海坊主

 南バミューダの外れにある果樹栽培用の小高く大きな丘。一面緑に覆い尽くされたその丘はベリーヒルと呼ばれている。探偵事務所はそのベリーヒルの頂上に続く“つづら折り”の道を少し登ったところにあった。


 空は暗くなりかけており、二人が坂道を降りていく道すがら見えた街には、色とりどりの明かりがぽつぽつと灯り始めていた。


 薄暗い道を行く今のエイジャは探偵モードだ。その後ろをタキシードがトコトコついていく。


 エイジャの腰を振る歩き方が、後ろから見ると非常に目に付く。わざとやっているのだろうか、それともスフィンクスの一族だからだろうか。あるいは、最近教わったとかいうすっごいベリーダンスの癖だろうか――昔はこんな歩き方してなかったと思うのだが。帰ったら注意した方が良いかも知れない。妹は少しぽやぽやしているところがあり、兄としては非常に気がかりだ。


「ヤブドゥルさんはね、ペディグリオンにある由緒正しい一族の出で、訳あってバミューダに来て一人で頑張っているんだって……ちょっと私達に似てるでしょ。だから――」


「ちょいまち。そのヤブドゥルさんっちゅーのは……男か?」


「え? そうだけど」


「なんやとっ⁉ ちょっとエイジャ、そいつのところにワシを連れていかんかい! いっぱつ話つけたるわっ!」


「おっけー。今度一緒に遊びに行こう!」


 そんな話をしながら歩く二人。やがて空は闇黒くらやみに覆われた。


 夜の街は蛍石フローライトの光に照らされてキラキラ光っていた。宝石が建材として利用されていることが、その主な理由だ。


 街灯の柱はカラフルな燐灰石アパタイト、その先端には光る蛍石フローライト。建物の壁は水晶クォーツ属。窓は雲母マイカ硝子。金銀プラチナも目地や装飾として一般的だ。道ゆく人々が身に付ける武具も、尖晶石スピネル属や風信子石ジルコン属がよく使われていて、彼らの動きに合わせて反射した光線があっちこっちから飛んでくる。


 エイジャの首に巻かれたチョーカーにも、透明な石がひとつ付いていた。


 そんな夜の街をタキシードが翼をしゅっと折り畳んで歩けば、控えめな光量の下ではちょっと太めの黒猫にしか見えない。そんなタキシードがしっぽを立て、シャツっぽい模様の浮いた胸を張って歩くさまは、美女をエスコートする紳士さながらにジェントル。


 タキシードはエイジャに変な虫が寄らないように彼女の脇でちっちゃな目を光らせていて、エイジャはそんなタキシードが誰かに踏まれないよう、にこにこ見守りながら歩いていく。


 やがて、大通りをれて小道を抜けると、緑色に光る通りに出た。ここは〈緑色グリーン尖晶石スピネル通り〉。先日アメリとひと騒動あった紫水晶アメシスト通りと同様の色区いろくだ。ここは時間が時間だとエイジャが声をかけられまくって鬱陶うっとうしいのだが、まだ時間帯を外しているためか人通りはまばらで、二人は足早にその通りを抜けられた。


 やがて、ひっそりと落ち着いた道に出た二人の前に、目と口が付いた船(?)の形をした看板を下げた店が現れた。ここは〈ホエールス〉という店だ。


 エイジャが迷い無くその扉を引いて店内に入ると、タキシードも続いてエイジャのスカートをくぐり、身体を店の中に滑り込ませる。彼はそのままタタタッと店の奥に駆け込んで軽やかにカウンターに飛び乗った。


「――営業に来てやったで、海坊主うみぼうず。なんか仕事よこせや」


「やぶから棒に……お、エイジャちゃん。今日は一緒か?」


「こんばんは。バワーズさん」


 喋る猫の登場に驚きもしないこの店の店長バワーズは、タキシードを無視して、カウンターに近寄ってくるエイジャに片手を上げて声を掛けた。


「あと、ワシはミルク。エイジャにもなんか一杯おごったってや」


「……金はあるんだろうな」


「あったらこんなとこ、うへんわ」


「あはは……」とばつが悪そうに苦笑いを浮かべるエイジャを見て、小さく鼻で息をついたバワーズが手慣れた様子で飲みものを作り始める。


 ここホエールスは緑色グリーン尖晶石スピネル通り近くのレストラン兼パブだ。まだ色区が混み出す前なので店も閑散としていた。そして、バワーズはこのホエールスの店長兼、料理長兼、バーテンダー兼、タキシード探偵事務所に仕事を斡旋あっせんする代理人エージェントでもある。


 バワーズは筋骨隆々とした体格の持ち主で、エイジャよりも頭ひとつ背が高い。肌も茶褐色で妙に精力があふれており、頭は禿げて強面こわおもてだ――彼は海坊主という二つ名を持っている。


 それは単に彼の見た目だけで付いた二つ名ではない。バワーズは〈タイニースプリング〉と呼ばれる遠く北の国の出身であり、タイニースプリングには〈ティクラル海〉というバミューダ海とは比べものにならないほど大きな湖がある。海という言葉はそもそもティクラル海を指す言葉なのだ。海坊主とはそんな連想もあってついた名らしく、実際、彼は水産物の扱いに長けていた。その腕を活かしてここバミューダで飲食店を経営しているというわけだ。


 彼の作る水産料理はかなり美味しい。エイジャ曰く、南バミューダでは知る人ぞ知る店として通っているそうだ。


「――あれ、いつものホールの子、どないしたん?」


 いつもならこの店の従業員が手伝いをしているはずなのだが、タキシードはその女の子がいないことに気が付いた。


「……辞めた」


「ああ……自分、立ってるだけでパワハラやもんな。そこに加えたセクハラとのダブルコンボについに音を上げたか」


「根も葉もないことを言うなっ! はぁ……あの子はな、元々独立するつもりでここで働いていたんだ。やっとその時期が来たって話だ」


 そう言ったバワーズは少し誇らしげに見えた。


「そうなんか……ええ子やったのになぁ」


 タキシードは感傷深げに溜息をついた。彼女はバワーズの目を盗んでタキシードにこっそりとミルクをくれる優しい子だった。そのたびにタキシードはその子の鼻を尻尾で撫でてあげる、二人はそんな深い間柄だったのだ。


「――今、お前にやれる仕事はない」


 コトリとミルクを置きながらバワーズはきっぱりと言った。

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