素行調査の依頼

 ――娘が鉄貨てっかを隠し持っていた。


 事務所を訪れた中年の女性――エミリが取り出したのは、一枚の鉄の硬貨だった。


 この世で最も安定した価値媒体は宝石だ。小さな集落コロニーだと取引単位が宝石そのものであることが多い。しかし宝石は割ったりできず、細かい取引に不向きなので、バミューダのような都市ポリスでは金属硬貨が使われる。


 硬貨には種類がある。価値が低い順に並べて〈銀貨〉、〈銅貨〉、〈金貨〉、〈プラチナ貨〉、〈鉄貨〉、〈チタン貨〉が一般的だ。金銀プラチナなどの貴金属はあまり実用的でない上に、潤沢じゅんたくに収穫できることからあまり価値がない。その一方、鉄やチタンを初めとする金属、あるいはその合金は希少な上に利用価値も高いことから、高価なものとして扱われている。


 一般市民の食器類としては金剛石ダイヤ水晶クリスタル属、あるいは銀食器や金食器が使われるが、貴族の家には鉄器やステンレスと言った合金の食器が惜しげもなく使われているらしい。その話を聞くたびに、食器ひとつに豪勢なことだとタキシードは思う。そこには食器が使える人間に対するやっかみも混ざっていた。


 価値感覚でいうと――銀貨はゴミくず。銅貨で飲み物一杯。金貨で一食。プラチナ貨で一日の生活費。鉄貨が一枚あれば、切り詰めれば十日は生きていけるし、チタン貨に至っては主に商人の貨幣であって、一般人がお目にかかる機会は滅多にない。


 そして、鉄貨は売春の基本料金としても知られている。


 一晩で鉄貨一枚というわけだ。


 娘が最近夜な夜な出かけていき、深夜に帰ってくるということが続いたため、依頼人の女性エミリがこっそり娘の部屋を調べてみたところ、机の引き出しから鉄貨がジャラジャラでてきた、と。そこで慌てて問い詰めてみれば、「これには私の青春がかかっているのよ。邪魔しないで!」という、とんでもない言い草が返ってきて、その日は取っ組み合いの喧嘩になっしまい、以降、話もできない状態が続いている。そして娘の夜間外出も未だもって収まっていない。そういった経緯で頭を痛めている、ということだ。


 そんな話を、タキシードを膝の上に載せたエイジャが「ええ、ええ」と相づちを打って聞いていた。依頼人エミリとエイジャの二人は応接用ローテーブルを挟んでソファーに座っている。


「――そうなんですか、それは心配でしょうね」


「そうなんです! あの子ったら本当、いったい誰に似たのかしら……」


 取っ組み合いの喧嘩をする母と娘、という時点で間違いなく母親に似たんだろうな。そう思うタキシードだったが、声には出さない。


 タキシードは依頼を受ける時は基本的に喋らない。こうしてエイジャの膝に乗って猫を被っていれば、翼の生えている変わった黒猫にしか見えないということで、依頼人の意識から逃れてじっくり人物を観察したり、依頼の内容を考えたりできるからだ。


 エイジャの指が、彼女の膝の上で座るタキシードの喉に触れた。


 これは「そろそろ受けるかどうか決めて」という催促の合図だ。人なつっこい気質のエイジャだが、流石に十刻じゅっこく(小一時間)以上、エミリの半分愚痴に近い話を聞かされて疲れてきたのかも知れない。


 娘の素行調査依頼。


(しょぼい依頼やなぁ)


 しかも依頼料はその見せつけている鉄貨一枚より安い、プラチナ貨五枚だ。


 ――だが金がない。


 タキシード探偵事務所は万年赤字気味であり、時に食費にきゅうすることもあるほどだ。家賃を請求しに来る大家の、溶けかけた飴のように粘つく表情が脳裏をかすめた瞬間、タキシードの尻に火がついた。


 ――受けるしかない。


 タキシードは喉をゴロゴロ鳴らした。これが依頼を受けるサインだ。


「――わかりました。それでは、娘さん……アメリさんの夜間外出先の特定と、あとは、そこでの活動内容の調査。プラチナ貨五枚でお受けします」


「まぁ! 受けていただけるのですね。助かりますわ! ほんとにもう、あの子ときたら――」


「あ、ところでいくつか確認したいことが」


 再び始まりそうだったマシンガントークの腰を折りにいくエイジャ――上手いぞ。


「アメリさんを外に出したくないのであれば、一時的に部屋に鍵をつけるとか、いろいろ対策ができると思います。そういった対策を施さない理由をお聞かせ願いますか?」


「ええ……あの子の力だと、簡単な宝石製の錠前は握り砕かれてしまいますし、窓から飛び降りられて怪我でもしたら大変ですから。あの子、三階から平気で飛び降りるの。女の子なのに……この前なんてせっかく鉄製のドアを準備したのに……あれってドアが硬くてもドア枠が壊れてしまうから意味がないのね。それで、何度か主人が後をつけようとしたこともあったのですが、その時はアメリの走りについて行けずに見失ってしまったそうなのです。まったくもう! でもね、うちの主人はね、そうは言っても昔は――」


 ――娘さんは野生児かな?


 依頼人エミリの見事な話術に再び絡め取られて苦笑いするエイジャを残し、タキシードは立ち上がった――アメリには……いやエミリか? とにかくこの親子にはうっかり抱っこされないように気をつけねば。どっちも抱っこされるとやばそうだ。母に捕まれば日が暮れるまで撫でられながら話を聞かされ、娘に捕まれば内臓が口から飛び出してしまう。


 とりあえずお腹がすいてきたので外に行こうかと膝から降りかけたタキシードの首根っこを、エイジャが器用につまんだ。いや、がっしり掴んだと言った方が正しい。へにょりと力の抜けたタキシードが恐る恐る見上げる先には、ほの暗い笑みを張り付かせたエイジャの顔が。


 ――だめか……。


 逃げ損なったタキシードは大人しく、エメリの矢継ぎ早な、何の役にも立たない話の羅列から耳を守るようにエイジャの膝の上で丸くなった。

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