第2話 濃染月

「お前らちょっと最近変だな、何かあったのか?」


 ミカがニヤ付きながら前に並ぶ遼と朱音に言った。


 営業一課の上司のであるミカに二人で呼びつけられるとき、厄介なことが始まる。それを経験で知っている朱音が太めの眉をひそめ、嫌そうに、


「ないです。旅行には行きましたが…」と説明すると、


「まさかおまえ、実家に連れてったりしてないだろうな。遼がドン引くぞ」と核心を突く発言をしたので朱音は心臓が飛び出すかと思った。勘が鋭い。


「なんだ、まさか本当に連れて行ったのか?滋賀だっけ?」


 朱音の反応を見て今度はミカが驚いて呆れている。


「福井です。顔を出しただけで、結婚とかではないので」


 遼がクールに事実を述べた。


(結婚はないんだ…ここまではっきり言われると逆に傷つくな…いや、オレが先に結婚はないって思ってたんだった。遼もこんな風に傷ついてた…感じは全くしねーな、とほほ)


「山田は相変わらず冷たいなぁ、朱音」と見透かすようにミカが薄笑いで言うので朱音は慌てて「な、何の用ですか?」と聞いた。


(オレが遼と結婚したいなんて少しでも思ってることがバレたら、捨てられそうだ…)


「ああ、今年の社員旅行は営業一課と総務課合同にした。人数が多いからおまえらと江上、山本か堀あたりで仕切れ。詳細は江上に伝わってるはずだ。わかったな」


「了解しました。では失礼します」


 遼が淡々と頭を下げて部屋を出て行ったのを朱音が追おうとすると、ミカに呼び止められた。


「おい、付き合い始めて早々に自爆するなよ。山田は難しいぞ、わかってるか?」


 一応だがまともなアドバイスをしたミカに、朱音は不信の目を向けた。今まで彼女は二人の仲を取り持ってくれているように感じるが、忙しい彼女がそんなことを意味もなくするとは思えない。


「…ミカさんの狙いは何ですか?」


「もちろん、山田がコミュ障を治して成長、昇進して私の右腕になる、もちろんおまえは左腕…ってのは冗談だ。山田とうまくいってないと営業一課の仕事が進まなくなって困るからだよ」と言って笑った。


「ミカさんは遼の過去を…いや、やっぱ自分で聞きます」


(遼が以前言おうとしてくれたが、聞くのが辛くなってオレはさえぎってしまった。でもちゃんと聞かないと多分ダメなんだ)


「お、成長したな。そうしてくれ、私も山田は怖い」


 ミカはそう冗談を言って肩をすくめた。




 次の日、遼と朱音、江上と堀で社内旅行の打ち合わせのために小会議室で集まっていた。サークルのような軽い雰囲気だ。


「なんで営業と合同で…まぁ堀さんと夜通しゲーム出来るからいいかぁ」と江上は口の割には嬉しそうだ。


「みっちゃんは中学生みたいね。さて、どこにしよう?」と遼が笑って聞いた。


「皆にアンケート取りましょうか?」と堀が提案した。


「それだとバラバラになり過ぎて大変だから、この4人で候補を絞って出してからアンケートをとるのはどうだ?」


 的確な意見を朱音が言うと皆が頷く。江上は負けた感がするのか少し悔しそうだ。


「じゃあそれぞれ2ヶ所程度の候補を出す、ってことで、今から3分で考えて」とぴしりと遼が言う。


「ま、まじっすか…3分…」と堀が遼の進行の速さに驚いていたが、江上と朱音はそんな彼女に慣れっこの様子で、すぐに江上は、


「温泉かなぁ。それか近場で普段泊まれない高級なホテル…」とつぶやきながら『箱根強羅温泉』『星野や旅館』と書いた。さっそく遼がそれをパソコンに打ち込んだ。堀もすぐに思いついたようで、『丹沢大山国定公園の大山でハイキングとロープウェイ』『草津温泉』と書いている。


「朱音は?」と遼が隣に立つ朱音を見上げて聞くと、


「山梨県甲府市の『武田氏館たけだしやかたと甲府城』めぐり」とぼそりと答えた。


「シ、シブイですね、朱音先輩…意外です」と堀が驚いていると、


「へー、武田神社ですか…僕行きたいかも…」と江上が小さく言った。


「ま、まさか、江上も城が好きなのか…」


 朱音が江上と同じ趣味だと判明して愕然がくぜんとしていると、


「悪いですか?歴史好きなんです」とねたように言ったので遼と堀が笑った。


(二人で仲良く城巡りなんてするようになったら嬉しいな)


 遼は話しながらも出欠確認が付いたウエブアンケートをサクッと作って、総務と営業一課全員に一斉送信した。


「もう送ったのかよ…おまえ早過ぎ」と朱音が驚いているうちに、アンケートの反応がぽつぽつ出始めた。皆の反応も早い。この調子だと今日明日中には決まりそうだ。


「遼は行きたいとこないのか」と朱音が遼に聞いた。


 彼女は少し考えてから、


「熊野か島根」と言ったので、堀が、


「山田さん、両方2泊はしないと無理ですよ」とケラケラ笑ったが、朱音と江上は同時に「遠い!」とツッこんだ。




 その夕方、遼は「山田君、アンケートの途中経過見たか?」とやけに浮き浮きした課長から聞かれ、「いえ、まだ見ていません」と答えた。


「どうも甲府になりそうだ…意外だねぇ、城なんて女性が嫌がりそうだけど…」


「総務も営業も男性が多いですし、女性の武将ブームと御朱印ブームの影響があると思います。私はハイキングが良かったんですが…」と少し残念そうに答えた。


 遼がチェックすると、まだアンケート中だがぶっちぎりで甲府案がトップだった。結果は明らかだ。


「そうか、いやあ、楽しみだなあ、井上靖の『風林火山』!山本勘助!!ストーリーがある社員旅行はいいよね」と大河ドラマは欠かさず見るという課長は嬉しそうに去っていった。


「澤井先輩の案なのは嫌ですが…僕も武田神社に行きたいので投票しちゃいました」とよくわからない悔しがり方をする隣の席の江上を尻目に、どこの旅館がオススメか、どんなルートにしたらいいかを相談するためにトン子にメールした。




「りょおー、元気だったぁ?」


 社員旅行の相談を兼ねて週末に4人で駅前のビル屋上にある隠れ家カフェで待ち合わせした。

 半屋外の席は風が通り抜けて気持ちがいい。マキタ、トン子と遼で会うのは久しぶりだった。トン子が忙しいようでなかなか会えなかったのだ。


 待ち合わせに珍しく遅れてきたトン子をみて一瞬で場が凍った。ふんわりした口調は変わらないが、激しく痩せてしまっていた。ふくよかでふわふわしてるのがトン子の魅力なのだが、そんな彼女の身体の変貌を目の当たりにして遼とマキタは声を失った。数回しか会っていない江上でさえびっくりしている。


 しばらくして、「どうしたよ、そんな痩せちゃって」とマキタがいきなり直球を投げた。トン子はそれを聞かれるのが慣れた様子で、


「あ、病気じゃないよ。結婚するならダイエットしろって彼氏に言われて」と返した。遼やマキタに怒られると思ったのだろう、少しだけ不安そうだ。案の定、


「なんでそんな男…好きな女をそんな激ヤセさせる男なんてダメに決まってるじゃん、やめときな」とマキタに激しく忠告された。遼もあまりにショックで思考停止していたが、マキタの言葉で我に返った。


(もう…最近会ってくれないと思ってたらこんな風になってるなんて…)


「まあまあ、とりあえず食べよう。トン子、結婚おめでとう。でも私も心配だからちゃんと食べて欲しい」


「うん…ごめんね、心配させて。マキタも心配してくれてありがと。彼はとっても素敵な人だよ…私の為に言ってくれてるだけ」


 マキタはとても不機嫌そうにそっぽを向いた。彼女はとてもわかりやすいのだ。そんな姉を呆れた表情で見た江上は、


「さ、AかB,どっちのセットにします?今日は僕のおごりなんで、たくさん食べてください。あ、ねーちゃんは自分で払ってね」とメニューをトン子に差し出した。


「じゃあ今日はいっぱい食べようっと!私はAセットでケーキ付にしてもらう」


 いつものように明るくトン子が言うとちょっと安心したようで、マキタもAセットにした。二人はいつも好みが合うのか同じものを食べる。

 食べながらトン子は彼がどれだけかを私たち友人に話して聞かせた。でも説明すればするほど『多分まともじゃないな』という確信が遼の頭を支配した。何気ない風で名前と勤め先、年齢、出身地、学歴など聞き出して頭にインプットした。


(40代独身の銀行員かぁ…)


「さ、デザート食べたら旅行の内容を詰めようか」


 そう言ってトン子はぺろりとケーキを食べた後トイレに行き、しばらくしてから戻ってきて飲み物を口にしながら、テキパキと目的地までの特急から観光するためのバス、旅館などの候補を出してスケジュールの大枠を作ってくれた。


「ありがとー、助かった。今度映画でも行こう」と最後に遼がトン子を誘うと、「うん…」と困ったように曖昧に答えた。全くもっていつものトン子と別人のようだった。はっきりしない返事をするトン子なんて遼は見たことがなかった。

 いつもなら、ランチの後に映画やショッピングをするのだが、彼女の口ぶりでは、婚約者に友達との交流を制限されているようだった。


 そんなトン子をマキタが睨むように真剣に見ていた。

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