探偵業務、夜の部

 周辺の家々から頭一つ抜けた建物の屋上に、白い逆三角形と青い二つのリングが浮いていた。


 そこには闇夜に溶け込んで、屋上の角でちょこんとお座りするタキシードの姿があった。瞳孔がまん丸く開いているため、青い虹彩こうさいが細いリング状になり、眼底がんていが弾き出す光が金属メダルのような鈍い輝きを放っていた。


 タキシードは昼間だと大いに目立つ。


 しかしひとたび夜になれば、彼はたちまち忍びの者と化した。


 夜は暗い。空は闇黒くらやみに塗りつぶされ、一切の光が浮かばない。ごくたまに暗紫あんし色の月が出るが、百日とか二百日に一度だ。ゆえにタキシードが事務所からアメリ家の屋上まで翼を広げて飛んできても、誰の目にも留まらなかった。


 街の通りには蛍石フローライトの明かりがあふれているので、歩いたりする分には問題ないものの、小道には闇が溜まり、細道などは完全に闇黒くらやみの領域となっていた。地上に降りたとしても身を隠す場所は山ほどある。こうして夜陰やいんに紛れて猫の忍び足、猫の夜目よめを駆使すれば、夜の街はタキシードの天下となった。


 長い髭が夜風に撫でられてくすぐったかった。闇黒くらやみに広がる生活のの海を眺めながら、タキシードは、昼間の窮屈さから解放されて自由に飛び回れるこの夜こそが自分の世界なのだと、そう思っていた。


 タキシードが屋上の角から見下ろす先には窓があった。そこから明かりが漏れている。エイジャの話だと、今タキシードの真下にあるあの窓がアメリの部屋のはずだ。結構高い位置にある。あそこから飛び出すと言うのだろうか。完全武装で。ちょっと信じられない。


 今のタキシードの頭の中では、アメリという女の姿は筋肉もりもりで怪獣めいた姿に仕上がっている。あそこまで話を盛られると、どんな女か絶対自分の目で確かめてやるという好奇心が胸に渦巻いてまない。


 わくわくと目を輝かせながら様子を窺っていると、ドカドカと家が揺れ始め、突如として窓がぜた。


 タキシードの驚異的な動体視力がその姿を静止画として捉えた。両手を交差させて窓を突き破って飛び出した、煌めく全身宝石甲冑かっちゅう。頭もフルフェイスで覆われて顔は見えなかったが、後ろに垂れた長い茶髪が、その人物が女性であることを示していた。


 ――あれがアメリか。


 予想以上の重武装だった。宝石武具は一般的な装備だが、全身宝石甲冑は流石に珍しい。単純に重いので、扱えるのはよく訓練された騎士くらいなものだろう。あれでは今からグロテスク狩りにいく騎士団さながらだ。


 ゴォンと、ちょっと人間が出しうる音からは逸脱した着地音を立てて、アメリが家の前の道に降り立った。


「待ちなさい、アメリ!」


 窓から身を乗り出したエミリ(母)が叫んだ。


「邪魔しないで、おかあさまっ! わたくし、夢を諦め切れないの!」


 そう言うと、アメリは街の奥に足を向けた。


 彼女の手には獲物が握られていた。大きなすいだ。メイスの形をそのまま大きくしたような武器で――いや、あれはゴツすぎるだろう。しかしその一方でボディのシルエットは、どちらかと言えば細身に見え、あれでよくあのすいが持ち上がるものだとタキシードは目を見張った。


 異性に対する強さアピールは、なにも肉体を見せつけるだけではない。自分の戦闘スタイルや扱う武器、技、術を見せつけることも重要なポイントだ。総合的な戦闘力の高さが求められている。


 ――しかし、それでいいのかアメリよ。自分の女の部分を完全に隠したその姿で男を引っかけることを望むのか。ちょっと自分にストイック過ぎやしないか?


 アメリが道を蹴った。舗装された石畳がめくれ上がる。


 タキシードも屋上を蹴った。翼を広げ、滑空かっくう状態でアメリの向かう道を先回りして夜をかける。


 空から見る南バミューダの街は活気があった。道は明かりで照らされ、夜なのに人々は食や酒を求めて跋扈ばっこし、中にはナンパをする光景も見かけられる。そんな人々を掻き分け、道を右へ左へと爆走する宝石甲冑は上空からでもよく目立っていた。確かに彼女の走りは速い。そして追手を巻くようにわざと複雑に蛇行していることも見て取れる。


(これ、尾行なんてせんでも、後日聞き込みすればよかったんちゃうの?)


 アメリのインパクトがあれば、間違いなく情報は集まるだろう。手間を考えると、こうしてタキシードが空から追いかける方が早いのだが。


 二度三度と羽ばたいて高度を上げたタキシードがアメリの向かう先を目で追うと、その先には薄く紫色の光を発する通りが見えた――あれは、〈紫水晶アメシスト通り〉だ。

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