強いんだ。古い形の石垣で、すき間には詰め石があったり一見粗雑にみえるけど、短期間で築ける上、水はけがよいから風化が少なくて堅固なんだ」と嬉しそうに一気に説明した。


 どうも彼は天守より石垣が好きなようで、時間をかけてぐるぐると石垣を見て回っている。自然、手をぎゅっと繋いでいる遼も回っているわけだ。彼はわくわくしていて子供みたいで微笑ましく遼は感じていた。

 天気のいいお盆の午前のお城は観光客でいっぱいだが、見ていると朱音のように天守にも入らずに石垣をうろうろ見ている人が意外と多い。


「天守はいいの?」とあまり魅力がわからないまま聞くと、


「おう、上は昭和に再建された鉄筋コンクリート造だからな」と答えながらも目は石垣に釘付けだった。すき間の詰め石は攻め込まれた時の足がかりにならない為だろう。


「そう言えば、こんな感じの古い石垣を小学校の時見に行った…忠が昔お城好きだったから」と遼が思い出したように言うと、


「え、どこ?」と朱音が急に食いついてきたので薄っぺらの記憶を掘り起こした。


「うーん…熊野の山奥だった気が…」


「まさか赤木城跡?!赤木城跡に行ったの?ここと同じ続日本百名城の?」 と朱音は少し興奮気味に聞いた。


(ぞ、続…日本百名城?そんなの聞いたことない…)


「それだと思う、赤木城。小学校の頃、山田の両親が旅行好きだったから熊野古道を歩いて…その時忠のリクエストで寄った」


「えー!俺が行ってみたいと思ってた城跡だ。いいな、羨ましいな…」


 そんなことで口を尖らせてすねる朱音が可愛らしくて遼が笑うと、


「なんだよっ」と子供のように怒った。


「私もうすら覚えだし、また二人で行こう」


 遼には両親が死んで日本に帰国した後4年程の記憶が薄い。実際小学生の頃の同級生は2,3人しか記憶にないくらいだ。先生などは一人として覚えていない。

 そんな遼の不安な空気を感じたのか、朱音がえらいことを言い出した。


「…今から行こうか。ここからなら5時間くらいだろ?」


(ひええ…まあ、調子が戻ってきたってことだろうけど)


 遼はさっそく携帯で何時間くらいかかるか検索した。


「熊野まで5時間以上はかかりそうだよ。ここからかなり遠い」


 自分の為に朱音が熊野に遠回りして行こうとしてるのを感じ、申し訳なくてやんわり断ると、


「お盆休みだし休みはまだ十分あるけど嫌か?もしかしてオレと長く一緒にいるのがしんどくなってきた?」と少し寂しそうに聞いた。

 

 昨夜の朱音を見て『嫌だ』なんて言えるわけなかったし、彼との初めての旅行だが長く一緒に居ても全く疲れなかったので、


「ううん、行きたい」と遼は答えた。


 こうして二人はせっかく旨し国、福井に来ているというのに、朱音おすすめの名水越前蕎麦だけなんとか昼前に食べ、紀伊半島の熊野を目指すこととなった。ちなみに名水蕎麦と地元産の野菜のてんぷらが飛び切り美味しかったのは言うまでもない。

 



 九頭竜川沿いの美濃街道を通って九頭竜湖を休憩がてら軽く観光し、東海北陸自動車道に白鳥インターから乗り、名古屋高速などを経由して東名阪自動車道、紀勢自動車道、熊野尾鷲道路を走りまくり、終点の大泊おおどまりを降りた時は薄明るい夕方だった。


「本当は鬼が城に行きたかったけど、暗いから宿泊施設に向かおう」と遼は携帯の地図を見ながら言った。


「おう、ここから近いのか?」


「うん。友人のトン子が旅行会社に勤めてるから取ってもらった。『熊野倶楽部』だって、ここから近いよ」と言いながら、ナビに施設を入力した。案内で30分程で着くと出た。


「倶楽部?部活みたいだな」


「藁ぶき屋根の昔の校舎風の建物とかいいね」


 二人でいろいろ想像していたが、全く違った。



「こ、ここ?」


 駐車場に車を停めて荷物を運ぶ。

 看板のある広い敷地の入口にフロント・お土産屋・体験工房の平屋の独立した施設がコの字型に配置されていた。軒がかなり深い和風モダンの木造で黒い焼杉の外壁といぶし銀の瓦が雰囲気を出している。


(これはまぎれもなく大人のリゾート…こんな格好で来ちゃっていいのか?)


 朱音はジーンズにTシャツ、遼は黒の麻のワンピースという場違いな格好の自分たちにドキドキしながらフロントのある建物に入った。中は明るい木調でフリーのカフェとワーキングスペース、熊野関係の本棚がある解放的な空間が広がっている。


 入るやいなや、「いらっしゃいませ」とコンシェルジュという名札を付けた素敵な黒スーツに白シャツのフロントマン2人に笑顔も爽やかに迎えられた。


「予約した澤井です」


「はい、澤井様、お待ちしておりました。こちらにお名前とご住所、お連れ様のお名前のご記入をお願いします」


 朱音がチェックインをしてくれる間、遼が建物内をふらふら見学して本棚を見ていた。すると、軽い山登りでもしそうな格好の恰幅のいい年配の男性に、


「部屋の角にあるあの生オレンジジュースしぼり機、面白いのでやってみませんか?とても美味しいですよ。僕もせっかく来たので作ろうかな」と声をかけられて手招きされた。


 その柔和な表情の男性に思わず付いてくと、その搾汁さくじゅう機は外国製で、上から丸ごと皮付きのオレンジを入れると下からジュースが出てくる、というショー的な代物だった。スケルトンなので搾汁さくじゅうの様子がよくわかりそうだから興味をそそられる。そしてどうぞとばかりに機械の横に山のようにオレンジが籠に盛ってある。外国の市場みたいだ。


「ほら、ここに入れてみて」といかにも子供みたいに楽しそうに言う男性に乗せられた遼は、


「はい」と言って、説明に書いてある通りにオレンジを機械の上部にある投入口に5個続けざまに入れた。

 昔話のおむすびころりんのようにゴロンゴロンと勢いよく転がり、機械に皮をかれてオレンジが潰されていく。とても大掛かりで単純な仕組みだ。コップをセットしてレバーを押すと、しぼられたオレンジ果汁が勢いよく出てきてコップがいっぱいになった。


「す、凄い…っ」


 珍しく遼が感動の声を上げる。


「でしょ?先月オスロでも同じ機械を見た。ここのオーナーがこういうの好きだからさ」と言って、彼もジュースを作った。どうもオーナーとは昵懇じっこんのような話しぶりだ。


「飲んでみて。しぼりたては最高だよ」


 美味しいに決まっているだろうと口を付けたがやはりそうだった。いや、期待を大幅に上回った。


「お、美味しい。とても甘いです!」


「でしょ?」と嬉しそうにその男性は柔らかく微笑んだ。


 遼が感激して飲んでいると、朱音が受付を終えてそばに来た。他人を怖がる遼が、珍しく知らない人と楽し気に話しているのを見て少し驚いている。


「朱音、これとても美味しいの。飲んでみて」と遼がコップを朱音に渡して少し飲ませた。


「うまっ!」


 朱音が素直に叫ぶと、その男性は満足そうに笑った。


「そうだろ?熊野では一年中ミカンがとれるんだ。熊野は初めて?ここは観光ツアーの受付もやってるから、良かったらカウンターで予約出来るよ」


「ツアーを手軽に予約できるなんて外国のホテルみたいですね。あなたはこちらの従業員の方ですか?」と朱音がその謎の男性に質問した。


「ああ、申し遅れました。僕は熊野のガイドをしてる白石、と言います。ここのリゾートホテルでプレミアムツアーを担当してる。行きたいとこがあればツアーに組み込んで案内するので、良かったらどう?」と押しつけがましくない程度の勧誘をした。


(なんだろう、この人、暖かくておおらかで、相手の懐に入り込むような雰囲気…)


 遼が好意を持っているのを感じ、朱音も警戒を解いて聞いた。


「もしかして、赤木城趾に行けますか?あ、オレは澤井、こっちは山田といいます。こちらに2泊お世話になる予定です」


「もちろん。これ、熊野周辺の見処のパンフレット、良かったらどうぞ。実は明日のツアーがキャンセルになったのでちょうど空いてるんだ。今日はこちらの女性宿泊客のグループと滝とか神社のパワースポット巡りに行って帰ってきたところ」


「遼、ツアーに申し込んでいい?」


 朱音は白石と一緒に行きたくなっているのが丸わかりの表情で聞いた。遼も彼の話を聞きたかったので、もちろんOKした。


「じゃあ、申し込んできます。明日天気も良さそうだし楽しみだな」と嬉しそうな朱音はカウンターに申し込みに行った。


「素敵な彼だね」


 白石はまぶしそうに眼を細めて言った。息子を見るような眼差しは限りなく暖かい。朱音の家族とは全く違う種類の眼だった。朱音の父もこんな眼を持っていてくれれば、なんて詮無い事を思ってしまう。


「はい、私には勿体ない人です」と素直に答えると、


「いや、とてもお似合いの2人だよ。ここは素敵なリゾートだから楽しんで下さい。2泊だったね」と慌てて遼のことも褒めた。白石の息子と娘は遠く日本海側に住んでいて、彼らの家庭をそれぞれの土地で築いているので懐かしく感じていた。


「ありがとうございます、そうさせて頂きます」


「明後日に回るコースも良かったら相談にのるよ。では明日、宜しくね」


「はい、お願いします」と遼は頭を下げた。




「なんか白石さんってここいらで凄く有名人なんだって。テレビやタレントがくると必ず案内に呼ばれるくらい博識らしい。スタッフが『先生』って呼んでたし」


「そうなんだ…確かに雰囲気がある人だった」


「人見知りの遼がいきなり懐くなんて驚いたな」と意外そうに朱音が言った。


「うん、山田の父に少し似てて。浮世離れした感じが…」


「そっかぁ…遼のお父さんってあんな感じだったんだ。いいね、優しそうで」と羨ましそうに言う朱音を見て、遼は彼の父を思い出した。昨夜朱音が殴ったばかりの彼の父。


「うっ…ご、ごめっ…」


「いや、遼は悪くない」


 遼のアシンメトリーなショートボブの黒い髪に朱音は指を入れた。孝が手入れの指導をしているのでいつも空気のように軽くてサラサラだ。


「朱音は本当に優しい…ねえ、私の嫌なとこってないの?正直に言ってごらんよ」


「うーん、そうだな。…あんま綺麗にならないで欲しい、かな」


 朱音は遼の髪の感触を確かめるように触りながらそう答えたので、遼は冗談だと思って噴き出してしまった。


 営業一課の男性の間で『あんな綺麗な人、総務にいた?』と遼がちらほら話題に上るようになった。その人が誰もが一度はお世話になっている『総務のAI・山田』だとわかったときの意外性が大きいらしく、誰もが驚くのだ。

 彼女は表情が柔らかくなって明るくなった。長い髪をばっさり切ったのも、髪が短くなって高級そうなダイヤのネックレスが目立つようになったのも目をひき始めた理由だろう。

 PCにかなり詳しいということで、トラブルがあると遼を直接呼び出す人間も増えた。今まではなかったことだ。遼が営業一課に来ると、彼女を気に入っているミカが喜ぶのも呼び出しやすい理由のようだった。

 朱音はそれが嫌でたまらなかったので、意図的に彼女の話題が出たら違う話題に変えるようにしていた。それを見ていつも山本はニヤニヤしているのだ。


「バカね、答えになってない。あ、バスが来た」


 まだ明るさが残る夕方の空には薄い月が見えた。




 東京ドーム3個分という敷地が広すぎるので、各コテージにシャトルバスで送り届けてもらう。

 そして案内された翡翠ひすいの間、と額縁に達筆で書いてある部屋に入ると、遼は自分が青くなるのを感じた。

 広い玄関から部屋に入ると、モダンな刺繍のクッションが置かれたソファーと机、ロータイプのセミダブルのベッドが二つ、別室で畳の間、露天風呂に内風呂まであるではないか! 


(ぜ…贅沢っ…!トン子には1人15000円から20000円って頼んだんだけど…)


「おー、めっちゃ落ち着いてて広くていいじゃん、外国のリゾートみたいだな。建物も間接照明も洒落しゃれてる。おまえの友達趣味いいな」


 無理にはしゃいでいるように見えてしまい、遼はなんだか胸がチクリと痛んだ。ちなみに朱音はお金には無頓着だ。


(ううっ、仕方ない。今回ばかりはお金のことは考えないでおこう)


「朱音が喜んでくれて良かった、友達も喜ぶ。…連れてきてくれてありがと」


 遼がふわりと朱音の広い背中に抱き着いた。


「オレもだ、遼がいれば世界中どこにでも行けるし楽しいってわかって…嬉しい。でも少し怖いんだ。オレには遼しか必要じゃないのが怖い。もし遼がいなくなったら…世界がどうにかなっちゃうんじゃないかって」と言って少し震えた。


「…そんなこと言って、新しい恋人ができたら私なんかいらなくなるでしょ。メールでお別れを言われたりして」


 遼が3年前のメールを思い出しながら冗談を言うと、


「すぐにそんなこと…意地悪だな」と言って彼の腰に回されている彼女の手を、彼はぎゅっと強く握った。遼は彼の身体を思い切り抱きしめた。

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