海坊主
南バミューダの外れにある果樹栽培用の小高く大きな丘。一面緑に覆い尽くされたその丘はベリーヒルと呼ばれている。探偵事務所はそのベリーヒルの頂上に続く“つづら折り”の道を少し登ったところにあった。
空は暗くなりかけており、二人が坂道を降りていく道すがら見えた街には、色とりどりの明かりがぽつぽつと灯り始めていた。
薄暗い道を行く今のエイジャは探偵モードだ。その後ろをタキシードがトコトコついていく。
エイジャの腰を振る歩き方が、後ろから見ると非常に目に付く。わざとやっているのだろうか、それともスフィンクスの一族だからだろうか。あるいは、最近教わったとかいう
「ヤブドゥルさんはね、ペディグリオンにある由緒正しい一族の出で、訳あってバミューダに来て一人で頑張っているんだって……ちょっと私達に似てるでしょ。だから――」
「ちょいまち。そのヤブドゥルさんっちゅーのは……男か?」
「え? そうだけど」
「なんやとっ⁉ ちょっとエイジャ、そいつのところにワシを連れていかんかい! いっぱつ話つけたるわっ!」
「おっけー。今度一緒に遊びに行こう!」
そんな話をしながら歩く二人。やがて空は
夜の街は
街灯の柱はカラフルな
エイジャの首に巻かれたチョーカーにも、透明な石がひとつ付いていた。
そんな夜の街をタキシードが翼をしゅっと折り畳んで歩けば、控えめな光量の下ではちょっと太めの黒猫にしか見えない。そんなタキシードがしっぽを立て、シャツっぽい模様の浮いた胸を張って歩く
タキシードはエイジャに変な虫が寄らないように彼女の脇でちっちゃな目を光らせていて、エイジャはそんなタキシードが誰かに踏まれないよう、にこにこ見守りながら歩いていく。
やがて、大通りを
やがて、ひっそりと落ち着いた道に出た二人の前に、目と口が付いた船(?)の形をした看板を下げた店が現れた。ここは〈ホエールス〉という店だ。
エイジャが迷い無くその扉を引いて店内に入ると、タキシードも続いてエイジャのスカートをくぐり、身体を店の中に滑り込ませる。彼はそのままタタタッと店の奥に駆け込んで軽やかにカウンターに飛び乗った。
「――営業に来てやったで、
「やぶから棒に……お、エイジャちゃん。今日は一緒か?」
「こんばんは。バワーズさん」
喋る猫の登場に驚きもしないこの店の店長バワーズは、タキシードを無視して、カウンターに近寄ってくるエイジャに片手を上げて声を掛けた。
「あと、ワシはミルク。エイジャにもなんか一杯おごったってや」
「……金はあるんだろうな」
「あったらこんなとこ、
「あはは……」とばつが悪そうに苦笑いを浮かべるエイジャを見て、小さく鼻で息をついたバワーズが手慣れた様子で飲みものを作り始める。
ここホエールスは
バワーズは筋骨隆々とした体格の持ち主で、エイジャよりも頭ひとつ背が高い。肌も茶褐色で妙に精力があふれており、頭は禿げて
それは単に彼の見た目だけで付いた二つ名ではない。バワーズは〈タイニースプリング〉と呼ばれる遠く北の国の出身であり、タイニースプリングには〈ティクラル海〉というバミューダ海とは比べものにならないほど大きな湖がある。海という言葉はそもそもティクラル海を指す言葉なのだ。海坊主とはそんな連想もあってついた名らしく、実際、彼は水産物の扱いに長けていた。その腕を活かしてここバミューダで飲食店を経営しているというわけだ。
彼の作る水産料理はかなり美味しい。エイジャ曰く、南バミューダでは知る人ぞ知る店として通っているそうだ。
「――あれ、いつものホールの子、どないしたん?」
いつもならこの店の従業員が手伝いをしているはずなのだが、タキシードはその女の子がいないことに気が付いた。
「……辞めた」
「ああ……自分、立ってるだけでパワハラやもんな。そこに加えたセクハラとのダブルコンボについに音を上げたか」
「根も葉もないことを言うなっ! はぁ……あの子はな、元々独立するつもりでここで働いていたんだ。やっとその時期が来たって話だ」
そう言ったバワーズは少し誇らしげに見えた。
「そうなんか……ええ子やったのになぁ」
タキシードは感傷深げに溜息をついた。彼女はバワーズの目を盗んでタキシードにこっそりとミルクをくれる優しい子だった。そのたびにタキシードはその子の鼻を尻尾で撫でてあげる、二人はそんな深い間柄だったのだ。
「――今、お前にやれる仕事はない」
コトリとミルクを置きながらバワーズはきっぱりと言った。
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