第5話 紅月

「おまえ…本当に何やってんだ!それに身体にこんな傷をつけて…」


「ひゃっ…」


 江上たちと別れて家に帰っての深夜、遼に電話が繋がらない朱音が業を煮やして家に押しかけてきた。

 彼女は部屋で正座し、事の顛末を話していると、朱音は話を聞きながら遼の手に張られている大きいサイズの絆創膏を目ざとく見つけ、剥がして傷の具合を確認してから、深夜なので静かに怒り出した。

 声を押さえている分、遼の腕を握る手に力がこもって痛い。


 遼はビビりながらも、頭を下げた。


「ご、ごめん…」


「ごめんじゃねーよ、全く!これで済んで良かったけど、オレに頼れって言ってんだろ?そんなにオレが信用出来ないのかよ?」


 信用出来ないのか、と問われて遼がピクリと身体を震わせた。


「…」


「何だ?言えよ」


「信用なんてしてるに決まってる。でも朱音にそんな手伝い、絶対にさせられない…下手したら警察沙汰だよ…?

 最初に朱音に出会ってからすぐ話すようになって気になってた。しばらくして付き合って欲しいって言われて本当に驚いたし死ぬほど嬉しかった。同期の中で飛び抜けて能力が高くて一人で何でも出来ちゃうくせに、適材適所に人を当てはめて皆で協力してうまく場を回してるのを見てた。同期の女子からもモテてたよね…何人かから告白されてたのも知ってる。それでもブレずに私といてくれた。今もそうだ。

 でも私は相変わらずあまり人と馴染めなくて、仕事も人と協力できない分、人の分までたくさんやるしか出来ない、そんなじゃない人間なんだ。

 だから、朱音にはでいて欲しい。本当は私なんかじゃなくて、朱音と同じで素敵な明るい女性がそばにいたほうがいいって…」


 彼女にしては珍しく長い話をした。うつむいていた遼がまつげを濡らして朱音を見上げると、彼の心臓が大きく音を立てた。朱音が握る遼の手が小さく震えている。


(ああもう!こいつは…なんてズルいんだ…オレの心臓が持たねーよ)


「バカ!オレは遼がいいって言ってるだろ?もう、本当に…」


 朱音が遼を抱き寄せ、しゅんとした遼の顔を優しく自分の方に向けた。禁欲の決心を忘れて朱音が唇を重ねようとした瞬間、


「ね、ねーちゃん!!これ、ねーちゃんだよね?」と双子の信と誠が部屋に乱入してきたので、2人は慌てて離れた。でもそんなこともおかまいなしに双子は興奮して携帯の画面を遼と朱音に見せた。


『美女と野獣?人気プロレスラー・サダト、夜のデート』と見出しにある。


 江上の友人のサダトは有名プロレスラーだったようで、遼と一緒にカフェでご飯を食べる派手な金髪男の写真が何枚か載っていた。

 離れた場所から盗撮したようで、あまり画質がいい写真でないのが救いだ。江上も一緒にいたのに、意図的に彼がいる部分をトリミングで切り取ってある。

 誠たちはプロレス好きなのでネットニュースが配信されてしまったようだ。

 遼はすぐに読んで、あの銀行でしたこととは全く関連付けられてないのを確認してホッとした。でもそんな場合でないのにすぐに気が付き、


「ち、違うよ…知らない、そんな人…」と言いながら朱音を盗み見ると、彼の怒りは再点火したようで顔が引きつっている。


「えー、そうなんだ。今日の服と似てたからそうかと思った」

「ちぇー、サダトのサインもらおうと思ったのに」


 姉の言うことは頭から素直に信じる二人はそう言って、「おやすみー」と言いながらまたどかどかと部屋から出て行った。


 バタンとドアが閉まるとすぐに朱音がぼそりとつぶやいた。


「…おい、なんだよ、あれは?」


 どう見ても遼だった。朱音は双子と違って騙されてはくれなさそうだ。遼は観念して、


「サダトさんはみっちゃんのオンラインゲーム友達だって。彼はみっちゃんのことカミって呼んでた。今の今まで知らなかったけど、結構有名なプロレスラーみたい、だね…」と説明した。


「…だからオレはいらなかった、ってことかぁ?」


 朱音の唇がぷるぷる震える。先程まで彼の心を満たしていた甘い気持ちはすっかり消えていた。


「いや、私も彼が助っ人に来てくれるなんて全く知らなかったんだって…」


 双子のおかげで朱音のお説教は再開された。でも当の2人は、


「なんだ、ケンカしてなかったね」「仲良さそうだった」と言って、嬉しそうに自分たちの部屋に戻って行った。




 翌日、百田家は警察の捜査を受け、広大な敷地の奥にあるひんやりした薄暗い蔵からコレクションのように整然と並べられた人骨が発見された。ひとつづつ名前と年月日が記載されていたと公表されていたので、骨を見つけた捜査員は心底ぞっとしただろう。

 彼らの所持していた写真などから、多数の出入りの女性が殺されていただけでなく、彼らが妻や娘をも殺していたのが判明した。それはマスコミも知るところとなり、大騒ぎになっていった。

 もちろん警察と病院が連携して殺人事件を隠蔽していた事実は遼たちがばらさなくても明るみに出てしまい、戦後最大の不祥事として世を賑わせた。彼がストーカーをしていた元妻も警察の圧力がなくなりやっと証言できるようになった。




「本当にすごい事件になってきましたね…」


 週明けの水曜日、江上は日に日に膨らむネットニュースの情報を見てしみじみと言った。なんせ3世代にわたって蓄積してきた被害者の人骨だ。古いものは下の名前しかわからず身元不明者が多いと書いてあった。

 遼と江上は自分たちが関わったことが漏れてないかニュースをマメにチェックしていた。江上はたまに警察の内部資料までハッキングして探っている。サダトに迷惑がかかると困るからだ。


「そうだね。止めなかったらもっと死んでたかも…」と昼休みに食堂で二人が話してたら、


「おまえがな」と背後から真顔で冷たくツッコミをいれたのは朱音だった。


「もう、澤井先輩まだ怒ってるんですか。あんまりしつこいと、サダトが遼さんのこと気に入ってたから紹介しちゃいますよ。遼さん筋肉好きだし。そうだ、試合のチケットもらっちゃいましたから、遼さん、一緒に見に行きましょうね」とまた火に油を注ぐようなことを言った。

 遼はなんで江上が自分の筋肉フェチを知っているのかといぶかしみながらも、今回は朱音をだまして悪いと思っているので、


「みっちゃんのおかげで助かった。でも、これ以上朱音を怒らさないで」と頼んだ。江上はしぶしぶ黙り、朱音が大人げない勝利の笑みをもらす。でもそこに来た堀が、


「先輩、ネットニュース見ました?例の殺人館でまた古い人骨が出たそうです。このままいくと100体越しちゃうって話ですよ…」と言ったので、朱音は眉間に皺を寄せた。その中に遼が入ってたかもしれなかったのだ。




「えー、トン子さん結婚辞めたんだぁ?」と江上が大根役者のごとく棒読みで驚いた。


 遼たちが銀行に乗り込んで2週間後の9月の週末、駅前のカフェに5人はいた。


「うん、実は相手に問題があってね。両親も私も本当は嫌だったから良かったよぅ」


 そう言った彼女は元のように明るくふっくらとしていた。そして隣にはいつもと違ってマキタがピタリとくっついていた。彼女達は騒動がきっかけで付き合い始め、今は楽しくてしょうがないようでべたべたしている。


 もう一ついつもと違ったのは、遼の隣に朱音がいたことだった。遼の友人だから彼には関係ないと言われたのがショックだったようで、会わせろとしつこくリクエストしていた。

 人当たりのいい朱音は同い年というのもあって、あっという間にトン子やマキタと楽しそうに話している。それを江上は苦々しい表情で眺めていた。自分のテリトリーが侵された、と感じているのは明らかだ。


 遼はその平和な風景を見て自然と顔がほころんでしまう。あの日、社員旅行の相談でトン子に会わなかったらこんな風に笑えなかっただろう。


「でも、出会って10年も経ってから付き合うなんて、本当に不思議」と遼が言うと、


「うん、なんか男性にあまり魅力を感じないと思ったよぅ」とトン子が笑ってのんびり言った。たしかにトン子はもてるのにいつも付き合いが短くて、彼氏を紹介されたことがなかった。


「気づくの遅すぎ。私は高校生の時からずっとトン子のことが好きだったよ」


 マキタがそう王子様のようにトン子に囁くと、マキタ以外はみな赤くなった。特に江上が真っ赤になったのは言うまでもない。

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